【2】
「……やば……見失った」
少女を追い続けていた粳部であったが、その圧倒的な速度から突き放され遂には視界から消えてしまった。粳部の身体能力は常にランダムでムラがあり安定せず、瞬間的に近付くことはあれど運悪く失速してしまったのだ。
彼女は人気のない路地裏で途方に暮れる。
「あの子……ラジオさんより速いんすけど」
小学生の小さな体躯に見合わず、速度だけは一級品。小さな暴走特急はどんな曲がり角もノンストップで駆け抜けていった。むしろ、あの速度を相手によくそこまで粘れたというレベルである。彼女はよくやった。ただ同時に、よくやったという程度のレベルでしかない。
周囲を見渡し途方に暮れる彼女だったが、不意に足元に落ちている物に気が付く。
「これ、あの子の……?」
それは少女の配っていた駄菓子。その時、粳部は逃げる少女のバッグから駄菓子がこぼれ落ちていたことに気が付く。あの速度で走ればバッグは大きく揺れ、中身が飛び散るのも無理はない。となれば、彼女が走った後には駄菓子が落ちている筈だ。
粳部が前を見るとそこには駄菓子が点々と落ちていた。
「ヘンゼルとグレーテル……」
そんな馬鹿なと思いつつ、粳部はそれを追って再び走り出す。小学生なのだから追跡がないことに油断して足を止めていることだろうと彼女は考え、意表を突く為にこうして最速で距離を詰めていた。運が良いことに速度が上がり始め、集中することで引き上げた動体視力で地面の駄菓子を視認する。
何度も曲がり角を曲がり粳部は進む。司祭の存在を公にできない以上、これ以上の被害を出さない為に絶対にここで止めなければならなかった。
「……ん?」
地面に点々と転がる駄菓子の先にマンションの非常階段があった。落ちた飴がそこへ向かっているのなら、探している少女はそこに隠れている筈だ。粳部は跳び上がって非常階段に入ると階段を駆け上り、落ちている駄菓子を追って最上階を目指す。そして屋上まで上ると壁に隠れ、その様子を観察した。
物音や息遣いを聞き取ろうとする彼女だが、何も感じ取れずに不審に思う。
「(もう逃げ場はない筈……)」
絶対にここに居る筈だと彼女は信じ、自分の影から海坊主を出すと屋上に突入する。周囲を見渡しどこに隠れているのかを探す粳部。しかし、そこには文字通り影も形もなく静寂に包まれており、少女はどこにも居なかった。
途方に暮れる粳部の視界にあるお菓子の山が映ると、彼女はそこに近寄っていく。
「ま、まさか……」
何千円かという駄菓子の上に置かれた一枚の付箋を取る。そこには『お疲れ様!お菓子でも食べて元気出してね』とだけ子供らしい文字で書かれていた。これは間違いなくあの少女が用意した囮。そして追跡を行う粳部への挑発。少女は既にここから別の建物へ飛び去っていたのだ。
粳部が付箋を握り潰す。
「あのガキ……!」
「お前はさっきから何をやっている」
別の建物から谷口が飛び移る。司祭はこのようにその脚力を活かした跳躍で、自由自在にコンクリートジャングルを飛び回ることができる。人目を気にしなければこのくらい好き勝手できる相手が、律儀に屋上で行き止まりとなってくれる筈がない。
「谷口さん何してたんですか!こっちはずっと追いかけてたのに……」
「お前……携帯電話でもPHSでもいいから持っておけ。連絡できん」
「まあそれはいつか……で、何してたんです」
「お前が何も言わなかったから、特に何も」
一瞬キレそうになる粳部だったが、すぐに報告をしなかった自分に一番の問題があることに気が付き反省する。少女が逃げ出した当時、谷口はかなり離れた土手の上に居た。逃走劇は見えていたもののどういう事情でチェイスしていたのかは不明だったのだ。
「……私が悪いですね」
「追跡していた女の手がかりは?」
「えーっと……確か設楽って呼ばれてました!司祭です」
『はいどうも。設楽って名前の小学生ですね?』
「あっ、ラジオさん」
谷口がポケットから携帯電話を取り出すと、そのスピーカーからラジオの声が聞こえた。この地区は彼女の権能の有効範囲であり、スピーカーが付いた機械であれば外の音を聞き話しかけることもできる。彼女と連携できるのであればこの捜査は早期終結するだろう。
『はい、見つかりましたよ。うーん司祭ってのは初耳』
「住所は分かるか?」
『当然。急いで保護して情報を隠す必要がありますね』
殺傷能力を持たない駄菓子を作り出す程度の権能とは言え、司祭は概念防御を持ち単独で国を壊滅させることができる。蓮向かいだけでなくテロリストや各国が求める余りにも高価な人材。世間にその存在を隠すことは当人を守ることにも繋がるのだ。
「あの子、バッグから無限にお菓子出してましたよ」
『へえ、無限に出るなら全部バイオ燃料にしますか』
「発想が合理的過ぎる……」
「殺傷力がないのはいい。問題は相手が子供だということだ」
子供は別に純粋な生き物ではない。だが大人と比べて別種の複雑さを持っている。司祭の異常な身体能力と概念防御はどんなことにも利用でき、何をするにも力が足りない子供の背中を押してしまう。強盗、殺人、その証拠隠滅まで。
『子供は残酷ですからねえ。何しでかすか分かりませんよ』
「現にお菓子配ってますし……」
「……それで済めばいいがな」
「……えっ?」
【3】
蓮向かいの基地内、カウンセリングルームの扉を開け染野が廊下に出る。いつも通りの無表情を顔に張り付けて彼が歩き出したその時、偶然そこに通りがかった藍川が足を止めた。
「染野じゃないか。何してるんだこんなとこで」
「……カウンセリングのスケジュールが入っていた」
「ああ、義務だもんな。よくやるよお上も」
働く職員のストレスをチェックすることは大きな意味を持つ。あらゆるリスクを軽減する為には適切な労働を行う必要があるが、この組織は仕事柄精神を病む者が多い。特に司祭は自身の弱点や概念防御の弊害に苦しめられやすい。
裏切りを防ぐにはこういった地道なことも不可欠だ。
「裏切りなんて過去に二回……いや、公式には一回だってのに」
「俺は……受けても特に感じなかった」
「まあ、カウンセリングが必須よりは無縁の方がいいさ」
「そういうものか」
染野飾身、藍川に並ぶ程に人間味のない少年。谷口は感じても揺らがない人物だが、彼の場合はそもそも感じることがない。人間らしさが欠落したその姿はどこか藍川に似ているが、第三者からすればサッパリ分からない話だろう。
カウンセリングの必要はない。少なくとも、今はまだ。
「カウンセリングの結果が悪いと仕事できなくなるからな」
「……」
「適度に休みは欲しいが、あの事件を追えないのは勘弁して欲しいよ」
Ω+という最強の称号を持つ彼は組織内でも引っ張りだこ。休暇は殆どなく、あったとしても急遽招集され仕事に駆り出される。休みは先へ先へと伸ばされ金も貯まっていくものの、使う機会がなければどうにもならないのが現状だ。
その時、ふと染野がある疑問を持つ。
「……カウンセリングに引っ掛かったことはあるのか?」
それは純粋な疑問。引っかかった場合は具体的にどのような対応が取られるのか、どうすれば再び働けるようになるのか。彼はもしもの時の為の知識を得ようと思っただけで、それ以外のことは考えていなかったのだ。
藍川が笑う。
「そりゃお前、俺はもうとっくに働くことを禁止されてるぞ」
「……えっ?」
「でも俺はΩ+だ。カウンセラーの命令なんて無視できるんだよ」
やるなと言われたところで、止めるだけの力を持たない以上は何の意味もないのだ。Ω+の司祭である彼を止める方法はあまり多くない。力も法も、今の彼の前ではただ無力だった。精神的に働けない状態であっても藍川は一切止まらない。
彼の考えていることが分からず新たな疑問が生じる染野。
「……?それって……」
「ああ、居た居た」
その時、会話をぶった切ってラジオが現れる。藍川が彼女の方を向いたのを見て会話が終わったのだと思い、染野は無言でその場を立ち去った。彼女が近付いて向かい合う。
「どうしたラジオ」
「鑑識から報告が来たの。前回のミールメーカー事件のこと」
「何が分かった?」
「血痕は確認できたけど、死体は確認できなかった」
「やっぱり死体に何かあるわけか……」
ミールメーカーが起こした事件は未だに全貌が分かっていない。犯人死亡や被害者の救助によって一段落したものの、その裏で何が起きていたのかを蓮向かいは知らないのだ。
「レジェさんを招集して捜査したけど、不明な点が多すぎる」
「流石に音だけじゃ無理だ……どこに行ったかまでは分からないだろ」
「キーワードは概怪と……『ギョロ目』か」
ミールメーカーがその死の間際に発した『ギョロ目』という言葉。それは人なのか概怪なのか、または組織のことなのか。彼に概怪を貸与したスポンサーは一体何を考えていたのか。謎は尽きない。
「ギョロ目っていうのは初出のワードじゃない?」
「そうだな。だが、スポンサーについては過去に情報がある」
「過去に?」
藍川は既に経験しているのだ。正確には、グラスと粳部もだが。
「広陵団のテロは事件後に死体が消滅した。そして、司祭の貸し出しがあった」
「……ああ、あの時の」
「やはり、この二つの事件のスポンサーは同じだ」