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【10】


 早朝、小鳥がさえずる中で双眼鏡を構える粳部と映画監督。粳部の提案で交代しながら監視業務を行っていたが、精神的な疲労はかなり蓄積していた。司祭の映画監督は仕事慣れしていることもありこの程度で疲れはしないが、根が一般人の粳部からすれば肉体はともかく精神的な疲労は相当なものだった。

 しかも、風呂に入っていない。

「……朝になりましたね」

「で、ジェイソンの功罪は重くてだね」

「いつまでスプラッター映画の話してるんですか!」

 昨夜から監視を行いつつ処刑についての話を粳部にし続けていた映画監督。興味がない上におぞましい話をされ、彼女の精神的な疲労は限界近くまで溜まっていた。不死身の肉体は疲労知らずで二十四時間稼働し続けるが、残念なことに普通の人間の精神は二十四時間の稼働には向かない。

 双眼鏡から目を離して柵に寄りかかる疲れ切った粳部。

「はあ……幽閉されている理由がよく分かった気がします」

「上層部は相当私を恐れているらしい。逆らう気はないのだがね」

「……その、不便ですよね。地下に幽閉されるのは」

「まあ、私の映画を広められないという点では不便だよ」

 部屋の中では自由なものの任務以外では外出ができず、組織に全てを管理される命。倫理観はまるでないが、室内での扱いの良さや安全管理の観点では百点満点のやり方と言えるだろう。自由はないものの給料は桁違いの額が与えられている。しかし、幽閉されているとあまり金を使うことがない為に無駄になることが多い。

 彼は監視を止めずに話を続ける。

「だが、彼らの判断は全てが正しい。実に合理的でよくできたシステムだ」

「……正気ですか?自分を閉じ込めたシステムですよ?」

 しかし、それでも彼の態度は変わらない。穏やかな表情のまま静かに語り続ける。まるで、聖人のように。

「むしろ評価に値するさ、彼らは私の心までは調べられない。当然リスクと判断するだろう」

「でも、犯罪をするつもりはないんですよね……?」

「……?犯罪って何だい?」

「いや、誰かを無差別に処刑したり……」

 彼女がそう言った途端、監督が大きな声で笑い始める。何故笑ったのかを理解できずに彼女は困惑し続けるが、彼からすれば笑わずにはいられなかった。粳部が自分を無差別に処刑を行う殺戮兵器か何かと思っているだなんて、そんなトンチキなことがあるとは少しも予想できていなかったのだ。

「私は誰も殺さないよ。法に則り全てを公正公平に行うだけさ」

「えっ?あ、あんなに処刑好きなのにですか?」

「法律を犯すつもりはないよ。今までもこれからも、私は法を順守し続ける」

 彼は一見すれば残虐な趣味を持つ人物でしかない。しかし、その実態は法に従う公正公平な裁定者。そこに一切の例外はなく、ただただ法を順守し従い続けるのみ。処刑が挟まることはなく、異常な男はどこまでも普通な男として振る舞い続ける。誰一人として傷付けることなく。

「私は権能で人形を人の形にできる。役者はそれで足りているよ」

「……誰も殺していなければセーフってわけですか」

「それはそうだろう。法以外で人を縛れるものはないからな」

「う、うーん……それは何というか」

 倫理的な問題点がある。人の形をした人形でも、人と同様に喋り苦しみ血を出すことができる。それを撮影した映画は残虐なものではないのだろうか。そこには意識も人格もなく、ただ映画監督の書いた台本に従って動く人形だけがそこに居る。しかし、それを観た者が一体何を思うのか。

「祭具の人形とは言え……観た側からすれば確かに死んでるわけで」

「ふっ……それは私の書く脚本がリアルだからだよ。演技の指示も私がしてる」

「……いや、理屈では分かるんですけど」

「何だね。理屈ではセーフなんだ。気にすることじゃないよ」

 それは人としてどうなのかとツッコミたくなった粳部だったが、彼にそんなことを言っても無駄だと思い止める。映画監督に常識や普通という概念で渡り合おうとするのは失策だ。彼が未だ何の犯罪も犯していないのは、法律が彼を止めているからなのだから。

「この世界は自由だ。ルールを破らなければ何だってしていいんだから」

 その時、彼女はあることを思いつく。

「……もしも監督さんが司祭じゃなかったら……我慢できずに人間を処刑しましたか?」

「いいや、かなり堪えるが法を破りはしないよ」

「じゃあ……もし法律がなかったら?」

 仮定の話に意味はない。だが、予め想定しておくことは自分を見つめなおすきっかけになる。そういう意味では一欠けらの意味はあるだろう。しかし、絶対に起きないケースの想定に意味はない。

「もちろん殺すよ。人殺しが罪にならないのなら、私を止めるものはない」

 この男の行動原理は至極単純。法律があればそれを遵守し、法律を破らずに処刑という自身の欲求を追及する。法律がないのであれば当然のように破り守らない。法律に全て従うという点では彼は国民の鏡であり遵法精神に満ち満ちた人物と言える。

 しかし、遵法精神があることは善人であることとイコールにはならない。

「粳部君、私の良心は法律に依存しているのだよ」

「……でも、普通の映画も撮れるのに」

「それは違うな。あくまで私は処刑の儀式性に惹かれているだけなんだ」

 粳部が悲しい表情をする。彼にも少しは普通の心があると、人間らしい人物だと思いたい粳部であったが現実はそう甘くない。映画監督という男は非常に淡白で機械的な人物だ。何もかもが合理的で整った電卓のようなシンプルな男。

 ほんの少ししか心を持たない完成された人間。

「罪人の身を清め、儀式に則って死への道を舗装。そして死で処刑という儀式が完成する」

「……」

「実に安らかで清らかで、人の心を動かす儀式だよ」

 ここまで一緒に仕事をしているとそれなりに慣れが生じるものだ。コミュニケーションに難がある彼女もそれなりの関係になったと自負していた。しかし、二人の間には根本的な違いがある。人間としてそもそもの違いがある。

 その時、二人の耳元の無線機にノイズが入り藍川が喋り始めた。

『目星が付いた!谷口が捜査を手伝ってくれて進展があったぞ!』

「本当ですか!?」

『ミールメーカーは鉱毒の被害者だ!秋田県の温泉街出身の無戸籍児の可能性が高い』

 謎に包まれたミールメーカーの正体がようやく暴かれ始める。正体不明の殺人鬼は人間であり、人の手でどうにかできない筈はない。つまり、蓮向かいに解決できない筈はないのだ。

『当該の無戸籍児はヤクザの使い走りとして生活。以降行方不明だ』

「そのヤクザは洗えないのかい?」

『一人を残して全滅。その一人も一度見かけたくらいらしい』

 情報源が極端に少なく、あやふやな点があるもののそれに頼らざるを得ない状況である。しかし、この貴重な情報を下に網を広げればミールメーカーに辿り着ける筈だ。ヤクザの使い走りとして生き、戸籍もないのであれば情報源は絞られる。

『だが、もう死んだヤクザと親密な関係だった疑惑のある男が居る』

「その人がミールメーカーだったりして!」

『いや、戸籍があるし顔が全く違う。健康診断の記録もある』

「違うかあ……」

 戸籍があるのであればそれはミールメーカーではない。また、彼が鉱毒の影響を受けているのであれば健康診断の際に判明するだろう。しかし、そのような異常等は判明していない。また、暗号の内容がミスリードだったとして、素性が割れている人物にあの犯行ができるのかという疑問が残る。

 しかし、藍川は一つの答えを持っていた。

『だが、そいつはここのマンションに住んでるんだ』

「……本当ですか!?」

『二〇二号室に住んでいて、目撃情報がないが口座に動きがある』

「ミールメーカーの目撃情報はこのマンション。そいつが奴と接触した可能性があるね」

 ヤクザを経由してその男がミールメーカーと交友を持った可能性があり、このマンションで何らかの接触を取っているのだとしたら辻褄が合う。ミールメーカーがこのマンションに現れる目的としては、これを除いては次のターゲットの下見くらいしか考えられない。

 その時、無線に谷口が割って入る。

『話してるところ悪いが、本部にその男の確認をしたら分かったことがある』

「はい?」

『三十分前、彼はピザのデリバリーを頼んでいる』

 つまり、今現在その部屋には住人が入っておりピザを注文したということ。受け取るには必ず扉を開けなければならない為、その男は確実に姿を現す。しかし、男を確認したところで何をするべきかが粳部には分からないことだった。

 その時、映画監督が双眼鏡を投げ捨てると屋上の出入り口に向かって走り出す。

「監督さん!?」

「粳部君!良い作戦を思い付いたぞ!」

 粳部が彼の背を追って走り出す。彼は扉を開けると階段の吹き抜けを飛び降りて一階に着地する。粳部も一瞬やろうかと考えたが、自分がやったら足が壊れると考えて躊躇し止める。彼女が全速力で階段を駆け下りると、先に来ていた映画監督は一階で柱の影に隠れて外を伺っていた。

「何ですか急に!」

「ピザ屋がもう来ている!谷口君もこっちに合流しろ」

『全く、迷惑な奴だ』

「ちょっと説明を……」

 映画監督が説明をせずに先行し自動ドアを開け外に出る。その背を追って彼女も外に出ると、彼は既に道の端で人混みに紛れていた。しかしその目はマンションの入り口に居るピザの配達員に向けられていた。足を止める粳部。

「相手は相当に警戒心が高い。普通に訪問したのでは居留守を使われる」

「そ、それがどうかしたんですか?」

「だが、ピザ屋がマンションに入ることは許可する筈だ」

「……えっ?」

 谷口が走ってやってきて三人が揃うが、それと同じタイミングでピザ屋がインターホンを押す。ピザを入れた袋を両手で持ち、家主が応答するのを待つ配達員。それを見た映画監督が歩き出すとマンションに近付いていく。その時、配達員がスピーカーに喋ったかと思うと自動ドアが開いた。

「家主が配達員を入れたな。ここからが正念場だ」

「おい、ここからどうするつもりだ?」

「私の権能は人の毛を食べると、祭具がその人物の姿に変化する」

 木製のマネキン人形が少女の形になったり、他の人の形になる要因はそれだ。本体である映画監督が飲み込んだ毛髪の情報が保存され、権能によってその姿が再現されている。彼の映画に出演する役者は全て人のフリをした人形なのである。

 配達員が扉の奥に進んで閉まったのを確認し、マンションの横へ歩いて行く三人。

「これで奴は配達員の顔を覚えた。なら、私はその顔を奪えばいい」

「そうか、そのやり方なら安全に確認できるな」

 家主は外部との接触を徹底的に断っている。目撃情報が出ない程に外に出ないのあれば、それは極度に警戒心が強いということ。普通のやり方では顔を確認することができない。ならば、自分から招き入れた相手ではどうだろうか。ピザの配達を頼み運んできた相手であれば。

 走る映画監督はマンションの共用廊下にジャンプして飛び込む。

「貰うぞその荷物!」

「ちょっ……」

 配達員が何が起きているのかを理解する前に頭を殴られて昏倒する。彼が倒れ、落ちていくピザを映画監督は空中でキャッチした。力を抑え相手を昏倒させるのは高等な技術であるものの、暴行であることには変わりない為に推奨される手段ではない。この状況ではやむを得ないことだが。

 彼を追って走る二人。

「そんな乱暴な!」

『これでいいんだよ!祭具奉納、幕は開きヒバリはさえずる』

 祝詞が読み上げられる。それは祭具が現れる前兆、司祭が自身の権能を振るう号令。監督の周囲が弱く光る。

『現代劇場』

 木製のマネキン人形がカタカタと音を立てながらそこに現れた。映画監督は転倒している配達員の髪を引き抜くと口に入れ、そのまま飲み込む。足を止めた粳部は突然の奇行に内心引いていたが、すぐに彼の権能がどういうものなのかを思い出した。

 その瞬間、マネキン人形はその姿を配達員の見た目に変わる。

「うわっ!?変身した……」

「気味の悪い権能だな」

「そう言うな。この偽物で家主に扉を開けさせる」

 寸分違わず狂いなく、どこまでも正確な人間のコピー。作り物の人形などではなく確かに生気を持っているそれは、粳部からすれば確かに人間だった。しかし、その実態は映画監督のプログラミングによって動く意思を持たない人形。そこに命はない。

 配達員の人形が歩き出し階段を上っていく。

「でも扉を開けてどうするんですか?ミールメーカーがどこに居るかは……」

「家主はもう生きていないだろう。ミールメーカーはここに居る」

「えっ!?」

 その言葉に谷口と粳部の両方が反応する。今まで彼らはこの部屋の家主がミールメーカーと関係を持っており、彼に関する情報を探る為に家主を調べようとしているのだと思っていた。しかし、映画監督が言うにはこの部屋にはもう家主は居らず、代わりにミールメーカーが居るのである。

 階段を上り廊下を覗きながら話を続ける三人。

「彼は単独行動を好む人物。家主の目撃情報がない時点で大方始末されているね」

「騙し討ちで身を隠す拠点にしたか……かなりリスキーだが?」

「この繫華街じゃ誰も隣人のことなんて気にしないさ」

 誰もが自分のことだけを考え手一杯の荒んだ町。こんな特殊な場所では犯罪も起きやすくなるのも当然で、隣人がまだ生きているのかどうかすらも誰も知らない。ならば、あり得ない話ではない。

 人形が扉の前に立ち、インターホンを鳴らす。

「どうも、ミラノピザですー」

 人形がまるで生きているかのように話をし、生きているかのように笑みを浮かべる。一階で伸びている本物の配達員と変わらない姿で。インターホンに付いていたカメラはその姿を確かに捉え、暫く経ってから遂にその扉が開かれた。ゆっくりと、ゆっくりと扉が開かれる。

 だが、そこに居たのはミールメーカーではなかった。全く違う顔の男だったのだ。


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