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7-5

【8】


「調子はどうだ?こっちは仕事が大分片付いた」

「遅いですよ鈴先輩!まあ……進捗ないので別にいいですけど」

「悪いな粳部。大捕り物で忙しかったんだ」

 別件を片付けて藍川が様子を見に来た。ビルの屋上、双眼鏡を持った粳部と映画監督が彼を出迎える。谷口は別の場所で監視を行っており、二か所からの監視に切り替えて捜査を行っていた。冷える夏の夜空の下、彼らは眠らない街を見守り続ける。

 映画監督は双眼鏡でマンションを見下ろしながら監視を行う。

「藍川、何か進展はあったかね?」

「マンションの住人について調べた。だが、似顔絵の男は居なかった」

「何者なんですかねこの人……詳細も戸籍もないなんて」

 ズボンのポケットから折りたたんだ手配書を取り出す粳部。どこにでも居そうな特徴のない手配書の男。木を隠すなら森と言うが、特徴のない男を隠すのなら人混みである。探すのは相当骨が折れる。

 藍川がフェンスに近付き足元を見下ろした。

「そもそも、彼は何をしに来たのか。狭いマンションにスタジオがあるとは思えない」

「スタジオって……まあ、動機が謎ですね」

「犯行の下見の可能性はないのか?マンションの住人の八割が女性だぞ」

「いや、実はミールメーカーの被害者は性別しか共通点がない」

 女性を攫い、子供を作って最後には処刑する。自分の中に悪魔が居るという妄想を振り払おうとする最悪の犯罪者。犯行の共通点は被害者が女性であることくらいだが、そうなると浮かんでくる疑問は何故子供を作るのか。

 藍川が小脇に抱えていた封筒から資料を取り出し見せる。

「これを見てくれ」

「何ですこれ?」

「孤児院に置き去りにされた子供の記録だ。実に四十一人」

 六年間で確認されたミールメーカーの子供は四十一人に上る。彼らは生まれて間もない状態で孤児院や教会の前に置き去りにされ、両親を知らずに育っていた。だが、その方が彼らにとって幸せなのかも知らない。自分の父親が悪魔よりおぞましい怪物だという真実を知らずにいられるのだから。

 粳部が資料に目を通す。

「DNAを調べたら被害者のDNAが検出され、そこから犯人のDNAも判明って経緯だ」

「これだけなら強姦が目的に見えますが……」

「彼はビデオ内で私は種の繁栄を願うと書いていた。殺した分、子供を作ってるのかも」

「人を数でしか見てないんですかね……?」

 確認されている被害者は十一人だが、ビデオ内で死亡が確認されているのは四人だ。もし彼が殺した分子供を作っていると考えた場合、知らない所で相当の数の犠牲者が出ている可能性がある。途端に粳部の背筋が寒くなった。自分たちが追っている相手は想像の斜め上を行く底なしの怪物だ。

 その時、映画監督が藍川の方を向く。

「問題なのはいつ生まれたかではないのかね?」

「ん?どういうことだ映画監督」

「生まれた四十一人の内、三十八人は四年以内に生まれた。一気に増加してるのさ」

「あっ……確かに三人は最初の二年に生まれてますね」

「……被害者女性も四年で増加しているな」

 最初の二年はおかしくなかった。いや、犯行をしている時点でおかしいが今程ではなかった。直近の四年の中でミールメーカーの凶行は更に過激になっていったのだ。この四年間の間に何があったのか。それを知ることはミールメーカーの正体を探ることに繋がる筈だ。

「彼のビデオは最初の二年に二本が出た。ただ、残りの二本は四年の間に出たんだよ」

「……あれ、頻度落ちてません?」

「ああ。君は観てないから分からないと思うが、クオリティも落ちてるぞ」

「知りませんよクオリティなんて!」

 人の死にクオリティもクソもない。だが、映画監督からすれば重要な問題だった。ビデオの作りが四年の間に悪くなっているということは、彼に大きなヒントを与えてくれる。その間のミールメーカーの心境の変化が何かの情報をもたらす筈なのだ。

「殺し方が雑なのさ。三つ目のビデオはナイフ。四つ目はチェーンソーだ」

「……残虐なことには変わりないじゃないですか」

「問題大有りだろう!明らかにやる気を失っている!編集もかなり雑になった!」

 悪魔の存在を世に訴えかける目的で作られたのが、あの残虐なビデオ。最初の二年は力を入れて編集を行っていたが、四年間の間に被害者が増加しビデオの作りは雑になった。これは何とも本末転倒な話だが、そうなった理由は何なのか。

「忙しくて作りが雑に……?」

「私は処刑の為に寝る間も惜しんでいるというのに……!」

『谷口だ。会話は聞いていたが、一ついいか?』

 その時、三人の耳元の無線機に谷口からの通信が入る。別の場所からマンションの監視を行っていた彼だったが、無線で三人の会話の内容に耳を傾けていた。何かあったのかと彼女は傾聴する。

『ビデオの暗号が解けたんだが、関係する一文がある』

「何?解けた?君才能あるね」

『人は恐怖から学ぶ。命はその為の燃料。夜を克服しなければならないのだから』

「……もしかして、主張を通す為の脅し目的で?」

 ミールメーカーの殺人の動機が遂に明らかになった。解かれた暗号の中には明確に答えが書かれており、謎に包まれていた異常者のベールが剝がされていく。彼は自身の、悪魔に関する妄想を世界に広める為に誰かを殺し脅しに使っていたのだ。

 粳部が呆れ果てた顔をする。

「やはり脅し……いや、警告だったわけだね」

『続きがある……悪魔が殺せと囁く。奴は私の右耳を奪った。あの川は死の源泉だ』

「……右耳?」

 重要な単語がある。右耳が奪われたというのはどういう意味なのか。あの川は死の源泉という言葉も何らかの意味を含んでいる。必死に意味を考える粳部だったが、持ち前の知識が不足している為に答えに辿り着けない。

 映画監督が考え込む。

「監督さん、何か分かりませんか?」

「恐らく、ミールメーカーは鉱毒などの汚染で右耳を失ったのだろう」

『その可能性はあるな。奴の育った地域を絞り込めるぞ』

「よし、俺が調べてくる。三人は監視を続けてくれ!」

 そう言うと藍川は資料を封筒にしまって歩き出す。長い間凍り付いていた事件は、六年経ってようやく進展を見せた。





【9】


「頭が痛い!」

 ミールメーカーが机の上の物を薙ぎ払う。机に倒れてのたうち回る男は倒れたコップを掴むと、ふらふらと歩いて棚に向かい酒の瓶を取り出す。彼は震える手で酒を溢れる程注ぎ込むと、胸ポケットから鎮痛剤を取り出して酒と一緒に飲み干した。絶対に正しい飲み方ではない。

 ソファに倒れ込む。

「クソっ……うるさいぞ!お前の思い通りにはならない!」

 誰も何も言っていないというのにミールメーカーは一人で叫ぶ。その声に返答する者も当然居ない。激しい頭痛と幻聴に悶え苦しむ彼はソファで暴れ、薄暗い照明の下で苦しみ続ける。

 暫くすると痛みが和らいだのか落ち着きを取り戻し、ミールメーカーが上体を起こした。

「ぐ、愚民に叡智を授けないと……やはり悪魔には勝てない……!」

 異常な男の発言に意味はない。自身の妄想を実現する為に犯行を繰り返し続ける怪物が、まともなことを話せる筈がないのだ。

 ミールメーカーは立ち上がり、まだおぼつかない足取りでは廊下に出る。床も壁も天井もコンクリートで囲まれた広い空間に窓はなく、閉鎖された息苦しい世界は酷い圧迫感を持っていた。そんな廊下を歩き続け、端の部屋の扉を開けると中に入る。

 部屋の奥にはいくつものベッドが設置され、カーテンで中が見えないようになっていた。

「ギョロ目め……仕事が多いんだよ」

 カーテンに近付きそれを引くと中に入るミールメーカー。ベッドに横たわっていたのは四肢を失い拘束された女性。目と耳、口を縫われた憐れな女は外界の情報の殆どをシャットアウトされ、点滴やチューブからの栄養摂取がなければすぐに死に至る状態だった。

 これはもう人間ではない。

「……こいつはもう駄目そうだな……来い三番、出荷だ」

 彼がそう呟くとベッドの影から一体の概怪が現れる。二つの頭を持ち両目を縫われた奇妙な怪物は小さく奇声を上げながら、女性の体に触れるとそれを液体のように吸い上げて取り込み影の中へと消えていく。ベッドにはもう誰も残っていなかった。

 彼はベッドに背を向けてその場を離れ、部屋の奥に居た別の概怪を見つめる。

「成長の促進か……あれのおかげで生産量は上がったが……何だこれ」

 十字架の形をした奇妙な概怪が、彼の視界に鎮座していた。ミールメーカーの召使のように行動する概怪達。それは決して彼が特別な力を持っていたりするわけではなく、全てはギョロ目の力によるものである。ミールメーカーは概怪のことについて何も知らされていない。

「概怪って何だ……ギョロ目は何をするつもりだ」

 ある日、彼に協力したいと言って現れた謎のスポンサー。ギョロ目は見返りに死体が欲しいだけと言って彼と契約を結んだが、数年経った今でもミールメーカーにはその目的が見えてこなかった。しかし、そんなことは彼にとって重要ではない。

「まあ、いいか」

 彼にとっては、脳内の妄想の悪魔を振り払うことの方が優先事項だった。


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