【5】
「……ただいま戻りました」
「やあ、買ってきたかい?」
深夜、コンビニのレジ袋を持った粳部が車内に入ると映画監督が歓迎する。後部座席の谷口はノートにボールペンで何かを書き続け、顔を上げることすらもしなかった。彼女は助手席に座りレジ袋を漁る。注文の品であるアンパンと牛乳を映画監督に手渡すと、彼は両手で受け取りつつ視線は窓の外に向けられていた。
夜も更けた頃、町はネオンと喧騒で彩られている。
「これだこれ。捜査はアンパンと牛乳に限るね」
「……中々律儀ですね」
「ドラマの定番だろう。一度やってみたかった」
そういうところは庶民的だというのに、映画のセンスだけ常識外れの異常者なのはどういうことなのだ。粳部はそんなことを考えながら、レジ袋からおにぎりとお茶を取り出して谷口に手渡す。彼は軽く礼を言うとすぐには食べずに再びノートに何かを書き続ける。
「犯人は依然来ませんか……」
「まあ、このマンションで目撃された理由も不明だからね」
「そもそも、このマンションに何があるんです?」
「現在、住人の身元を洗ってると藍川から連絡が来たぞ」
他の仕事と平行してよく進められるものだと感心する粳部。優秀な人材程マルチタスクが得意なもので、長年の経験と勘を駆使しながら効率的に捜査を行うことができる。同時に三つの仕事を進めている藍川は、捜査をしながらラジオとの口論ができる程の余裕があった。
彼女がインパネの上に置かれた指名手配書を手に取る。
「この適当な手配書……ホントに似てるのか不安になりますね」
「手配書は似過ぎないように手を抜いている。印象に引っ張られない為にだ」
「よく知ってるね谷口君」
「……これでもΩだ、俺は」
指名手配書をインパネの上に置くと粳部は外を見渡す。まばらな人の往来の中に手配書のような顔の男が居るかどうか、見極めなければならない。どこにでも居るような顔をした大犯罪者、ここで止めなければ次回作のビデオが公開されてしまう。
映画監督がアンパンの袋を開封した。
「時に粳部君、『血の祝祭日』という映画を見た事は?」
「見たことないですけど……もう想像つきます」
「古いホラー映画だよ。肉体を解体する描写は実に革新的だった」
「……想像するんじゃなかった」
粳部はホラー映画は割と好きではあるが、それはどちらかと言うとホラーの要素よりもミステリーの要素に惹かれている面が強い。グロテスクな描写は大の苦手であり、幽霊や妖怪と言ったものの中でも血が出ないものを選んで試聴しているのが彼女。
「グロいのは勘弁してください……マジで駄目です」
「まあ、そこに関しては私も同意だ」
「……はいっ!?」
「そんなに驚くことかね」
映画監督の回答は流石に誰も想定できない。谷口でさえ今の発言に驚いて彼の方を向いてしまっている。あんなにも残虐な行為を行い残虐な映画を撮る男が、グロテスクなものを勘弁して欲しいと言ったのだ。あまりの意味不明さから誰もが困惑してしまう。
「まあ、ごく稀に撮ることがあるがね。それでも基本は串刺しだよ。私のお気に入りだ」
「……十分グロテスクじゃないですか」
「全然違うさ、主に血の量が」
「死んでることには変わりないんですよ……」
映画監督は処刑に強いこだわりを持つ。その中でも串刺しによる処刑を特に気に入り、撮影された映画の半分は串刺しで処刑されている。この処刑方法についてこの世で最も詳しいのは彼で、これからもトップを独走し続けることだろう。
彼はアンパンを口に押し込む。
「でも、たまにはギロチンや切腹もやりたくなるんだ。ほら、毎日白米じゃ飽きるだろ?」
「主食と処刑じゃ大違いでしょうが……」
「粳部、この馬鹿の相手をすると精神が削れるぞ」
「いや、分かってるんですけど……」
珍しく口を挟む谷口。彼は二人が見ていない間にいつの間にかおにぎりを食べ終え、お茶を少しだけ飲んでいた。そして、粳部はそのことに少しも気が付いていない。仮面の裏にある物を見られたかもしれなかったというのに。
彼女は映画監督の相手に疲れ頭を抱える。
「君にも見せてあげたいな。腸を綺麗に並べると中々壮観だよ」
「……はあ」
「だが、肝心なのは処刑のやり方よりも脚本を重要視すべきということだ」
「……映像だけのクソ映画か脚本だけのクソ映画かってことか?」
「谷口君は中々に手厳しいね」
意訳すれば、相手をしない方がいいと言った谷口自身が映画監督の相手をしていることに困惑する粳部。いい加減に文句を言いたくなったのかと考える彼女だったが、その声色に悪意が混じっていないことに気が付く。
粳部が谷口の方を見ると、彼は相変わらずノートに何かを書いていた。
「谷口さん何書いてるんですか?」
「被害者の映像の中にあった暗号を解いている。何かヒントの可能性がある」
「暗号……?」
「四本の映像の内、初期の二作には暗号が仕込まれているのさ。後期の二作は何もないがね」
残虐な処刑を行うミールメーカー。人間の尊厳をどこまでも奪う怪物が残した四本の映像は、普通の人間が観れば正気でいられなくなる呪いだ。一度見てから十二時間も経ったというのにそれは彼女の脳裏にこびりついて離れず、一つの疑問と一緒に残置されている。暫くはこの事件のことを忘れられそうにない。
「殆どの暗号は解析されているが、一つだけ解けていないものがあるんだよ」
「他の暗号はどうだったんですか?」
「私は羊飼いを騙した。囁いたのは本当に天使か。などなど、不思議な言葉だけだよ」
そう言って映画監督は車内に積まれていた書類を彼女に手渡す。粳部がそれに目を通すと、そこには『私は羊飼いを騙した』『囁いたのは本当に天使か』『西の星の光は正しいのか?』『天使が既に乗っ取られていると何故誰も気が付かない』などの一見すれば意味の分からない内容。だが、彼女には心当たりがある。
「ミールメーカーは特定の宗教への否定が目的なんですかね?」
「その要素を多く含んでいるね。彼の儀式は実に反抗的なものだ」
「と言うと?」
「彼は処刑の中で『お清め』と称して塩を撒いているが、塩が穢れを祓うのは神道と仏教だけだよ」
日本の宗教以外で塩が穢れを祓う物と考えているものは少ない。別の宗教の要素を持ち出してまで否定をするとなると、この犯人の異常性はある種の筋が通る。常人には理解できない手段ではあるが、彼の目的は見えてきた。
映画監督が牛乳を飲み干す。
「しかし、私の推測では彼自身は無宗教だろう」
「ん?神道と仏教は?」
「日本人は宗教の影響を自覚できない。経験から塩は穢れを祓うと思ったわけだよ」
「被害者の失踪場所からも犯人は日本人であることは確実だ」
「で、宗教への興味はないものの悪魔への造詣は深い……しかし、ここが妙だ」
理解できるようで理解できず頭がパンクしそうになる粳部。しかし、依然として興味がある為にやる気自体は失われていない。異常な犯行を繰り返す犯人の深層心理。悪魔のような犯罪者がこれからどこに向かおうとしているのか、彼らは知らなければならなかった。
「彼は悪魔を否定する発言と、肯定する発言をしている」
「悪魔崇拝者ってわけでもないんですね」
「ならば、犯人は一体何なんだ」
「彼は恐らく悪魔に憑りつかれた精神病患者。過去に悪魔払いを受けた経験があるね」
そう言うと彼は足元にあった資料の束を取り上げると紐を解き、中から二枚の紙を取り出して内容に目を通す。そしてある個所を見つけると粳部に見せた。その報告書の中には悪魔祓いを受けた患者についての記録があった。
「一時間前に調べさせたらビンゴだ。容疑者の中に悪魔祓いを受けた男が居る」
粳部が書類に目を通しその内容を読み取っていくと、ある発言の内容が目に留まる。
「悪魔に憑りつかれたと言う男が、悪魔祓いを求めて霊媒師の下に来たとか」
「……羊飼いは騙された。悪魔は天使を騙る……俺の中に悪魔が居る……これって」
「ビデオの中で繰り返される言葉だよ。彼は悪魔に憑りつかれた妄想をしている」
何度も使われる度に粳部の脳裏に蓄積されていく言葉。悪魔に対しての警告が書かれていると思いきや、『三位一体を侮辱する』という言葉や『私は羊飼いを騙した』などの悪魔側の言葉もビデオには紛れていた。それが意味したことは、悪魔の人格に悩まされる極めて普通の人格の人間が居たということ。
粳部が紙を捲ると、二枚目の紙にはどこか見覚えのある顔があった。
「あれ……これって」
「男は悪魔祓いでは治らなかった。そして会計時、男はある物を所持していた」
「えっ?ああ……パスポートと身分証ですね」
「彼は慌ててバッグから大量の身分証を落としたのさ。それは彼が常に身分を偽っている証拠だ」
簡単に身分を偽装できるということは、本当の名を名乗ることはあまりないということ。裏社会に精通した住人であり、簡単には正体を探れないように入念に偽装工作をしているわけである。
そして、粳部は再びインパネの上に置かれた指名手配書を手に取る。書類にあった顔と見比べた。
「……案外、似てるじゃないですか」
「だろ?こいつを最有力候補にしたんだがね、一枚上手だったよ」
「まさか、別人だったとか言わないですよね」
映画監督が前を向き、お茶のペットボトルの蓋を閉めた谷口が口を開く。
「蓮向かいの全データベースを参照した。これに似た顔の男は存在しない」
「……はい?」
「戸籍どころか名前も不明。片手の指よりデータのない男だ」