【3】
「そこまでだ粳部。戦闘は無意味だろう」
「この状況で何を……!」
男に殴りかかろうとする粳部の腕を谷口が掴む。圧倒的な力で抑え付けられた粳部は目を見開いて彼に訴えかけるが、仮面を被った谷口にその視線は届かない。どこまでも冷静な彼は少しも影響を受けず、淡々とした口調で話し続ける。まるで、誰も死んでいないかのように。
「死人は居ない。彼は誰も殺していない」
「間が悪かったな……粳部、そこに倒れてる人形を見てみろ」
「人形って……えっ?」
彼女が海坊主の抱えている少女の方を向くと、そこに居たのは少女などではなく木製のマネキン人形だった。海坊主が手から離すと地面に落ちて跳ね、当然力なく地面に倒れる。まるでさっきまで生きて叫んでいたのが嘘かのように、生気の欠片もない人形がそこにあった。
藍川とラジオが彼女らに近寄る。
「それその人の祭具で、人間の見た目になれるんですよ」
「じゃ……じゃあ、誰も死んでないと?」
「当然だろう。蓮向かいの職員が殺人を犯すとでも?」
何を当たり前のことをとでも言いたげな声色で話す男。粳部に急襲されても余裕の表情を崩さない男は、マネキンに手をかざすと操り人形のように動かして立ち上がらせる。そして自分の下まで歩かせていった。
「こ、これが権能ですか!?」
「撮影中だというのに迷惑な連中だよ。セットにいくら掛けたと思ってる」
「撮影だと?」
「ご紹介します。彼の名前は映画監督、クラスΩ最強の司祭です」
クラスΩ、それは蓮向かいにおける上澄み達の頂点。Ω-と比較してその数は極端に少なく破格の能力と格を持つ怪物。Ω-はギリギリΩの分類だというだけで、真の怪物はΩだ。映画監督は谷口と同格のΩの等級だが、彼はそのΩの中でも最強の存在なのである。
「そうとも、私は映画監督!物語に全てを賭けた男さ!」
蓮向かいの地下深く、厳重な警備の鋼鉄の部屋に監禁する必要がある危険人物。Ω最強の男はそこでただ映画を撮っていた。監督がカメラを止めに歩いていく。
「鈴先輩これどうなってるんです?」
「どうもこうも、映画監督はこういう男だ。趣味が最悪のΩ最強な司祭だよ」
「彼はその残酷さから上層部に危険視され、基本的にここで幽閉されてます」
「……噂では聞いたことがあったが、これがか」
監督がカメラを止めると衣装を脱いでハンガーに掛け、テーブルに置かれていた飲み物を取ると椅子に腰かける。どこまでも余裕な男に来訪者への動揺はなく、粳部はその異常者が確かに実力者であることを実感する。いくら不死でも粘り勝ちができるような相手ではない。
「残酷な……スプラッター映画を撮影して、実際の処刑の映像も集めている変人ですよ」
「変人という言い方は悪意があるな。ここは殉教者と言って欲しいね」
「……何言ってるんですこの人」
「現在進行形で殺人してるから入りたくなかったんです」
実際に人が死んだわけではない。ただ、彼の撮影の中で人の形をした物が槍で刺されていたことは事実だ。壮絶な悲鳴を上げていたことは変わらず、粳部の脳裏にはその悲鳴が焼き付いている。夢に出そうな程の壮絶な光景は暫くは忘れられそうになかった。
「これは私の権能だよ。本物の人間が死んだわけじゃないさ」
「だからって見た目は本物なので、ねえ?」
「死人を出さずに処刑をしてるんだ。文句は言わないで欲しいね」
「そ、そういう問題じゃないでしょ……」
粳部の困惑は止まらない。本物の人間ではないとはいえ残虐な行為をしていたものの、何の法も犯していない為に彼を裁くことができないのだ。そして、彼を倫理的な問題で責めることはできない。そんな理由で責めることができる人間ならばこの地下深くに収容されてなどいないのだから。
そう言った粳部の方を向く映画監督。
「君は初めて見る顔だね。そこの仮面は同じΩだから知ってるが」
「えっ……ああ、粳部です」
「ご存じとは光栄だなΩ最強」
「彼女の等級はまだβ-ですが、申請して立ち入りを許可してもらいました」
この地下空間への立ち入りはγ以上でなければ許されていない。しかし、今回はラジオが事前に申請したことにより立ち入りが許可されていた。それはγでなければ信用できないということであり、身の安全は保障できないということでもある。
その時、監督が笑顔を浮かべて立ち上がった。
「観客はいつでも歓迎しよう!私のとっておきの映画を披露しよう」
「えっ……とっておきって」
「お前スプラッター映画しか撮らないだろうが。そんなもん観せるな」
「遠慮する必要はないぞ!私の映画はファミリー向けでもある」
そう言うと監督は歩き出し部屋の奥に向かうと、棚からDVDを取り出してビデオデッキに挿入する。リモコンを操作すると次第に青い画面が黒くなり、映画が始まってしまう。何が始まってしまうのかと身構える粳部。それを知ってか知らないでか監督は倍速にして飛ばすと通常の速度に戻す。
それは、今にも絞首刑にされそうな男の映像だった。
「血が出ないならお気に召すかな?」
「お前いい加減にしろよ!」
「ちょ、ちょっと!?」
「あー駄目だこの人」
藍川が近付いてビデオデッキからDVDを取り出す。流石にこれ以上の暴挙は我慢ならなかったのか、DVDをケースに戻すと棚にしまった。自分の映画を観せられなかったからか映画監督は残念そうな表情を浮かべ、渋々テレビの電源を切った。どう考えても反省している顔ではないと思う粳部。
「いい加減に本題に入ろう」
「つまりどの映画が観たいんだ?」
「どの映画も観るつもりないですよ」
「我々は捜査の為にここに来た。協力してもらうぞ」
逸れた話を元に戻そうとする谷口。仕事の話だと聞いた映画監督は真面目な表情に切り替える。
「それなら話が変わる。手早く始めよう」
「……この人、外に出していいんですか?」
粳部が心配するのも無理はない。この処刑が大好きな危険人物を外に出せば一般人にも被害が及ぶだけでなく、事件の犯人まで処刑してしまいそうだった。危機管理の観点から考えて、彼を外に出してまで捜査を行う必要があるのかどうか。自分達が手綱を引いて制御できるのか、粳部は疑問に思っていた。
ラジオが彼女の疑問に答える。
「まあ安心してください。彼、人を殺したことは一度もありませんから」
「……えっ?」
人を殺さぬ処刑人。彼が撮るのは命の光。
【4】
「……この人に運転させていいんですか?」
「いいも何も、私は免許を持っているよ」
「だそうだ」
自動車を運転する映画監督と、助手席の粳部と後部座席でふんぞり返る谷口の二人。幽閉されるような危険人物にハンドルを握らせていいのかと疑問に思う粳部だったが、いざとなれば二人のパワーで車ごと破壊すればいいと考えて止めずにいた。
「だそうだじゃないですよ……」
「法定速度を守って運転しているじゃないか。何か問題でも?」
「気にし過ぎだ粳部」
「こんな時、鈴先輩が居たら……いや、あの人は止めないか」
どこか天然な藍川の場合、何も気にせずに見逃してしまいそうだった。緊急事態では即座に反応する彼ではあるが、それ以外では反応が鈍い為に役に立たない。世界で一番危険なドライバーはカーナビの案内に従って車を走らせ、目的地の赤い旗がすぐそこまで近付いてきていた。
「藍川はまた別の任務と兼任か。俺同様忙しい奴だな」
「こんな興味深い事件に関われないとは、彼も運がないものだね」
「……この事件を……運がないですか」
こんな陰湿で悍ましい事件、関わらなくていいのであれば誰もが関わりたくないことだろう。粳部自身も本心を言えば関わりたくなかったが、組織を昇り詰める必要がある以上任務の食わず嫌いをするわけにはいかなかった。それに一度事件を知った以上、粳部に目を逸らすつもりはなかった。
「ミールメーカー、私の界隈では有名な人物だよ」
「えっ!?知ってたんですか?」
「女性の拉致監禁。強制的に出産、赤子を孤児院に提供。処刑の光景を撮影。正に悪夢だな」
ラジオから彼らが聞かされた事件の内容は酷いものだった。大胆かつ異常な犯行のレパートリーは、その全てを知れば酷い悪夢を見ることは確実だっただろう。捜査にあまり関係のない部分を省いて説明したラジオの判断は正しかったのかもしれない。ただし、これは粳部には毒だ。
映画監督からすればいい資料でしかないのだが。
「処刑の映像は私もダウンロードしてる。本物は本物の良さがあるね」
「……何で逮捕されないんですこの人」
「データベースに収められた資料の閲覧は罪にはならないのさ!」
世の中のありとあらゆるデータを収集するデータベースには、当然過去の犯罪などから集めた資料があり、中には被害者を辱める様な資料も等級次第では閲覧できる。それらの資料を自分の趣味の為に使う者が居たとしても、それを咎める者は居ない。これが蓮向かいの職員の特権だからだ。
「快楽殺人が目的の精神異常者の犯行だろう。よく六年も捕まらなかったものだ」
「被害者数、どれくらいなんすか?」
「恐らく十一人が拉致されているが、ビデオで四人の死が確定しているよ」
そう言うと映画監督は片手でDVDプレーヤーを操作すると、器用にDVDを入れて映像を再生し始める。暫くすると青い背景に『|I insult the Trinity.《私は三位一体を侮辱する》』という文章が表示されたかと思うと、手振れの酷い実写の映像が流れ始めた。意味を理解できずに困惑し続ける粳部への説明はない。
「あの……こ、これ何ですか?」
「一人目の被害者の処刑映像さ。つまり、処女作だね」
「ちょ、ちょっと!?再生止めてください!」
「これはビデオ屋の商品棚に紛れていて、店主が再生したことで発覚したのさ」
その店主はさぞ凍り付くような思いをしたことだろうと思う粳部。画面に映ったのは女性の背中で、誰かがその背を押して奥へと無理やり進ませる。謎の人物が止まってバルブか何かを捻ると、女性にシャワーを浴びせて何か念仏のような言葉を唱え始めた。
これが人の死ぬ映像だということは粳部も分かっていたが、それ以上にその映像には彼女の興味を引く何かがあった。かつて都市伝説同好会に所属していたこともあり、こうした謎に自然と興味を持ってしまうのである。
テロップで『禊ぎ』と表示される。
「禊ぎ……?」
「処刑は四工程で行われる。体を洗う禊ぎ、次に塩と酒をかけるお清め」
映像が変わり女性に塩と酒をかける映像が流れ、次に椅子に縛り付けられた女性に何かの言葉を語りかける謎の男が映し出される。テロップでは『転生』とだけ書かれていた。どこか不可解な音声に疑問を覚え逆再生なのではないかと分析する粳部だったが、機械がない為に調べることはできなかった。
目的地に到着したとカーナビが喋り、車が路上に停車する。
「次に来世は蛇になることを祈る転生の儀式、そして次が……」
「処刑か」
「イエス、今回は火あぶりだが」
定点カメラの映像に変わり、火の付いたロウソクを持った男が画面に映る。今まで黙っていた女性が唸るような声を上げ、それが次第に恐怖に満ちた悲鳴へと変わっていく。女性に男が近付いていくのを見て嫌な予感がした粳部は、咄嗟に映像を止めるとDVDを排出する。
残念そうな映画監督。
「ここからだったんだが……」
「もう十分です……あれ、着いたんですか?目的地」
辺りを見渡す粳部。繁華街の裏通り、薄暗い日陰に止まった車内から見える光景は退廃的な街並み。車の斜め右にそびえ立つ古いマンションは特に威圧感を放っていた。映画監督はエンジンを切るとマンションを見つめ背もたれに身を預ける。
「あのマンションで、ミールメーカーの容疑者が目撃されたんだ」
「この事件……目撃証言が極端に少ないんでしたっけ」
「容疑者も多い。だが、戸籍がない人間の犯行の可能性が高いだろう」
昼下がり、無駄に着飾った女性が往来しスーツを着た男性が店の裏口に立って煙草を吸っている。この中に犯人が隠れているのか、それともまだ来ていないのかと考える粳部だったが答えが出る筈もない。こういう時、全員が怪しく見えてしまうのが悩ましいところだと彼女は常々思っていた。
「ところで、何で犯人はミールメーカーって呼ばれてるんです?」
「被害者に大量の赤子を産ませてるからさ。何人作ったと思う?」
「……さあ、三人とか?」
「六年間で四十一人だ」
彼女の脳内が真っ白になる。
「……はい?」