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7-1

【1】


「……進展なしっすか」

「まあ、そう簡単には見つからないさ」

 パソコンの前で力なく椅子の背もたれに身を任せる粳部。蓮向かいの膨大なデータベースの海に飛び込んだ彼女であったが、結果は無残なもので疲れ果てるだけに終わった。後ろの藍川は苦笑しながら彼女を見守る。昇格したからと言って求める情報にアクセスできるようになるかは別の問題だ。

 粳部がパソコンの電源を落とす。薄暗い室内に二人以外の気配はない。

「β-に昇格したのは目出たいが、だからってすぐに情報が手に入るわけじゃない」

「ホント何なんすか……あの海坊主」

 所有者である粳部ですら制御ができず、何をしでかすのかが分からない権能。これは司祭の力なのか、それとも誰かに付与された力なのか。正体不明の海坊主がいつ現れて何を目的として行動するのかは誰にも分からない。そして、その能力の『底』と『天井』も誰にも分からない。

「報告書を読む限りではβからγくらいの強さはありそうだが」

「ずっと強いのならいいんすけど……ムラがあり過ぎなんすよ」

「……少なくとも、信用できはしないな」

 大きく伸びをして背を伸ばす粳部。

 海坊主はしょっちゅう彼女に逆らって攻撃し、彼女の行動を何度も妨害している。粳部が不死身であるが為にいくら反逆しようとしても無意味であるが、問題なのはそれがいつ起きるか分からないという点にあった。大事な場面で予想外の行動をされれば最悪、予想通りの行動をしても力がランダムで最悪。使いずらいことこの上ない。

「たまに私に攻撃しますし……」

「それ、制御できてないからじゃないか?」

「いや……それが、そもそも私に従ってない可能性があるんですよね……」

「……それマズイだろ」

 海坊主が粳部の支配下にないというのはそれなりに問題である。彼女の評価には海坊主を操ることができるという点も含まれており、それなしでは評価や信用は大きく変わってしまう。正体不明で制御できない怪物が憑りついているという報告書であれば、上層部は粳部をただの保護観察の身にしたことだろう。

 海坊主について調べる術がない為に、本当のところが分からないのは幸か不幸か。

「でも……逆らうけど不死身は解除しないって謎っすね」

「案外ツンデレなのかもな」

「人殺すツンデレなんて聞いたことないっすよ……」

「前に遭ったことありますよ」

 背後のパソコンの方に振り向く粳部。もう聞き慣れたその声の主はラジオ。スピーカーのノイズが少しも混じっていないクリアな声は、普段と少しだけ印象が変わっていた。これ見よがしに腰へ祭具の刀を差していたラジオが歩き、机に堂々と腰掛ける。彼女が自室を出られることはあまりない為、少し貴重な光景だ。

「えっ……いつから居たんですか」

「三十秒くらい前だな」

「これからお休みに入るのですが、皆さんにお仕事があるので直接来ました」

「皆さんと言うと、今回は谷口も参加するわけか」

 全員が揃って任務を行うことは全くと言っていい程になく、今回はかなり珍しいケースになる。担当の地区で仕事を行いつつ急を要する任務や人手が足りていない任務に参加する。等級が等級だけに常に忙しいこのチームはこれが久しぶりの全員集合だった。

「谷口さんは今他の基地からここに向かってますよ」

「何か新鮮ですね……一応私達四人でチームですし」

「あんまチームって感じではないですね」

「四人全員で当たる必要のない任務しかないってことだ。平和でいいだろ」

 物は言いようである。実際、γとΩにΩ+を動員しなければならないような任務はとんでもない事態だ。γですら司祭の中では上澄みだというのに、トップ層の谷口と藍川がコンビを組むなど相当の状況。大幅に弱体化した藍川とグラスが組んだ時とは何もかもが違う。

 ラジオが机から降りる。

「で、今回の任務は何すか?」

「ある司祭の護衛と、殺人事件の調査です」

 護衛という単語を聞いて眉をピクリと動かす藍川。粳部は内心、また殺人事件の調査なのかとげんなりしていたが、必ずしも司祭が絡んでいるわけではないと考え直す。仕事柄人の死にしょっちゅう関わる為、それが原因で精神的に病む職員も蓮向かいには居る。セラピーは義務付けられているものの、繫忙期に受ける暇はない。

 歩いて行くラジオの背を追って歩き始める二人。

「また司祭と戦うわけじゃないですよね……」

「まさか、ちょっとレベルが違いますが恐らく普通の人間の犯行です」

「……いや普通の人間は犯罪やらないっすよ」

 蓮向かいは司祭だけでなく普通の人間の事件も担当する。難事件、怪事件、少ないが未解事件も捜査するのも彼らの仕事だ。日夜テロリストや犯罪組織を追う彼らの休暇は少ない。改善を望む者は多いが実現までの道のりは遠い。敵はこちらの事情を鑑みてはくれないのだから。

「普通の事件にしては、司祭の護衛って不穏な単語がくっ付いているがな」

「そういや、護衛ってどういうことなんですか?」

 ラジオが振り向いて二人を見る。全てを知っている彼女はいたずらな笑みを浮かべて曖昧に答えた。

「すぐ分かると思いますよ、一目見ればね」




【2】


 エレベーターの扉が開くと、直立不動で待っていた谷口が中に入る。何も言わずあまりにも自然に入った為に粳部の反応は遅れ、彼の無口に慣れていた藍川とラジオは反応を示さなかった。エレベーターの扉が閉まると降下を再開し、地の深くまで進み始める。一行の目的地はまだ先だった。

 粳部が彼の存在に驚く。

「うわっ!谷口さんじゃないですか!」

「そうだが」

「そうだがじゃないですよ……急に来ましたね」

「他の任務を片付けてきた」

 藍川と同様に谷口の仕事量も多い。この三人が手空きになって同じ任務を行うというのはかなり珍しいこと。そして、ラジオが休暇中とは言えチーム全員が集合するのも珍しい。粳部は少し新鮮な気分だった。

 エレベーターは一定にモーター音を響かせながら下へ向かう。

「しかし、あそこに向かうわけか。俺も初めてだ」

「まあ、容易に入れる場所ではないですからね」

「俺からすれば実家みたいなもんだがな」

 会話が理解できずに疑問ばかりが積み重なる粳部。

「……あの、私達どこに向かってるんですか?」

「蓮向かいの職員の中には、自由にさせちゃいけないような人が居るんです」

 それはありとあらゆる意味での話である。精神面での問題、力での問題、政治的な問題。大量の職員を抱えあらゆることをマンパワーで解決している以上、様々な問題を抱えた者が居るのは当然のことだ。

 エレベーターが終点に辿り着き、扉が開くとラジオが先頭を進む。

「任務に駆り出すことはあれど決して自由は与えない」

「えっ、人権侵害な気がしますが……」

「ならシャバに出して被害者を増やすか?という話だ」

「彼らを守るという点でもこの監禁は合理的だ」

 険しい表情の藍川と仮面で隠した谷口。笑顔を貼り付けたままのラジオは扉の前で足を止め、警備員が見守る中でカードキーと網膜のスキャンを行う。世間にまだ公開されていない金属で作られた扉が開き、四人は先に進んで行った。基地の下層だというのに廊下は煌々と照らされている。

「今から会う人も……ヤバイ人なんですか?」

「話が通じるような通じていないような人ですね」

 ラジオがこれから会う人物について考えると、何かを感じ取った藍川が嫌な顔をする。

「おい、あいつを出すつもりか?」

「あっ心読んだね?何で祭具出さずに使えんの」

「まともと言えばまともではあるが……何ともだな」

「何だお前たち、面識があるのか」

 今から会う人物のことを知らないのは谷口と粳部だけ。事情をよく知る藍川からすれば再会を手放しで喜べるような相手ではない。ラジオと藍川の評価は概ね正しく、彼が粳部に会わせたくないのも当然の相手だ。

 暫く歩くとラジオはある部屋の前で足を止め、懐から金色の鍵を取り出す。

「こんな所に幽閉されて……働かされてると」

「まあ、粳さんも一歩間違えたらここに幽閉されてましたよ」

「……はい?」

「粳部さん、最初に受けた実験で鉄板を破りましたよね?」

 それは蓮向かいに加入した直後の出来事、長い長い調査の中で行われた実験で粳部は一枚の鉄板を突き破った。海坊主に命じさせて障子を破るように一瞬で終わった実験。あまりにも呆気なく、彼女の記憶には薄っすらとしか残らなかったのだ。

「ああ、障子みたいに破りましたけど」

「あれここの壁と同じ特別な金属なんですよ。司祭の権能で強固になってるんです」

「あれがですか!?」

「あなたを閉じ込められないと分かって、今の待遇ってわけですよ」

 あの実験結果がなければ今頃、粳部はこの四方を金属で囲んだ空間に閉じ込められていたことだろう。立場は今と真逆、訪問する側が訪問される側に。粳部からすればここに閉じ込められている人物は他人事ではなかった。

 ラジオが鍵を差し込み暗証番号を入力する。すると、扉に付いたスピーカーから職員の声が響く。

『合言葉は?』

「キャビン」

 彼女がそう答えると機械が稼働する音が響き、扉の施錠が解かれる。この中に自由を奪われた危険な司祭が居ると考えると、粳部は身震いしていた。ただでさえ初対面の人物が苦手だというのに、確実にとっつきにくい性格をした人物と会わなければいけないのは負担だった。

 ラジオを先頭に扉の先を進む。

「……ああ、残念ながらお楽しみ中みたいですね……あの人」

「くそ……最悪のタイミングだったか」

「何のことだ?」

「見れば分かるぞ」

 ホテルのような洋風の豪華な廊下を進んだ先、パーテーションで仕切られた向こう側から女性の声が響く。耳をつんざくような、絹を裂くような誰かの悲鳴。あまりにもおぞましい声に思わず足を止める谷口と粳部。それはホラー映画やドッキリで出るような声量の悲鳴ではなく、自身の声明に危機が及んでいる悲鳴だった。

 粳部の足が恐怖ですくんだ後、すぐに駆け出して声の主の下を目指す。

「な、何が!?」

「あっ、ちょっと粳部さん」

 パーテーションとパーテーションの間を通って広い空間に出る粳部。そこは室内だというのに足下に雪のような物が敷かれ、古ぼけた石の壁が設置された雪の処刑場。その中心にある十字架には少女が縛られており、不気味に微笑む男が槍を何度も突き刺している。

 遅れて入って来た藍川とラジオが苦い顔をしていたが、男は誰のことも気にせずに槍を突き続ける。

「ああ何と!何と!何と憐れな!」

「何してんだお前えっ!?」

「待て粳部!」

 制止する藍川を無視して襲い掛かる粳部。男は片手でそれを受け止め受け流すと、掌底打ちを顎に打ち込んで彼女を怯ませる。しかし、それで終わる彼女ではなく海坊主に十字架を破壊させて少女を助け出す。

「撮影中なんだがねえ!」

「こいつッ!」


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