【3】
「い、いつの間に来たんですか……」
「ん?どこかで見た顔だな」
入口に居た男女二人が
粳部を見た男が口を開く。
「Blimey, that's way more flamboyant than I expected!」
「はい?」
「すまん粳部、翻訳法術を使ってなかった」
饒舌な英語を話す男と理解ができない粳部。彼女の英語の成績はそこまで悪いわけではないが、優秀なライティングに対してリスニングの評価は並と言ったところだった。咄嗟に出た早口の英文を理解できるほどではない。
頭を抱えた藍川が三人に向けて手をかざした。
「あー伝わってない感じか?」
「あっ、い今伝わりました。凄いですねこれ」
「グラスの時は事前に俺が使ってたんだ。これで翻訳できたぞ」
蓮向かいの職員は様々な国に存在する。となると言語の壁という問題も自然に浮上してくるが、翻訳法術を使用すれば解消できる。翻訳法術が開発される前は複数言語を話せることが重要視されていた。しかし、翻訳法術の登場以降は一つの言語しか話せない者も積極的に登用されるようになったのだ。
活発そうなオールバックの男が日本語で話す。
「俺はカルラ・サンダー。カルラでいいぜ!」
「……レジェ・サンダー。よろしく」
「ど、どうも……粳部音夏です」
「声が小さいぜ嬢ちゃん!」
笑っているようで苦虫を噛み潰したような表情をする粳部。彼女はこういった手合いがあまり得意ではない。別に、学生時代の粳部はこういう明るいタイプの人間との交流がないわけではなかった。割合で言えばむしろそっちの方が多かったかもしれない。シンプルな性格の人物の方が彼女にとって付き合いやすかったのである。
しかし、根が暗い粳部には結局のところ過酷だった。
「うっ……」
「もっと堂々としろよ」
「無茶言わないでくださいよ!」
「まあ、お前は根が明るくないからな……」
「心読めるのに傷付くこと言わないで!」
粳部の心を絶対に読まない藍川には分からない話である。そもそも、天然気味の彼は権能がなければあまり人の心の機敏に聡くない。やはり藍川はよく分からない人物だと思う粳部。
「ただでさえ暗い事件なんだ。元気に行こうぜ嬢ちゃん!」
「うっさ……近所に響くよ兄貴」
「おう!音量下げたぜレジェ!」
「音量のつまみ壊れてんの?」
痴話喧嘩をするサンダー兄妹。仲が良いんだなと思う粳部だったが、少し前の彼女と藍川の痴話喧嘩もそうだと思われていたことは知る由もない。ある意味、似た者同士である。それに粳部は兄妹が居るという点ではサンダー兄妹と共通点があった。
一つ咳ばらいをする藍川。
「じゃあ、俺の名前は……」
「おっと言うまでもないぜ!あんたは鈴藍川!そうだろ!」
「あれ、お知り合いなんですか?」
「そりゃΩ+の司祭なんて滅多に居ないからな!有名人だぜ」
「それを言ったら兄妹で司祭なんて滅多にないぞ」
驚く粳部。両方が司祭だったことに衝撃を受けたが、兄妹の司祭が珍しいことも初めて知った。蓮向かいのデータベースは膨大である為に調べ物をするには難しい。司祭は遺伝しない一代限りの『現象』でしかない以上、司祭に覚醒するのは完全に運だ。親子で司祭になるケース、兄妹でのケースはレアケースである。
「そうなんすか?」
「司祭になるかどうかは完全に運だからな。遺伝しないし」
「双子に比べればレアじゃないさ!」
「双子の司祭は過去二件しか確認されてない……」
「は、はえー……」
ぐいと近付くレジェに退く粳部。口調と雰囲気からクールな人物だと予想していた彼女だったが、思いの外兄と似ていた。となれば、レジェは自由な兄のブレーキ役ではなく第二の問題児ということになる。先を思いやられる粳部。
「とは言え俺達はサンダー兄妹だ!希少価値より実力で魅せるぜ!」
「私達はいずれ天下を獲る……いずれ必ず」
「ロックだからな!」
「……癖が強くないと司祭にはなれないんですかね?」
当然だが、そんなルールはない。生きてさえいれば誰もが司祭になれるチャンスを持っている。高らかに宣言するサンダー兄妹のことを呆れたような目で見る粳部。どこまでも自由な二人には付いて行けそうにない。
「ロックがあれば何でもできる!ということでいくぞ!」
「いやどこにですか!」
「世界の果てまで!」
【4】
「世界の果てって……ただのマンションじゃないですか」
古いマンションの一室、粳部と藍川、サンダー兄妹の四人が佇んでいる。玄関を封鎖するバリケードテープを乗り越えて室内に入った彼らは、床に置かれた標識版と人型のチョークアウトラインを見つめていた。外に立っている警察官を見た粳部にはここで殺人事件が起きていたことは容易に想像できたが、司祭絡みの案件の場所に警察官が立っているとは思っていなかった。
「よし、じゃあ説明しろレジェ!」
「ちっ……丸投げ……」
司祭による犯行と思われる事件の捜査が四人の任務。粳部にとって司祭絡みの事件の捜査はこれで二回目だったが、人の死の絡む事件もこれで二回目。だというのにハチャメチャなサンダー兄妹が居るせいで緊張感は薄かった。
無表情で解説を始めるレジェ。
「先日、被害者は勤務先から帰宅後に何者かに襲撃された。そして殺害」
「殺風景な部屋だな。音楽の趣味は何だ?」
「いや……それよりこの壁、血痕ですよね」
黒く染まった壁を見る粳部と藍川。被害者の血痕で汚れたその壁は起きてしまった惨劇を示している。尋常でない面積の黒い汚れは相当量の血が流れた証拠。一体何をすればそんなことになるのか粳部には想像つかなかった。今の粳部には、思い付く筈もなかった。
無表情が険しくなる粳部。
「被害者は頭部を粉砕されたと警察は報告してる。恐らく、司祭の力」
「えっ……粉砕?粉砕って頭をですか?」
「おい、レジェ」
「まあ、司祭の力なら容易だな。加減しなかったら俺達のパワーじゃミンチだぜ」
レジェに抗議するような目を向ける藍川と、柄になく冷静に喋るカルラ。粳部は司祭が人間を殺す瞬間をイメージすることができない。自分が殺されたことはあれど客観的にその光景を見ることはできず、強さの印象は残れどそれが人間に振るわれる姿が思いつかないのだ。
「そんなこと……そんなことって」
「司祭にとって人間は壊れ物の玩具……このくらいはよくあること」
「犯人の目的は何だ?」
「不明……でも、食品だけが家から失われてた……金はそのまま」
「むっ、こいつ演歌のカセットテープしか持ってないぞ」
金銭は一切手を付けられず、食品だけがこの部屋から失われたという事実。状況から見れば普通の強盗殺人のように見える状況だが、食品だけというのが粳部と藍川の中で疑問となった。何故それだけ持っていくのか、司祭の力がありながら何故そんなことの為に人の命を奪ったのか。
話を聞かずに勝手に他人の部屋のカセットテープを漁るカルラ。
「食品だけって……もしかして、そういう弱点だったり?」
「食べ物を摂らなければ死ぬ……居たな、そういう司祭」
「なら……金を奪って食べ物を買った方が効率が良い……」
「そりゃそうだな。でもそうしてないってことは、何かワケありなんじゃねーのか」
ふざけていると思いきや途端に真面目になるカルラ。あまりこういった捜査には向かなそうな彼ではあるが、疑問を持つことはあるようだった。馬鹿そうに見えて意外と頭が回るタイプなのかもしれないと考える粳部。
「兄貴……変な物でも食ったの」
「おう!さっき落ちてるコーラ飲んだ」
「えっ!?あれ買ったんじゃなかったんですかカルラさん!?」
「俺はケチだぜ!」
「威張れることじゃないっすよ……早く吐いてきてください」
まあ、司祭に毒は通用しない。並大抵の毒は概念防御に弾かれ、例え消化できないような石だろうと金属だろうと司祭の胃は消化する。概念防御がある限り司祭は無敵だが、その恩恵をイマイチ感じ取れない粳部からすれば分からない話だった。
驚いたり呆れたりと表情筋が忙しい粳部。
「でも、犯人の目的は食べ物の可能性が高い」
「……と言うと何だ?」
「この事件の前に起きた司祭の犯行と思われる空き巣でも、食べ物が現場から消えてた」
「その時も誰か死んだんですか?」
「いや……家主は不在だった」
レジェの回答に少しだけ安堵する粳部。人死にの案件に慣れていない彼女からすれば、誰も死んでいないのであればそれで万々歳だった。しかし、レジェの回答で益々謎は深まった。犯人の目的が人の命ではなく食べ物だと言うのなら何故金を取ろうとしないのか。もしや本当にそういう弱点なのか。
「玄関ドアが司祭の筋力で破壊……食品だけが盗まれてた」
「……まあ、そういう弱点だと仮定しましょうか。で、どう調べます?」
「まず俺が一曲弾こう」
「却下で!」
「指紋や唾液等は見つかってないのか?」
カルラが何の解決にもならないことを言った後、藍川が具体的に犯人を絞り込む為の方法を模索する。この現場で一番役に立つのは藍川、次点でレジェ、自分、最後にカルラだと思う粳部。まさか新人の自分がまだマシなレベルだとは思っていなかった。
「指紋は見つかってる。でも記録がない指紋……進展はなし」
「となれば類似の案件を洗いながら目撃証言をマンパワーで集めるか」
「ああ、捜査の基本ですね。足で稼ぐってやつ」
「じゃあ、出かける前にレジェの権能使っとくか!」
思ったよりも知的な提案が出たことに驚く粳部。司祭が二人居るのならば当然二つの権能がある。飾身のような戦闘用の権能か、それともラジオのような非戦闘用の権能かの二択。どちらかが後者の可能性があった。
「えっ、どういう権能なんです?」
「兄貴はいつも私だけを働かせる……」
「仕方ないぜ!俺は戦闘能力が高い代わりに捜査能力は低いぜ!」
「はあ……やるか」
大きなため息を吐いて三歩後ろに退くレジェ。司祭が祭具を解放し権能を天から授かろうとしている。弱点を背負う代わりに力を手に入れた司祭がどんな無法な力を振るおうとしているのか、粳部は食い入るようにレジェを見つめる。
右手を差し出すレジェ。
『祭具奉納、命と繋ぐ電子の綱よ』
祝詞が唄い上げられ、彼女の手の中に小さな光が生まれていく。
『
それは何の変哲もない携帯電話。近年急速に普及し、どこにでもあり誰でも持っているようなそんな普通の携帯電話。レジェ・サンダーの祭具はそれだった。
粳部は何故か持っていないのだが。