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5-5

【6】


「なあー店長居ないの?」

「……藍川か?奴なら仕事だ」

 強烈に強い日差しの中、それらを少しも気にしない少年たちが駄菓子屋の店内に入って来る。店主不在により店番を任せられた谷口は、不服そうに椅子に深く座りながら来客を出迎える。接客は彼の専門ではない。しかし、子供の面倒を見るのは彼の得意分野だった。

 不本意ではあったが。

「えー居ないのかよ。つまんねー」

「仕事って何だよここが職場でしょ」

「大人には色々あるんだよ」

 藍川は二日連続で店を開けている。雨田のスカウトに予想外の時間がかかり、追加で一日任されることになった。たまたま休暇を消費しているタイミングだった為に手空きであり、仕事もないことからほぼ押し付けられる形で店番を任されたのだ。不満だらけではあるが、今は谷口にできることは子供相手に駄菓子を売ることだけ。

 子供が三人ほど店内に足を踏み入れ、店内は子供で騒がしくなる。

「店長いっつも遊んでるけど」

「まともな大人じゃないじゃーん」

「あいつ何て言われ様を……」

「これくださーい」

 カウンターに載せられた硬貨とキャラメル。谷口はそれを掴んで乱暴にレジに入れると、お釣りを少女の手に優しく手渡す。残念なことに谷口にレジの経験はない。ため息を吐く彼の表情は仮面で隠され、その奥の素顔を知る者は一人も居ない。受け取った少女は嬉しそうにしながら店を出ていく。

「ありがとー」

「おう」

「店長居ないと暇だな」

「そうだなー店荒らすか」

「おう帰れ」

 蝉がけたたましく鳴く中、騒がしい子供の相手をしながら店番は続く。腕時計をしきりに確認する谷口。閉店時間まであと六時間弱。時間にうるさい男は時計の秒針を細かく確認し、残り時間を心の中でカウントし続ける。個人的な頼みであることと休暇中である為に給料は出ないが、一応お礼は出るのだ。売れ残りの駄菓子ではあるが。

 片目は子供達を監視しながら、もう片方の目で時計の針を追う谷口。

「残り五時間四十三分四秒三二か……」

「えっ、何て?」

「……何でもないさ。それより、買いたい物を探してきな」

「うーい」

 店内の品を物色する少年たち。平和で、怖いものなど何も知らない子供達は幸福だ。合理的な判断が得意な谷口はすっかり組織に染まってしまっていた。諜報員として活動し戦闘員に転向、政争から血生臭い現場まで経験した男の心は荒みきっている。機械のようなメンタリティーではあるが、秘めた激情は常人どころか狂人に近い。無邪気な子供を見て懐かしさを覚えても、彼の在り方は変わらなかった。

 少年たちが駄菓子を掴むとカウンターに置き、ポケットから財布を取り出すと小銭を置いていく。

「お願いしまーす」

「あっ、やばい金足りないかも。前に使っちゃってたわ」

「マジ?ダメだこりゃ」

「悲しい……」

 ため息を吐く谷口。もたれ掛かっていた彼はポケットから財布を取り出すと、取り出した小銭をカウンターに置く。

「これで足りたな。さっ、行けよ」

「あっありがとうございます!」

「変な仮面だけどいい奴だな!サンキュー」

「変な仮面は余計だ」

 商品を掴み取ると外に向かって駆けて行く三人の少年たち。影から光の中に駆け出すその背を見つめながら、谷口はがら空きになった店内でカウンターに足を掛ける。まだ閉店時間は果てしなく遠い。途方もない退屈さに耐え切ることは苦痛ではあるが、諜報員として訓練された彼にとって張り込みはお手の物。この後も耐えきって見せるだろう。

 少年たちが外に出た途端に足を止める。

「……あれ、見ない顔だな。知ってるか?」

「こんな奴居たら話題沸騰だって」

 また来客かと顔を上げる谷口。だが、その人物を見てすぐにそれが誰かを理解する。彼は足を下ろして前のめりになった。自分の意思で来ないであろう人物がここに来たということはそうするだけの事態ということ。この先の展開が何となく想像できた谷口がその人物を見据えた。

 日の中で佇む一人の少年。三人はいつの間にかどこかに消え、その場に谷口と彼だけが残されていた。

「何しに来た。飾身」

「藍川に報告事項があり探したが見つからない。なのでここに来た」

「あいつ……連絡先くらい教えてやれよ。無責任だぞ」

 店が開店してからは谷口が店番を務め、藍川は特に何も言い残さずに粳部との待ち合わせ場所へと向かった。飾身から報告が来るかもしれないという話は一度も谷口にしておらず、それどころか飾身にすら居場所を教えず連絡先も教えない始末。かなり天然気味な藍川だったが、まさかここまで適当とは思っておらず頭を抱える谷口。

「奴がスカウト中の雨田圭についてだ。周辺で南アフリカ諜報部の活動を確認した」

「南アフリカの諜報部?ターゲットの周辺でか」

「恐らく雨田圭の拉致が目的だ。大方、司祭の人手が欲しいのだろう」

 どこの国も司祭を欲している。それは諜報部だけに限らず、軍部や民間の組織も司祭の人手を欲しがっているのだ。引く手あまたな司祭ではあるが、蓮向かいと軍隊以外の司祭の運用は認められていない。特に国連に属していない国。アフリカや南米、ソ連といった国が力を持とうと司祭を拉致することはままある話だ。

 店内に入った飾身が懐から証拠写真を取り出してカウンターに載せる。目を通す谷口。そこには外国人のパスポートや死角からの画が写っており、雨田圭の後を追う姿も収められていた。確実に黒だ。

「国連未所属の国か……迷惑な話だな」

「また、司祭の可能性があるエージェントが付近のホテルに潜伏している。相手はやる気だ」

「よく調べた。後は俺が担当する」

 写真をシュレッダーに突っ込みながら立ち上がる彼。今日は休暇の日であったが、目の前で犯罪の話をされて見て見ぬふりをすることは彼にはできなかった。首を回し腕を伸ばす谷口。長い店番で凝り固まった体を動かして整え、ようやく彼が動き出す。

「藍川には……」

「別にいい、お前は早く休んでおけ。どうせ張り込んでたんだろ」

「承知した」

「おい待て」

 即座に命令に従おうとした飾身を呼び止める彼。まだ連絡事項があるのかと思い振り返ると、丁度そこに投げ込まれた駄菓子の飴をキャッチする。これは何なのかと困惑する彼は飴と谷口を交互に見る。仕事のことしか頭にない飾身には彼の気遣いが分からなかった。

「おまけだよ」





【7】


「うわ、集まってますね」

「タダより高い物はないと言うからな。ホームレスにはありがたいか」

 広場に集まり列になったホームレスと、彼らに食事を配るボランティア達。こういうボランティア等を見たことがない粳部にとっては新鮮な光景だ。やつれた顔で食事を持って行く彼らの表情を彼女が眺めると、彼らにとってそれは本当にありがたいものであることがよく分かった。一か月後に死んでいてもおかしくない彼らにとって、それを貰わない選択肢はなかった。

 イベント用テントの下で忙しそうにする雨田を見る二人。

「にしてもよく働く奴だな。体力がある……って司祭だからか」

「司祭じゃなくてもこうしたと思いますよ。慈悲深い人ですから」

「……信仰が良心を産むのか、良心が信仰を産むのか」

「誰の言葉ですか?」

「俺の言葉だ」

 藍川がそう言うと忙しそうにする雨田の下へ近寄っていく。その後を追う粳部。すれ違うホームレスの中には嬉しそうな表情をする者もおり、彼女はイベントの進行は好調だと理解する。ここは優しい場所だ。誰かに手を差し伸べられる人が集まって、その優しさを惜しむこともなく分けている。人が多い場所が得意でない粳部でもここはそれほど緊張しなかった。

 食事を配るテントに近付くとその活気がより分かる。

「全員分ありますから大丈夫ですよー」

「はいどうぞ」

「雨田さん追加分できましたか?」

「ええ、準備できましたよ」

 ボランティアの参加者がテキパキと作業を行い、ホームレスの列を捌いていく。こういうイベントを滞りなく進めることができるのは経験の力によるものが大きい。その過酷さと面倒さを知る藍川からすれば、よくここまで順当に進められるものだと感心する程だった。善意で集まったボランティアにしては統制が取れている。

 二人がテントの隣に立って見ていると雨田がそれに気が付き、周囲の人に何かを話すと二人の下へ近寄って来る。

「こんにちは。まさかこちらにいらっしゃるとは」

「行くとは言ったので、一応見ておこうかと」

「忙しそうだが抜けて良かったのか?」

「ピークは過ぎましたし、少し働き過ぎだったので長めに休憩を貰えました」

 会場内の人だかりは多いが、列に並ぶ人自体は少なくなってきている。順調に捌けたことでもう残り少ないのだろう。休みを取るとするならば今の時間帯がベストである。被っていた帽子とマスクを取る雨田。少し気疲れしていたのか彼は一つため息を吐いた。

「ここは人が多いので、少し離れた場所で話しましょうか」

「そうですね。行きましょう」

 そう言って歩き出す三人。話のできそうな場所を探して進んで行くと、階段に座っていた二人のホームレスが雨田に話しかける。

「ああ、雨田さん休憩ですか?」

「ええ、そんなところです」

「いつもありがたいよ。ホント無理しないでくださいね」

「でも後で相談乗ってくれませんかね?手続きがよく分からなくて」

「構いませんよ」

 年配のホームレスからも丁寧な口調で話しかけられ、笑顔で対応して手を振りながら去っていく雨田。ボランティア活動の長さからか何人かのホームレスに信頼されていた。穏やかな表情を変えない雨田を見て、粳部はふと彼がどうしてこの活動をしているのかを考える。教会の司祭を何故辞めてしまったのか。それを考えてみる。

 活気のある会場を離れ、三人は現場から離れた自動販売機のあるスペースへと向かう。自販機に小銭を入れてお茶のボタンを押す粳部。ベンチに腰掛ける雨田はようやく休めたからか安らかな表情を浮かべ、藍川は少し離れた壁に寄りかかって二人を観察していた。

 お茶を雨田に差し出す粳部。

「飲みます?」

「いえ、お気持ちだけ受け取っておきます。司祭は喉が渇くのが遅いので」

「あーそういえばそういうものでしたね……」

「果てには食事も睡眠も不要になるぞ」

「そ、それは……良いような悪いような」

 彼女はペットボトルの蓋を開けて少しだけ中身を飲むと、蓋を閉めて話を始める。お茶はあまり苦くなかった。

「えーっと……凄い盛況でしたね」

「もう三年はやってますからね。離れた場所からも人が来てるんですよ」

「この調子だと一年後には会場いっぱいになりそうだな」

「……本当は、集まらない方がいいんです」

 会場に人が増えるというのは、ボランティアが増えてくれるのであれば願ったり叶ったりだろうが、ホームレスの方が増えるのであれば問題だ。それは問題の解決には繋がらない。言い方は悪いが、それでは餌をあげているだけに過ぎないのだ。雨田はそれを望んでいるわけではない。

「私はホームレスの方の自立支援も行っています。自分にできることをしたいので」

「やること多いですね……気疲れしません?」

「しますが、体は疲れないので」

「……何でそんなに誰かに手を差し伸べようとするんです?」

 信じ続けて来た教会を辞めてまで彼がそうした理由、粳部が気になっていた理由。

「そうですね……少し長話をしましょうか」


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