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5-4

【5】


「買い出しって、ご飯のですか?」

「ええ。子供たちの食事と明日の炊き出しの分です」

 後部座席で前を見る粳部うるべの問いに彼が答える。スーパーの広い駐車場に車を止める雨田。エンジンが完全に止まると藍川が車の外に出た。ここは児童養護施設から車で十五分程の距離の場所にあるスーパーの地下駐車場。平日なこともあってか車の通りは少なかった。

 車を降りる雨田と粳部。

「炊き出しというと」

「路上で生活している方の為のボランティアですよ」

「そりゃ熱心なことっすね」

「毎回相当の量を用意しないといけないので少し大変ですよ」

 トランクに近寄り開け放つ雨田。粳部は次第に本題に入りたいが為にソワソワし始める。彼女らは雨田が権能を見せると聞いて付いて来たのであって、雨田の買い出しに付き合うつもりは毛頭なかった。次第に本当に権能を見せる気があるのかと不安になる彼女。

「あの……そろそろ権能見せてもらえますかね」

「ええ、それでは始めましょう」

「……ここで!?」

 早く使って欲しいと思いつつも、ここではないどこかでやるものだと思っていた彼女には意外な話だった。相変わらず藍川は無表情を維持しているが、周囲の視線を気にする粳部は慌てて周囲を見渡して誰も居ないか確認する。運が良かったのか地下駐車場には誰も居なかった。

 雨田がまるで祈るかのように手を組んだ。

『祭具奉納、昇華する赤の湖面』

 彼の周囲がうっすらと光り、日の差さない地下空間を照らす。そして、いつの間にか祝詞を唄う彼の手には何か光る物が握られていた。それに注視する粳部。

『歓喜の堂』

 彼の手の中にある物は、ただの十字架だった。

 そして、組んでいた手を離した彼が車のトランクをじっと見つめると、何もなかった筈の場所に物体が形作られていく。それは大量の野菜、正真正銘本物の食物。がら空きでいくらでも荷物を積めそうだったトランクの中が一瞬で食べ物で埋め尽くされた。

 これが彼の権能『歓喜の堂』

「な、何がどうなって……」

「私の『歓喜の堂』は食べ物を生成する権能です。既製品以外は作れます」

「すごいな、本物なのか」

「すごいなって割には無表情でしたけど……」

「ええ、本物ですよ。これをいつも振るま……」

 その時、立ち眩みがしたのか雨田がよろけかける。ギリギリ立て直したので倒れることはなかったが、司祭が体調不良というのは余程の状態でなければ起きないこと。これには流石の粳部も異常に気が付いていた。

「立ち眩みですか?」

「まあそんなところです……私の弱点は権能の使用に血を使うことですよ」

「……燃料みたいなものですか」

「おお、良い例えですね」

 司祭は皆、弱点を抱えている。全てにおいてバランスがあり調節され、完全無欠な存在は存在しない。どんな弱点を与えるか判断を下すのがこの世界の存在ではないという点はあるが、それでも見方によっては確かに弱点なのだ。

 苦い顔をする粳部。

「血液五百ミリリットルで九十キロの食べ物を生成できます」

「えっ、そんなに作れるんですか!?」

「血を千ミリリットル以上使った時はクラクラしましたが、これ以上もいけますよ」

「……鈴先輩。人間が失血死する出血量ってどれくらいですか?」

「千ミリリットル以上だな」

 何故死なないんだというツッコミが出そうになった粳部だったが、どうせ司祭だからという回答が返ってくるだけだと諦めた。概念防御と肉体強度の影響で司祭は簡単には死なない。興奮し概念防御の高まった司祭であれば、千ミリリットルの倍以上の出血量でも動いていられる。

「これのおかげでうちは食費を減らせています。子供は食べ盛りですし」

「文字通り身を削って人に施していると……」

「ええ、ですからこれが使えなくなるのは非常に困るんです」

 これだけの食物を生産できれば子供たちは飢えず、路上生活者への炊き出しをできる余裕がある。満ちていなければ分け与えられないのは当然。この権能を使えなくなれば今後の活動に支障が出てしまう。雨田が懸念していたことはそれだった。

 彼がトランクからバケツを取り出すと、その中に数匹の魚が作り出される。それは神の御業に似ていた。

「経営の記録は一応読んだ。食費を込みで再計算するとギリギリセーフだな」

「いつの間に……子供の生活への支障は出ません。それだけは何とかなります」

「じゃあ、問題はボランティア活動の方ですか……」

 必ずできなくなってしまう。雨田が身を削って作り出した食物と同じ量を調達しようとすれば、相当の費用が掛かってしまうのだ。児童養護施設の維持で手一杯である以上、他に割く余裕は残っていない。権能さえあれば何とかなるのだ。

「誰かを救うには、私では力不足だったという話です」

「あれだけ食べ物を作れれば配れもしますね……」

「私は四年前に司祭になりました。自分の権能を知り、そして何かに使うべきだと思った」

 教会の司祭だった男は四年前のある日、偶然司祭になってしまった。選ぶ権利すらなく司祭になった男は教会の司祭を辞めただの司祭として生き、児童養護施設に身を置いた。

 司祭は祈ることができない。祈りは生理的な嫌悪感を呼び起こし、司祭に祈らせないように苦しめる。そんな状態では神を信じることもできず、司祭の半数以上は信心を捨てるというデータもある。ならば、今の雨田は何に突き動かされているのか。

「できる限り多くの人に手を差し伸べたい。この権能は私にうってつけだったんです」

「……」

「ない物は配れないのですから、私の命を削って与えられるのであれば本望でした」

 雨田を見て、高潔な精神だと遠い目をしながら思う粳部。彼女は善人ではないが悪人でもないが、雨田とは遠くにある存在だった。根っから隣人を思う雨田の善性は常人が真似しようと思ってできることではない。常に誰かの為を思う男の生き様は、粳部には少し眩し過ぎるのだ。

「私にとって苦痛なことは、誰かに手を差し伸べられないことと祈れないことです」

「司祭は祈れないからな。教会の人間のあんたにはキツイか」

「元ですよ。しかし、祈りも懺悔もできないのはキツイ……かもしれません」

 誰かの為を想って生きる雨田にとって、誰かの為に祈りを捧げることができないのは悲しいことだった。今はもう教会の人間ではない彼ではあるが、誰かの為に生きることをやめたわけではない。

「助ける人物を選べば誰かを見捨ててしまう。それに対する懺悔も、私にはできない」

「……」

「しかし、私が組織に入っても保護観察の身でも、どちらにせよ誰かを切り捨ててしまう」

 蓮向かいの職員になれば司祭でなければ救えないような人々を助けられる。無敵の概念防御はどんな爆撃の雨でも耐え忍ぶ。だが、蓮向かいの職員になれば彼がやっていた分の仕事を誰かに押し付けることになるのだ。新しい職員を雇う余裕はない。

 そして、保護観察になれば権能を使うことができなくなり、路上生活者などへのボランティア活動ができなくなってしまう。あちらを立てればこちらが立たずとはよく言ったもので、雨田は究極の選択を突き付けられていた。

「……組織に入れば危害を加えない限り権能の発動は自由だ」

「とは言え、私が不在になれば穴を埋める職員が必要です」

「うちの給料があれば雇えないこともないかも……しれませんが」

「人手不足の現状……代わりができる人員が見つかるかどうか」

 司祭は基本的に多忙だ。法術使いの職員数十人よりも一人の司祭の方が優秀な時代なのだ。あらゆる場所で引っ張りだこになり、ラジオのように仕事の虫になって過酷な業務にのめり込む者も居る。藍川はそれを嫌って仕事の数を減らしているが、それでも組織内で彼の需要は高かった。

 もしも雨田が組織に加入すれば、間違いなく子供と接する時間は減少するだろう。

「皮肉な話です。遠くの人や救えなかった者へ祈りと懺悔を捧げてきた私ですが……」

「……」

「祈りも懺悔もできない司祭の体では、ただ苦しく無力だ」

 何もできない無力感の苦しさは粳部もよく知っている。息ができないような窒息するような状態で吹雪の中をさまような、そんな地獄のような辛さ。もがいて何かが変わるのであれば無様だろうが彼女らはやってみせるだろう。しかし、それで変わるような奇跡は滅多に起きない。粳部が海坊主を手に入れた時のような奇跡は起きないのだ。

 神に見放された雨田を、一体誰が救うのだろう。

「……それで、あんたはどっちをえら」

「先輩、一ついいですか」

「……何だ?」

 粳部が手を挙げて藍川を止めると、振り返って雨田の方を見る。その表情はまるで何かを決意したような表情だった。主導権は藍川から粳部に渡る。

「組織に入るか保護観察になるかは明日聞きます」

「おい粳部」

「報告書は私が書きますから。一日だけ時間をください」

 粳部は振り返らずに強気な声でそう言った。責任を全て自分で取ってでも彼女は時間が欲しかったのだ。雨田に自分で答えを出してもらう為の時間を、悔いのない選択をしてもらう為の猶予を粳部は切に願っている。

「明日、もう一度訪問しますから。答えはその時です」

 誰もが自分のように選択できるわけではないと、彼女は知っていた。

 少し驚いたように目を開く雨田と、強気な表情の粳部を見て苦笑気味に笑う藍川。

「お前、報告書の書き方まだ知らねーだろうが」

「……しまった!」

「まあいいか。後で書き方教えてやるよ」

「す、すいません」

 自分から行動する粳部の姿を見て少し喜ぶ藍川。彼女のことが気が気でない彼からすればそれは少しだけ負担が減った証拠。ずっと付きっきりとはいかない以上、粳部の成長は藍川にとって喜ばしいことだった。

「……申し訳ないです。わざわざお時間を取らせるとは」

「いいんですよ。それに、決意のない回答に意味なんてないんですから」


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