【3】
「この部屋であれば誰も聞いていないでしょう……」
「結構」
児童養護施設の一角、誰も居ない空き部屋に三人は居る。ここからどうなるのかが予想できずにいる粳部と、淡々と自分の仕事を行うようになった藍川。ずっと余裕を持った笑顔を浮かべていた雨田は緊張と少しの警戒心が混じった表情をしていた。それもその筈、目の前に居るのは自分が司祭であることを見抜いた者なのだから。
日のあまり入らない静かな部屋に、重苦しい空気が立ち込める。椅子に座り向かい合う雨田と
「組織と司祭についての説明は終えた。後はあんたがどうするかだ」
「……組織に恭順するか保護観察の身になるか、ですか」
「そんなに悪い組織ではないですよ?福利厚生もしっかりしてますし」
蓮向かいは職員の待遇がしっかりしている。組織から様々な手厚いサポートを受けられる上、相当の高給が与えられる。ヘルスケアサポートや住宅手当や家賃補助などを受けることもできる。ストレスの多い仕事柄である為に特にヘルスケアサポートが優れており、職員のメンタルは常にチェックされていた。粳部はあまり受ける気がしていないようだが。
考え込む雨田。
「保護観察についてもう少し教えて欲しいのですが、よろしいですか?」
「保護観察の身になると権能の使用が基本的に禁止される。社会のバランスを乱すからな」
自由に権能が使える状況は非常に危険だ。見えないところでそれを使われ、とんでもない不正で莫大な利益を得られてしまうリスクがある。例えば金を生み出す権能を持った司祭が居たとして、そんな存在が陰でこっそりと権能を使って金を生み出してしまえば市場のバランスは崩れてしまう。この世界の法則から解き放たれた彼らを、もう一度法で縛ろうとするのが蓮向かいという組織だ。
「蓮向かいの職員が、あんたが権能を使わないことを確認する為に常に監視する」
「死ぬまでですか……」
「そうだ。だが、緊急時は蓮向かいの職員があんたを助ける。見捨てはしない」
力の行使を制限する以上、その責任として緊急時は手を差し伸べるようになっている。蓮向かいが常に人手不足を起こしているのはこの監視の業務が原因で、監視対象の多さから給料は上がり続けている。職員の質を落とすわけにはいかない為に採用基準を下げることもできず、蓮向かいは青色吐息である。
「……でも人によっては監視って要らないんじゃないっスか?」
「そいつに問題はなくとも、他の奴にはあるんだよ」
「他と言うと……?」
「司祭を傭兵にするテロリストとかな」
そういう手合いは多く存在する。先の事件で逮捕された複製の司祭はテロリストの作った爆弾を複製し、結果として大惨事を引き起こした。このような権能は様々なことに悪用でき、違法薬物やもっと危険な兵器を複製されればそれよりも酷い惨劇が起きる。莫大な利益を生み出せる司祭はテロリストや犯罪組織からすれば正に金の生る木だ。
そんな金の生る木を野放しにしていれば、考えられることは一つだけだ。
「司祭一人で一国の軍隊以上だ。誰だって欲しいだろ?拉致してでも」
「そこまで価値があるのでしょうか……私なんかに」
「他国の諜報機関や反社会勢力がごく稀に拉致をやる。それを止めることも俺達の仕事だ」
「……司祭って案外窮屈っすね」
自由な存在であるが故に司祭は様々なしがらみが多い。法に犯罪者に弱点に、彼らは常に縛られている。そうでなければ彼らは自由過ぎるのだ。この世の何よりも自由な彼らは縦横無尽に駆け回り、人類が築き上げた社会を玩具のように壊し崩してしまう。そんな理不尽な存在を止められるのは同様に理不尽な存在のみ。いつの時代も毒を制すのは毒だけだ。
「だが、どちらを選んでもいい。保護観察の身になって俺達の負担が増えても、それはあんたの気にすることじゃない」
「とは言え、あなた達が戦っていることを忘れることはできません」
「それは……まあ、選ぶ時は一旦忘れてくださいよ」
「そういう事情は無視していいんだ」
蓮向かいに入るかどうかは自分の意思で決めるべきこと。罪悪感に突き動かされてすることではない。ここから先は何が起きようと全て自己責任、どちらを選ぶかの決断は本人が選ぶべきこと。それを彼らが強要することはできない。粳部がスカウトを受け加入した時のように、最後は彼が自分で決めるのだ。
重苦しい表情をする雨田。穏やかな表情をずっと続けていた彼にその表情は似合わなかった。
「……私のような司祭でなければ、できないことがあるわけですか」
「宗旨的に駄目か?」
「……私の心を読んだのですか?」
「俺の権能は必要な時にしか使わない。それに、こんな卑怯なもの使いたかないさ」
彼より弱い心の持ち主でなければ彼の干渉を避けられない。基本的に大半の人間が藍川の権能の効果対象として選択されてしまう。しかし、彼はそれを選ばない。司祭として傍若無人に振る舞うことを選ばず、人間らしく生きることを藍川は選択した。彼の権能は余りにも非情過ぎる。
「善であろうとする心ですか……良いことですね」
「……そんな大層なものでもない」
「……確かに暴力を振るう仕事ですけど、その分人を救えます」
「いえ、そうではありません。殺さずに誰かを救えることは理解しています」
教会の司祭を辞めて児童養護施設で働き、経営者になるほど優しく穏やかで熱心な男。だが、今の彼にとって重要視するべきことは教会の教えではなく、また別に存在している。彼という人間はそこまで単純ではない。
「私はもう教会の人間ではない。あなた方が社会の維持の為に戦っていることは素晴らしいと思います」
雨田が眉をひそめる。少しの悲しみをその表情に織り交ぜて。
「司祭でなければできないことがある。司祭でなければ倒せない者も居る」
「……」
「……でも、私にはこの施設があります。私はここを守らなければなりません」
教会を去って辿り着いたこの場所で、彼は子供たちを見守り育ててきた。それぞれの事情を持った子供たちと共に過ごし、固まった心をほぐしその生活を支える仕事。他と掛け持ちできるような簡単な仕事ではない。ただ業務をこなせばいい仕事でもない。
雨田にとって、そこはもうただの仕事場ではなくなっていた。
「離れられない……でも、保護観察の身を選ぶこともできません」
「えっ?どうして駄目なんですか?」
「権能を使えないというのは……困るのです」
意外な回答に驚く粳部と少しも表情を変えない藍川。粳部はてっきり、元は教会の司祭だった為に考え方の面で思い悩んでいるのかと思っていた。だが、実際のところは権能を使えないという事情。加入もできないが保護観察も選べず、状況は八方塞がりだった。
「子供たちや困窮する人々の為に……私は権能を使わなければなりません」
「保護観察の身で権能を使えば罰金。最悪は拘束だぞ」
「それって……機密保持の為ですよね」
世界の形を変えるわけにはいかない。司祭という存在がいることを明かしてはならない。
その時、部屋の扉が誰かにノックされる。雨田がはいと答えるとゆっくりと扉が開かれ、慎重に入って来た職員の女性が雨田の方を見た。
「すいません雨田さん。明日の炊き出しで使う食材の話なんですけど」
「ああ、それですか。いつも通り私が買いに行くのでお気になさらず」
「いつもありがとうございます……」
「いえいえ、力になれるのであれば」
雨田がそう答えると職員は頭を何度か下げて部屋の扉を閉める。何てことのない普通の話だと思っていた粳部はあまり気にしていなかったが、職員の足音が去っていったタイミングで雨田の様子がおかしいことに気が付く。先ほどと似た憂いを帯びた表情。
俯いていた彼が顔を上げて立ち上がる。
「丁度いい。お二人にお見せしましょう」
「見せるって……あれ、まさか」
はしゃぐ子供の声が遠くに聞こえるこの小部屋。静寂がやけに際立っていた。
「私の権能です」
【4】
「何で俺がお前の面倒を見なければいけないのか。考えてみると理由がないな」
「……藍川がやれと言ったんだろ」
片足を掴まれて吊るされた状態の飾身。谷口との戦闘訓練は過酷を極め、祭具を出した状態の飾身ですら赤子の手をひねるように扱われている。蓮向かいの白い殺風景な部屋で行われていた戦闘訓練は、既に四時間が経過していたが未だ終わりが見えなかった。無表情だった飾身も疲れが表情に出てきてしまっている。
「無理に押し付けられたんだ。任務で訓練ができないと言ってな」
「……」
「やれやれ、子供に教えるのはもう勘弁して欲しいんだが」
谷口がそう言い終える前に空いている片足で蹴りかかる飾身。しかし、片腕で簡単に防がれると投げ飛ばされ、彼は床に手を付いて姿勢を制御する。ここから反転攻勢と行きたい飾身だったが悲しいことに相手が悪かった。十三歳という歳でγ+という上澄みの階級になれた時点で彼は優秀だっただろう。だが、目の前に居る彼はΩという一線を画す存在なのだ。
一瞬で距離を詰めた谷口のラリアットに冷や汗をかく飾身。
「くっ……!」
彼はすんでのところでのけぞって躱しつつ、その拳をがら空きになった腹に叩き込もうとする。しかし、圧倒的な身体能力を誇る谷口は一瞬で消えると彼の背後に回り蹴り飛ばす。そのあまりの威力に体の自由が効かない飾身だったが、何とか空中で姿勢を立て直すと着地する。
だが、目の前を見た飾身は自分を今から襲うものに驚く。
「夢鬼火」
「まだ使えるのか……!」
谷口の周囲に現れた複数の揺らめく炎。それらが解き放たれると弧を描きながら飾身を追い、逃げる彼を追尾しながら飛び回る。怪我が治り本調子に戻りつつある谷口の実力は相当のもの。四時間以上戦ってもその法力は尽きておらず、法術があまり得意でない飾身はその対処に手を焼いていた。
逃げ回る彼の背後に谷口が回ろうとする。
「その手は効かない!」
回転した飾身がその両腕で谷口を弾くと地面を蹴り上げて宙を舞う。彼を追って急上昇した炎は空中へ向かうが、それを目で捉えると法術を放つ構えを取る。谷口ほどの法力量も強力な法術も覚えていない彼だが、藍川の弟子である以上はできることがある。
空中を電気が迸る。
「層展乱雷!」
彼から放たれる幾多もの電撃が周囲に放たれ、谷口を巻き込んで追尾する炎を爆発させる。その火で視界が失われた隙に距離を取り、谷口が復帰して攻撃を仕掛ける瞬間を討ち取ろうと構える飾身。煙で相手の動きが見えやすい状況を活かそうといつでも飛び出せる状態で見つめていた。
だが全ての煙を吹き飛ばし、彼は一直線で飾身の下へと向かう。地面スレスレを低姿勢で進む彼への反応が一瞬遅れた。
「なっ!?」
飾身に接近した彼は両手を地面に付いてバネのように跳ねると、曲げた足を延ばして思い切り頭を蹴り飛ばす。大きく吹き飛ばされた飾身は天井に激突して壊し、跳ねて地面にぶつかると壁まで飛んでようやく威力が消えた。ぐったりとした彼の様子を見て谷口が拳を降ろす。長かった訓練がようやく終わった。
彼の下へ向かう谷口。
「今回の訓練はこれで終了。治療を受けて帰るといい」
「……天井壊れたぞ」
『何してるんですかあんた達……』
その時、天井に設置されていたスピーカーからラジオの声が響く。彼女の権能であれば超広範囲にわたって音が出る機器から盗聴することができる。しかし、音だけである為に情報は限られてしまい、何が起きているのかを彼女が完璧に把握できるわけではない。故に何か壮絶な戦いをしているがどういう損害が出たのかまでは分からないのだ。
困惑した声のラジオ。
「藍川に飾身の訓練を任された」
『派手に壊れた音しましたけど……』
「修理代は払う。いいだろ?」
「良くはないだろ」
蓮向かいの施設は強固な造りになっている。戦闘訓練で使用される場所は特別な資材で作られ、経験の多い法術使いが耐久性を向上させているが司祭の戦闘で壊れないわけではない。それも、本気ではないとは言え司祭で最強の身体能力を持つ彼の攻撃では耐えられないのも当然だ。配線や骨組みが露になった天井を見つめる谷口。
罰金はそれなりの金額だが司祭の収入では余裕で支払える。
『あーもう少しは加減してください。修理担当呼びますから』
「頼むぞ」
『頼むぞって……はあ』
いつになく疲れ気味なラジオの声はそこで途絶え、室内は再び静寂に包まれる。飾身は衝撃で凹んだ壁から立ち上がると埃と壁の破片を手で払った。四時間戦っているが一応の加減はされている為、出血はそれほどでもなかった。
「戦闘技術は九十五点だ。不足している身体能力と法術を強化すれば完璧だろう」
「……承知した」
「治療後、速度トレーニングを重点的にやれ。法術は……すまないが感覚としか」
法術において天才肌の谷口はあまり教えることに向かない。その為に実戦形式で教えることとなったが、結果はこれである。あまりピンとこなかった飾身は、取り敢えず言われた通り速度トレーニングはこなしておこうと思った。
不意に無口な飾身が口を開く。
「藍川は何の任務をしている」
「新しい司祭のスカウトだと言う。些か時間をかけすぎている気がするが」
「……そうか」
「気になるか?」
元の所属が同じであったことがある為に、二人は全くの初対面というわけではない。しかし、どちらも無駄なことをしない性格である為か会話は殆どなかった。多くを知らないわけではないが知っているわけでもないのが彼ら。
無表情を貫く両者。
「……恐らく、今俺が担当している案件に関係している」
「……?ただのスカウトじゃないのか?」
「治療後、予定していた任務に戻る」
谷口の問いに答えずに部屋を退出する飾身。一人残された谷口に、彼を追うだけの関心はなかった。