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4-5

【7】


「……逃げるにしては悠長なんですけどね」

 人が溢れる夜の繁華街を一般の職員と共に歩く粳部。今回の目的は敵の尾行、ようやく尻尾を出したテロリストがどこに潜伏しているのか調べることが今の粳部の任務。目撃された二人の居場所は今日ようやく掴んだものの、司祭を含む三人の居場所は判明していなかった。ここで逃がしてしまっては別の場所に潜伏され、国外逃亡されてもおかしくはない。

 粳部うるべの頭には、彼らに司祭を貸し出した謎の存在についての懸念もあった。

「(拠点の痕跡から、連中が爆弾を一基持ってる筈なんスが)」

 テロリストが建物から逃亡した後に調べたところ、薬品の反応や部品の破片等から爆弾を一基作っている可能性が浮上した。空港の手荷物検査でテロリストの容疑者がプリペイド携帯を三つ持ち込んでいた記録があったが、彼らが過去に使用した爆弾もプリペイド携帯が使用されている。ならば、作っていてもおかしくはないだろう。

 普段であれば近寄らないような繁華街を歩く彼女。落ち着かないが、それを尾行している相手に悟られぬようにしなければ任務は失敗だ。別行動中の藍川とグラスのことが恋しくなる粳部。何を願おうと状況は好転しない。

「報告と同じ場所に向かっていますね。あのダンボールは何でしょうか」

「分かんないんすけど……直接確かめちゃ駄目ですよね」

 テロリストが押している荷車にある謎のダンボール箱。今までの報告にはなかった未知の物体。嫌な予感を覚えた粳部は今すぐその中身を確認したかったが、そんなことをすれば気が付かれてしまう。すぐ近くにヒントがあるというのに触れられないのは、粳部にとっては酷くもどかしいものだった。

 だがその時、突然粳部の耳元の無線機にノイズが入り、聞き覚えのある誰かの声が耳に入る。それはグラスだった。

『車のレンタル業者を洗っていたら見つけたぞ。連中、トラックを借りてる』

「トラックですか?じゃあ、それに乗って逃げると……」

『可能性はあるがどうだろうな。トラックを二台借りていた』

 軽自動車ではなくトラックで。そうなると、荷物の中に人を紛れさせて運ぶのが目的なのではないかと粳部は疑う。今こうして治安の悪い繁華街に居るのも先日に貧民街を歩いていたのも、トラックを運転する運転手が欲しいからなのか。経験の薄い粳部が考えた敵の作戦はこうだ。

 テロリストを追って曲がり角を入り路地を進む粳部と職員。

『距離的に君達の方がトラックに近い。一般職員はそっちを追跡しろ』

「了解です。それではお任せします」

『私は一旦粳部と合流する』

「わ、分かりました」

 粳部がそう答えた時には隣を歩いていた一般職員は既に消えており、そこにはもう遠くのテロリストと粳部だけしか居なかった。見失わないように慌てて粳部が追いかけ道を曲がる。迷路のように続く路地裏の道を進み続け、周囲は次第に寂れた古い町並みへと変わっていく。

 シャッターだらけのコンクリートジャングルに囲まれ、不安になる粳部だったがテロリストが背中で道を示していた。

「治安悪いなあ……」

 人気のない路地裏には日が差し込まず、粳部は薄暗い日陰をただただ進む。不死身の体でも不安になることはある。相手に気が付かれぬように足音を殺しながら、彼女は細心の注意を払って前へと進んだ。

 粳部が暫く歩き続けると例の男が角を曲がり、覗き込んだ先で十数人程のホームレスと男を確認する。どう考えてもここが彼の目的地だ。彼女が様子を伺っていると、男はダンボール箱を開けて中の物を取り出した。

 それは紙袋だった。

「これを町中に設置しろ。何度も言うが中身は見るな」

 そう言って紙袋をホームレス達に手渡す男。彼らはそれを受け取るとそそくさと立ち去り、町のどこかへと消えていく。どうやら、ここ数日の行動の目的は彼らにそれを手渡すことにあったらしい。粳部にはそれが何だかは分からなかったが、碌でもないものであることは確かだった。

 男が次のダンボール箱を開いている間に無線機を使う粳部。

「あの、あいつダンボール箱の中身をホームレスに配ってます」

『中身は何だか分かるか?』

「紙袋なので中までは……隙を見て確認しに行きます」

「んむっ……それなら私も同行しよう」

「うえっ!?」

 背後からの声で驚愕し振り返る粳部。無線の向こうに居た筈のグラスがそこに居り、吞気に咥えていたホットスナックを飲み込んで粳部を見ていた。司祭のスピードであれば、ゆっくりと足音を殺して歩く粳部にも追いつける。だが、粳部はそんなスピードで来るとは夢にも思っていなかった。

 そして、驚いた粳部の声により相手に気が付かれてしまう。

「何だ?」

「しまっ……」

 粳部に反応した相手はほんの数秒考えると追手だと理解し、ダンボール箱を置いて走り出す。気が付かれないようにして動向を追うことが粳部達の任務だったが、こうなってしまってはもう捕まえる他はない。駆け出す相手を追う粳部。その横を猛スピードのグラスが追い抜いていく。

「早っ!?」

 煙幕もなしに、人間の何倍も速い司祭から逃れられる筈がない。それも、十分に食事を摂って万全に近い状態になっているグラスを相手に。そんなことができるのは世界でも谷口と速度特化した数名の司祭くらいだろう。

 男の首を掴んでコンクリートの壁に叩きつけるグラス。男の頭が赤べこのようにガクガク揺れた。

「知っていること全て話せ」

「どこの組織の人間だ……動きが早すぎる」

「さっさと話せ。粳部、ダンボールの中身を確認しろ」

「わ、分かりました」

 その時、首を絞められていた男はポケットからライターを取り出すと、火を点けてダンボール箱に放り投げる。粳部は遅れてそれに気が付くと何とか反応して手で弾き飛ばす。地面を転がるライター。

 証拠隠滅を図ろうとしたように見えた男が持っていた、謎のダンボール箱の中身は何か。グラスはすぐにそれを察し男の首を締め上げると、無理やり知っていることを吐かせようとする。

「貴様!中身はあれなのか!」

「ぐえっ!……ま、待てっ」

「一体何が入って……うえっ!?」

 粳部が紙袋の中身を取り出すと、そこにあった物は小型の爆弾だった。昨夜に目を通した資料にあった爆弾のサンプルとよく似た形状をしており、明らかにこれは彼らが作った物だった。自分が持っている物の恐ろしさにあたふたし、どうすればいいのか分からなくなる粳部。

 グラスの表情は更に険しくなり、首を絞める力も強まる。

「爆弾じゃないですか!?ど、どうしよ……どうすれば」

「ホームレスに運ばせた物も爆弾だな!どこで量産した!誰が後ろ盾だ!」

「分からない……俺はリーダーからの手紙に従っただけだ。暫く会ってない」

「クソっ!粳部、他の職員を集めてホームレスを追わせろ!爆弾を撒かれる!」

「りょ、了解です!」




【8】


 大きな肉まんを一口で食べ、喉に押し込むようにして口に入れるとついで程度に咀嚼するグラス。そして、彼女はそれを一気に飲み込むと他の食材に箸を伸ばす。それを見ながらラーメンを啜っていた粳部は次第に食欲を失い、食べるスピードが落ちていった。

 前にも訪れた中華料理店、今日も店を蓮向かいが貸し切って食材を全て持っていく。勿論、これは経費で落ちる。

「……食べないなら私が食べるが」

「そんな意地汚いこと言わないでくださいよ……この後もっと来るでしょう」

「そうか……美味いか?」

 困ったような表情をする粳部。食べたくないのに食べなければいけないという弱点を持つ彼女を前に、どう答えればいいのかを考えていた。何か言葉を選ばなければいけないということは分かっていたが、それが何なのかは分からなかった。

 止めていた箸を置く粳部。

「すまない……困らせるつもりはなかったんだ」

「ああっ、いえ気にしないでください!」

「……君には苦労させてるな。最初は燃料切れで敵を逃がして、今日は驚かせてしまった」

「いや、それは私が弱いからで……ホント気にしないでいいですから」

 とても繊細な彼女にどう言葉をかければ良いのか、粳部は考え続けている。背負いたくもない弱点を背負わされ、生きる為に無感情で食事を詰め込まなければならない彼女。拒食症故に食事を苦痛とするグラスからすれば、食事など苦痛以上の意味を持たない筈だ。自分を苦しめるそれを憎んですらいる筈だ。

 しかし、粳部にはグラスの声色は羨ましさがあるようにも聞こえた。まるで遠く離れた星を見つめるような、憧れに近い何かがあったのだ。

「君についての資料を事前に読んだが、元の体に戻りたいそうだな」

「まあ、そうですね……普通の方がいいじゃないですか」

「……私も元の体に戻ることが目的だ。叶いそうにないがな」

「司祭って確か、死ぬまで戻れないんじゃ……」

 遠い目のグラス。司祭から人に戻る技術は未だ確立していない。過去に二例だけ司祭から人に戻ることができた例があったものの、それらに共通点はなく再現性もなかった。辞められるのであれば辞めたいという人間は大勢居るだろう。日常を送るには不要な戦闘能力と弱点、権能によって闇の組織につけ狙われることにもなる。力あって損がないということは、ない。

 グラスは大きな角煮を飲むようにして食べる。やはり、あまり咀嚼はしていない。味わうことよりも多く食べることを優先している。

「ああ、死ぬまで食い続けなければならない。まあ、それは普通の人間も同じか」

「……生きる為では同じですけど、全く違いますよ」

「そうだな。羨ましいよ本当に」

 その時、貸切だった店の扉が開かれて藍川が入ってくる。これでようやく三人が揃ったわけだ。

「待たせた。連中の話をしよう」

「了解っす」

 席を引く藍川。店員が寄って来て注文を尋ねるが、水でいいとだけ答えて椅子に座る。粳部からすれば彼の様子は奇妙に見えたが、任務についての情報共有の場でガッツリと食事をしている方がおかしいのである。

 鋭い目つきの藍川。

「テロリストがトラックを二台借りたことを確認した。恐らく、後述する爆弾を運搬する用途だ」

「連中、ホームレスに物を運ばせる仕事があるって集めて、爆弾を運ばせてましたよ」

「件の小型爆弾だな。逃亡の為に騒ぎを起こすつもりだ」

「……だが、問題は数だ」

 あれからホームレス達を呼び戻して爆弾を全て回収し、テロリストを逮捕して護送した。爆弾の無力化後に構成している部品を確認したところ、確かに彼らが作った物であることが確認された。しかし、材料的に彼らが爆弾十数基分を作れる筈はない。拠点に残っていた物から考えて一つが限界だっただろうに、何故か増えているのだ。

 一体どこから火薬が湧き出たのか。

「十数基も作れるだけ火薬があるなんて……花火師にでも頼んだんですかね」

「これはあり得ないことだ。国外ならまだしも、国内でこれを用意するのは難しい」

「それなんだが、俺も連中の一人を尾行して分かったことがある」

「……心を読んだんですか?」

「ああ、奴らは逃亡の為に爆弾をばら撒き、大量に爆弾を載せたトラックで時間稼ぎをするつもりだ」

 心を読めば相手に気が付かれることもなく調査が可能だ。どこからか湧き出た爆弾を載せたトラックを走らせ、騒ぎになりやすい場所で起爆させる。テロリストらしいお得意の、いつも通りの基本的なやり方。その結果で何人巻き込まれようと気にしないのが連中だ。

「爆弾についてだが、お前らが捕まえた奴も俺が追っていた奴も知らなかった。尋問対策だな」

「対策ですか?」

「そもそも知らなければ何も吐けないだろ?」

「あー無い物は吐けませんからね!……でも私何も食べてない時も吐きますよ?」

「そりゃ吐いてるのは胃液だ馬鹿……」

 いくら藍川の権能でも知らない物を知ることはできない。誰もが世界の果てを知らない以上、藍川は誰からも世界の果てについて知ることができないのだ。そうなると、もう爆弾が増えていることに関しては仮定しか出すことができなくなる。しかし、どうせ捕まえた時に答えは明らかになるだろう。

 彼らは確かにテロリストを追い詰めていた。

「話を戻すが、職員が連中がトラックで向かった場所を特定した」

「私が追わせたやつだな」

「そこで網を張ったところ、二台のトラックが二十分前に出た。爆弾を積んでいるかは不明だ」

 積み荷については確認するまで内容物は分からない。しかし、一つだけ分かっていることがある。

「だが、運転手がテロリストの一員であることを確認している。つまり黒に近い」

「じゃあ追いましょうよ!」

「そのつもりだ。二手に分かれて追う。グラス、職員に奴らが潜伏していた拠点を調べさせてくれ」

「了解した」

 そう言って立ち上がると店から出ていく藍川。その様子から二手というのは藍川と、グラスと粳部のコンビということなのだと理解する粳部。とうとう事態が終結に向かいつつあり、粳部にとっては初めての概怪が絡まない任務が終わろうとしている。人と人との戦いを、彼女はようやく知ったのだ。

 粳部が立ち上がるが、グラスはまだ食事を摂っていた。

「私達も行きま……まだ食べてるんですか!」

「すまない……んぐっ……万全を期してエネルギーを補充しなければ」

「……苦しそうですよ」

 その表情は明らかに無理をしていた。もう既に昨日の量を超えてお腹が出るくらいの量を食べているというのに、グラスはまだ腹に食事を詰め込もうとしていた。そうしてはいけないと思っても、やはり粳部は彼女を憐れんでしまう。無理をして自分から地獄を見ているグラスに救いがあって欲しいと祈ってしまう。

 しかし彼女は救われない。祈ることのできない司祭に、救いはない。

「おえっ……正直きつい。でもっ……こうしなければ戦えないんだ」

「ッ……!そんな無理をしても……生きたいんですか」

「当たり前だ」

 グラスは大皿の回鍋肉を一気に口へかきこみ、空の大皿を机に置いた。

「例え死ななければこの罰から解放されないとしても、人という生き物は生きたがるものだ」

 ハッとした表情を浮かべる粳部。グラスが席から立ち上がった。

「それを神は昔、原罪と呼んだ。神への不従順をね」

 粳部は思った、もしこの世界に神に相当する存在が居るとすればそれはとても残酷な存在だと。死んで全てを手放さなければ許されない罪。死ぬことが償いになるとは思えない粳部にとって、神が突き付けた選択は悪魔の所業だった。そこに欠片の慈悲も残されていないのだから。

 粳部がふと、気が付いたことを口にする。

「もしかして、逆なんじゃないですか?」

「……逆だって?」

「これは妄言ですけど、弱点があっても生きたがったから……司祭になったのかも」

「……」

「なーんて、めちゃくちゃですよね。自殺してる司祭も居るのに……」

 だが、何かを悟ったグラスはふと考え込み、少ししてから笑みを浮かべた。

「案外、そうなのかもしれないな」

「……えっ?」


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