【5】
「あんた話と違うじゃないか。性能は折り紙付きだって?」
『どうやら、相手の性能の方が上だったようだ』
もう誰も人が来ないような寂れた駐車場の二階。二人の男と一人の司祭が佇み、リーダーが誰かと連絡を取っている。辺りは周期的な水音だけが響き渡り、追手や人の気配はどこにもなかった。テロリストにはいい隠れ場所だろう。
PHSを握り、感情を抑えたリーダーの声が響く。
「貸し出してくれた司祭、一人は足止めだけして男に負けたぞ。そもそも敵は公安じゃないのか」
『敵が想定を超えただけのことだよ。そもそも、あの司祭は体験版だからね』
「……何を考えてる。司祭をタダで貸し出すなんて」
本来であれば彼らはそんな手には出なかった。ケツに火が付いたことで半ばやけくそになり、電話の相手と契約を結ぶことにしたのだ。司祭をタダで貸し出す、そんな罠としか思えない契約内容でも彼らにそれ以外の選択肢はない。捜査が広がって追い詰められていく中で、状況を打開できた上でより効果的な策が欲しかったのだ。
加工された電子音の声が電話から響く。
『なに、慈善事業みたいなものさ。こっちは死体を作ってくれればそれでいいんだ』
「……まあいい。俺たちはもう三人の人間と二人の司祭しかない。限界だな」
『随分減ったね。残った司祭は?』
「反射と複製の司祭だ。司祭がもう一人居ることは俺とこいつしか知らない」
そう、この場に居るのは一人の人間と二人の司祭だ。情報が絞られていた為に藍川が心を読んでも見抜けなかったが、残っている司祭は二人なのだ。別行動中の二人を合わせて人間は三人、司祭は二人。しかし、これだけあっても状況は芳しくない。
『それなら、追加で司祭を貸し出そう』
「……正気か?」
『君たちは今、逃走の為に騒ぎを起こしてかく乱しようとしている。だろ?』
「ああ、そうだ」
『それなら戦力は必要だろう。司祭が三人も増えれば十分じゃないかい?』
そう電話の主が言った瞬間、駐車場の柱の影から三人の男が現れる。急な出来事に驚く二人だったが、電話の主は何も気にせずに話を続けた。
『追加の司祭三人、確かに送ったよ』
「……何が目的だ。落ち目のテロリストには過剰なサービスだぞ」
『私としては、死体を作ってくれればそれでいいんだよ。せっせと回収するからさ』
「……そうか」
電話の主が何を目的としているのかは彼らには分からない。司祭をタダで貸し出せるほどの戦力があり、突然三人の司祭を送り付けられるような謎の力まで保持している。そして、いつも見返りに死体を要求する。正にテロリストに微笑む天使のような存在だが、素性が少しも明らかにならない以上は天使か悪魔かは確定しない。何も分からないのだ。
『それじゃあ花火、期待してるよ』
それだけ言い残すと電話が切れ、柱の影に居た三人の司祭がリーダーに近付いて止まった。これで戦力は人間三人と司祭五人。一見すれば過剰戦力だがリーダーからすれば、自分たちのアジトを襲撃した敵の司祭と戦うにはこれくらいで丁度いい程だった。これならまだ、戦える。
ずっと黙っていた部下の男が口を開く。
「リーダーどうします」
「どうもこうも。戦力が倍増したんだ、逃げられる見込みはある」
「……手筈通り、二人が貧民街で足を確保してます。二日はかからないかと」
「ならいい。で、複製はできたか?」
この場に居るのは補充された三人の司祭と、反射の司祭と複製の司祭。大抵の物を複製することのできる複製の司祭は、リーダーに言われると懐から小型の爆弾を取り出して見せた。
「もちろん。爆弾計四百十三基、複製してある」
「今回は東南アジアの時のように手加減しなくていい。本気でやるぞ」
「ああ、これだけあれば敵の気をそらせる」
そう言って遠くの自動車を見る司祭。後部座席には爆弾の積まれたダンボールが置かれており、既に大体の準備が整っていた。後はこれをばら撒けるだけの足を手に入れられれば全てが終わる。これを町中にばら撒いて時間を稼ぎ逃走する。敵の足止めは補充した司祭達に任せる。実に単純な計画だ。
「お前、今度は仕留めろよ。命に関わるんだ」
リーダーが反射の司祭に呼びかける。しかし、彼は死んだ目のままうつむくだけで何も反応を示さない。だがそれは彼が死んでいるということではなく、聞いていながら答える必要がないと判断しているだけなのだ。大柄でいかにも強そうな男だが、その行動からは強さを感じられない。
彼を見る複製の司祭。
「……聞いてるのかこいつ」
「いやまあ、聞いてはいるんでしょうけど。反応がない奴なんですよ」
「司祭ってのはこういう奴が多いのか?」
「まさか、殆どが普通の奴ですよ」
表情を少しも変えない反射の司祭。まるで魂が抜けた人形のようだが、それでもたまに喋ることはある。しかし、それは傍から見れば意味のない言葉でしかない。彼が何を考えているかをそこから理解することはできないのだ。
誰にも分からない彼の心の内を知ることができる者が居るとすれば、それはもう心の司祭一人だろう。
「司祭は神に祈れないそうだが、これを見てると自ずと頷けるな」
「そうですかね?祈れないのは生理的嫌悪みたいなものなんですけど」
「でもよ、あの真っ黒な目を見て思わないか?」
濁った瞳を覗き込む複製の司祭。そこには何も映っておらず、ただがらんどうの黒が広がっている。
「こいつは心底神を信じていない目だよ」
【6】
早朝のホテルを
粳部はグラスが部屋に居なかったことから長い朝食中だろうと思い、ホテル一階のレストランに向かう。すると、予想通りに異常な量の皿を使う女が見えてきた。
「おはようございます……グラスさん」
「ほはほう……粳部」
「食べながら言わないでくださいよ……」
ビュッフェで皿に盛られた大量の食事を、グラスは無理に体に流し込んでいる。よく見ればそれは食事などではなく、車にガソリンを給油するような機械的なものだった。粳部からすればそれは理解しがたいものだ。苦しいくらいの食事を摂った経験は、彼女にはない。
偏った量のスクランブルエッグを皿に乗せ、グラスの向かい側の席に着く粳部。
「あれから職員から連絡はあったか?」
「いえ、異常なしとのことで」
「そうか。今日はこの後……んむっ……藍川と合流して報告を受ける予定だ」
食事中に話すのはマナー違反だとまた言いたくなった粳部だったが、グラスが好きでそうしているわけではないことを思い出し思い留まった。彼女は好きでそのあり方を望んだわけではなく、ある日突然そうさせられたのだ。権能を与えられた対価として弱点を背負わされ、人間の食事量を超えた食事を摂らなければ死ぬ体になってしまったグラス。
粳部は悲しい瞳で彼女を見つめる。
「その……いつからなっちゃったんですか?司祭」
「およそ四年前だ」
「……それはその……耐え難いですね。四年も苦しんでるなんて」
不意にグラスが持っていたフォークを皿に置く。粳部の言うことに殆ど反応を示さなかった彼女が突然動き、粳部は彼女の細かな動作に注目する。腹に食べ物を詰め込み吐き気をこらえて苦しむグラス。そんなことをしてまで生きたいというのは、最早執念だと粳部は思った。
「これから先もだ。司祭は自分の意志で辞められないからな」
「……じゃあ、死ぬまでですか?」
「そうだな、そういうことになる。最も、私の心が先に折れるだろうがな」
「そういう人には……見えませんけど」
自害する司祭は年間に数年居る。背負った弱点の苦痛から限界を迎え、司祭の力を手放す為に自分の命も捨てようとする。成功すれば苦しみから解放されるだろうが、司祭の場合は失敗した時のリスクが大きい。そして、粳部からすればグラスはその選択肢を選ぶような人間には見えなかった。
食事を再開するグラス。
「……私は生まれた時から食事が嫌いだった。母乳も飲まなかったそうだ」
「拒食症……ってやつですか」
「味が、喉を食事が通る感覚が、胃腸に何かがあるのが嫌だった」
それは粳部には分からない感覚だ。食事が好きな彼女からすれば楽しみがそんな感覚になることはないが、何となくそれを想像しようとしてみる。全ての食べ物が嫌いな食べ物のような、体調不良の時の食欲減退を混ぜて数倍にしたような感覚。グラスの感じる苦痛には決してとても届いていないが、近い物でいえばそれだろう。
何枚も重ねたハムを口にねじ込むグラス。
「そんなことをしていれば栄養失調で死ぬ。私は限界だった。よく病院に点滴に行った」
「……」
「生まれつきのものはどうにもならない。司祭にでもならない限りな」
奇跡は起きた。誰も願っていない奇跡が起きた。グラスは四年前に司祭になってしまい、何が何でも食事を摂らなければならなくなった。生まれついての拒食症で苦しむ彼女に、生きたいのなら食べ続けろという無理難題を押し付けたのだ。司祭になる人物を決めている神様は酷く残酷だ。他にいくらでも候補は居ただろうに。
「それで……生き地獄が」
「ある日、司祭になって食べなければと思った。生きる為に食べなければならなくなった」
「……」
「病院の食事を勝手に食い尽くしたよ。泣きながら、吐き気をこらえながら食い尽くしたよ」
司祭は単独で国を滅ぼせる性能を持つ。それは概念防御という鉄壁と、与えられた権能の力は通常兵器では突破できないからだ。どうあっても最終的に勝つのは司祭、だがそれは彼らが無敵であるという証明にはならない。司祭それぞれ弱点が与えられ皆が皆完璧ではない。不完全であるように調整がされている。
まあ、その調整がどこの誰のどの視点で行われているものなのかは誰にも分からないのだが。
「それで組織にスカウトされた。食事代を全て彼らが持つ代わりに戦うと」
「……ここの司祭はみんなそうなんですか?」
「傾向としては多い。自分の弱点に狂わされるのはよくある話だ。私がいい例だな」
「何でそんな理不尽な目に遭うんです……自分で望んだわけでもないのに」
自分で望んで見た地獄ならまだしろ、何も望んでいないというのに押し付けられ、その上で目を逸らすことも許さないというのは理不尽だ。理不尽なことの方が多いのが人生だと言われたらおしまいだが、それでもこれは群を抜いて理不尽なのだ。恨もうにも、誰が何をして人を司祭にさせるのかハッキリしていないのだから。
「私は……罪を犯したからだと思う」
「罪?……誰が何の罪をやったんです?」
「これは私の仮説だが、私達は間違えた力を手にした代償を支払わされているのかもしれない」
粳部が顔を上げて驚いたような表情を見せる。グラスの言っていることは、イコールで藍川やラジオにも刺さりかねないのだ。
「力に善性も悪性もないですよ!間違ってるだなんて……」
「……そうだな、君の言うことも一理ある」
「それに……例えそれが罪なら、償わせないのは傲慢じゃないですか」
「償い……ね」
伏し目がちなグラスは食事を摂る手を止めていた。粳部が言った言葉を何度も頭の中で繰り返し、納得がいくような返答を考えていた。やがて曖昧だったものが形になり答えらしい答えを返せると思うと、グラスは沈黙を破って回答した。そうするしかなかった。
「司祭は神に祈れない」
「……そういえば、そんなこと言ってましたけど……」
「司祭は生理的な嫌悪感や苦痛で神に祈ることができない」
手を合わせることも組むこともできず、祈ろうとすれば宗教行事で嫌悪感や激しい苦痛に襲われてしまう。それが司祭。そこに抜け道はなく、どう願おうと何を願おうとそれは苦痛となって司祭を苦しめる。ただひたすらに。
「……私達は、神に見捨てられたのかもしれないな」
「……」
「お前の罪は死でなければ償えないと、見放されたのさ」