【4】
「えーっと……何で私達ご飯食べてるんですかね」
「食べてるのはお前とグラスだけだろ」
戦闘のあった翌日、まだ朝になったばかりの六時二十分に三人は中華料理屋に入っていた。蓮向かいの職員が経営している店の為に店内は貸し切りにされ、テーブル一杯の食事は殆どがグラスの腹の中に吸い込まれていった。
ほぼほぼ噛まずに飲み込むグラス。
「んぐっ……逃してしまったのは仕方がない」
「ちゃんと噛みましたか今……?飲んでません?」
「先日から捜査を進め、次の潜伏地を絞り込めたぞ」
「まあ、何人か逮捕できたからな」
食事を止めないグラス。空いた皿を店員が次々と回収し、次の料理を隙を埋めるようにして置いていく。情報共有と段取りの確認の為にここに来た
驚きから口を大きく開く粳部。
「藍川が居ると捜査が進む。心を読めると尋問の手間が省けるな……んぐっ」
「使いたくないんだがな。で、敵の動きは?」
「潜伏先の候補一つで目撃されたが、うちの職員の監視を察知し別の場所に移動した」
「そう簡単にはいかな……食べ過ぎですよ!?」
やけに大きい北京ダックにかぶりつくグラス。何かに取り憑かれたかのように無心で食べる彼女は、粳部には酷く不気味に見えた。側から見れば、彼女は任務よりも食事を優先しているように見える。口周りが汚れることも気にせずに、グラスは一心不乱に目の前の料理を食べていた。
忙しく厨房と席を行ったり来たりする店員。
「店長どうなってるんですか!あの人変ですよ!」
「俺が聞きてえよ!この調子じゃ食材が切れちまう!」
「先輩、この後休業ですねこの店は……」
明らかに人が食べる量を超えている。既に二キロ以上の食べ物を流し込んで食べており、この早さでは消化器に大きな負担が掛かってしまう。グラスは追い詰められたような表情でただひたすらに食べ続け、テーブルの皿が殆ど片付き料理の供給が追い付かなくなってしまった。
粳部が不安な表情でグラスと皿を交互に見る。そんな中、グラスが手を上げて店員を呼んだ。
「水餃子を六人前頼む」
「むちゃくちゃだこの人……」
「残ったテロリストは一般人が四人、司祭が一人だ」
「攻撃を反射する司祭か……相当な手馴れみたいだな」
もう大食いに驚くこともしなくなった藍川が反応する。先日に逃してしまった強力な司祭、粳部の攻撃を全て反射しグラスの徒手空拳を受けながら逃げ延びた強者。藍川さえいれば取り逃すことはなかっただろう。
「俺は地下で少し厄介な司祭と戦ってたからな。面目ない」
「構わない。奴は反射の権能を持ち、高い身体能力と概念防御を持ったγ+相当の司祭だ」
「そうです、めっちゃ強かったんですよ」
戦闘経験の浅い粳部だったが、攻撃を反射するというのがなおのこと相性が悪い。反射を貫通する術を持たない彼女は一発だけしか攻撃を当てられなかった。しかし、その一発も理由が分かっていない。
苦しそうに食べながら話を聞くグラス。
「で、何でグラスさんの攻撃だけ当たったんですか?」
「私の権能は過剰出力。取り込んだエネルギーを過剰に消費し、概念防御と身体能力を限界を超えて強化する」
概念防御を破ることができるのは概念防御。司祭と司祭がぶつかった時、勝つのはより強い概念防御を持った相手だ。概念防御は強ければ強いほど他の概念を弾き、時には司祭の権能すらも弾いてしまう。
「過剰なパワーで無理に反射の壁を貫通したが、パワー切れを起こしてダウンしていた。面目ない」
「パワー切れって……そんなロボアニメみたいな」
「ロボ……?まあ、緊急出動だったからな。敵の司祭についても想定外だった」
納得がいく粳部。Ω−という並の司祭と一線を画す存在にしては彼女はあまり強くなかった。取り逃した後にすぐ食事に行ってしまったことに呆れていた粳部だったが、これで少しずつ理解が進んできた。
大きな肉まんを一口で食べ、飲み込むグラス。
「藍川、敵は何故司祭を雇えた?」
「普通は雇えないものなんですか?」
「ギャラが億を超えるからな。あんな貧乏テロリストに二人も雇える金はない」
「……それは変ですね」
蓮向かいが司祭などの優秀な人材に高給を支払っているのは、絶対にテロリストなどに奪われないようにする為の戦略だ。圧倒的な資本力で支配下に置き、高待遇にすれば敵に流出することは減る。実際問題、支払いが良い為に蓮向かいに所属しているだけの人間も多い。
「心を読んだ感じでは、あの司祭は貸与されていた。日本のネット経由で接触した仲介役が貸したんだ」
「司祭を貸与?……そんな規模の組織が存在するのか」
「問題は何故かそれが無償だったことだ」
「……ただでくれるんですか!?」
体験版にしては大盤振る舞い過ぎると思う粳部。それもその筈。司祭を傭兵にするという考えは、司祭の存在を蓮向かいの前身となる組織が初めて認めた時から危惧されていたことだ。単独で国を滅ぼせる存在であれば雇う為にも相当なコストがかかる。それを二人も貸し出してくれるのだから粳部達が驚くのも納得だろう。
「目的は分からない。だが、落ち目のテロリストに司祭を貸与なんて正気じゃない」
「商売にならないっすよね……じゃあ、どうするつもりだったんです?」
「そいつは電話でしかやり取りをしなかった。正体は今捜査中だが、これは俺達の担当じゃない」
「んぐっ……そうか……んむっ」
ラジオは未だ、藍川の話を聞きながら運ばれてくる食事を口に運び続けていた。彼女の食事はまだまだ終わらない。注文を全て食べ尽くすその時まで。
粳部は空の食器を見つめながら敵について考える。昨日に渡された資料から考えるに、国内に集まったあのテロリストは普通の爆弾によるテロを行うだけの一般的なテロリストだ。だが、司祭を貸与してくれる相手との繋がりを持ち、実際に二人を貸し出してもらっている。
国際指名手配された落ち目のテロリストに、彼らはどういう期待をしているのだろうか。
「あの、敵の現在の状況って他にないですか?」
粳部の声に反応し店員が彼女の下へ駆け寄る。蓮向かいの職員が経営している店の為、当然その店員も蓮向かいの諜報員というわけだ。
「対象は移動後に別行動を取っています。その為、潜伏地が分からずバラバラです」
「組織が瓦解したんすかね……何か目立つ行動は?」
店員は他のテーブルに置かれていた書類を手に取り粳部に手渡す。それを覗き込むグラスと藍川。店員が説明を始めた。
「貧民街のここで何人かのホームレスと話していたという目撃証言がありましたが、詳細は不明です」
「潜伏の算段でも練っているように見えるけど、まあ違うだろうな」
「そうなんすか?」
「私もそう思う。奴らは捕まるくらいなら自爆を選ぶような執念を持ってる。まだ何かやる」
テロリストが日本に移動した為に手空きの粳部と藍川が駆り出されたが、本来担当していたグラスもテロリストを追って日本にやって来た。数ヶ月に渡り捜査を行ってきたグラスの勘がそう囁いている。彼らの犯行を何度も見つめてきた彼女がそう確信しているのだ。
グラスの様子を伺うように彼女を見つめる粳部。
「君、証言した人物は知ってるね。俺が直接会って心を読もう」
「えっ、どうするんです?」
「過去の記憶を漁れば顔が分かる。そのホームレスを捜索すれば何か分かる筈だ」
正に反則染みたやり方。入力は容易でも出力は難しい曖昧な人の脳内、彼はそれを無理やりこじ開けて足を踏み入れる権能を持っている。その分、その反動が自分に返るという恐ろしい弱点があるが、彼が強力であることには変わりない。
食べる手を一旦止めるグラス。
「昔から思うが、便利だな藍川」
「簡単に聞こえるかもしれんが、その実は悲惨だぞグラス」
こなれた会話をする二人が気になって交互に見る粳部だったが、水を飲んで立ち上がった藍川がコップを机に置く。もう目撃証言をした人物の下に向かうつもりで、そそくさと店を出ようとしていた。
「俺はもう行く。粳部はグラスと一緒に連中の動向を調べてくれ」
「りょ、了解っすけど……」
その時、グラスが手を上げて店員を呼んだ。
「おえっ……八宝菜と回鍋肉を三人前ずつ頼む」
「ええ!?か、かしこまりました……店長ー!」
「思ったんですが……司祭ってみんな大食いなんですか?」
「そんなわけないだろ。おい、お前のせいだぞグラス」
苦しそうな表情で粳部達の方を見たグラス。無理をしてまで食事を摂るような彼女の考えていることは分かりにくく、こうして見つめられても粳部にはイマイチ感情が読めなかった。
「司祭は食事を取らない者の方が多い」
「……そういえば、鈴先輩何も食べませんでしたね」
「別に、食わなくたって生きていけるからな」
「駄目ですよご飯は食べなきゃ」
エネルギーを取らなければ生き物は死んでしまう。ずっと稼働し続けられる炉心を持った生き物はこの世に存在しないのだ。いつの時代も食べることは生きること。
しかし、それは司祭がこの世に生まれるまでの話でしかない。
「粳部、司祭はな……人によっては食事が要らないんだ」
「えっ餓死しますよねそれ」
「司祭は概念防御を強固にする中で自分に不要な概念を捨てるが、食事や味覚の概念は優先して廃棄する」
故に、行き着いた司祭は食事を必要としない。これは最前線で戦う司祭ほどその傾向があり、生きる為に自身を守る概念防御を強固にするほど自分の大切なモノを切り捨てていく。強力な司祭の大半は睡眠や食事、呼吸や理性、果てには『死』すらも拒絶してしまう。
それが司祭だ。
「強力な司祭ほど食事しない。俺も味覚が弱いしあまり腹も減らない」
「えっ……じゃあ、前に食べてなかったのは」
粳部はふと、数日前の食堂での出来事を思い出す。食事を摂るラジオと水だけを飲む藍川。戦闘員ではなく後方支援がメインのラジオは概念防御が強くない、何かを捨ててまで強くなる必要がない。だが、前線で戦う藍川は強くなければならない。自分の中の大切なものを薪にくべて捨て去り、自身の、概念防御という炎を燃やさなければならない。
何年も戦い続けて来た藍川の味覚は既に弱まり、食事を殆ど摂らなくても稼働できるようになっている。
「興味ないんだ。あまりな」
「……羨ましいよ、本当に」
不意に、黙っていたグラスが口を開く。無表情を貫いていた彼女が目を伏せ、持っていた箸を皿に置いた。
「う、羨ましくはないですよ!ご飯食べられないと人生の半分損してますって!」
「……私の弱点は、大量の食事を摂らなければ死に至ること」
そして、グラスは食事を再開し、再び大きな水餃子を飲み込んだ。もう何キロも食べたというのに食事を止めず、何かに憑りつかれたかのように胃の中に物を詰め込んで押し込んでいる。それは正に、彼女の弱点だ。
「私は食事が嫌いだ。それでも、詰め込まなければ生きていけない」
「……司祭にはそういう弱点の奴も居る。それと比較したらラジオはまだマシな方だよ」
「そんな……そんな苦しいこと」
続けなければ生きていけない。彼女は生きる為に食事を摂っているが、それは常人の理由とは大きくかけ離れている。弱点で死なない為だけに、彼女は食事を詰め込んでいるのだ。常人が感じるであろう幸福などなく、ただひたすらに死なない為だけに詰め込んでいる。
世界には食事に興味を持たない人間の方が多い。三大欲求に食欲が含まれているが、実際のところは二大欲求なのだ。食事の味など感じない人間の方が割合としては多いのだろう。グラスがいい例だ。
「止められるのなら止めたいさ。私にとって全ての食べ物は不快でしかない」
「……美味しくないんですか?」
「……吐しゃ物を口に詰め込んで、美味いと言う奴を私は知らない」
全ての料理を冒涜するような女は、運ばれてきた新しい食事に手を付けた。嗚咽が止まらないというのに。