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4-2

【3】


「目標に動きはない。予定通りだ」

「……段取り通りに行けますかね」

 古いビルの前、ブロック塀の陰で動きを見守るグラスと粳部うるべ。裏から侵入する藍川は既に移動しており、馴染みのない二人がぎこちない距離感で作戦開始を待っている。二人の共通の知人である藍川が居ないと会話の種がなく、作戦前なこともあり粳部はよく知らない相手に緊張し続けていた。

 チラチラとグラスを見る粳部。

「想定外がなければ上手くいくだろう」

「……鈴先輩とは付き合い長いんですか?知ってる感じでしたけど」

「二回程会ったことがある。その程度の付き合いだ」

「そうっすか……」

 あまり深い付き合いでなかったことに安堵する粳部。自分の知らない藍川の人間関係にやきもきしていた粳部であったが、これでようやく安心することができた。だが、依然としてグラスが何者なのかが粳部には分からなかった。グラスが自分から喋ろうとしない為に、少しも見えてこないのだ。

 作戦開始時刻まであと少し。

「……あの」

「無理に喋ろうとしなくていい。これでも協調性はある」

「ええ……本当なんですそれ」

「司祭様、買ってきました」

 グラスの指示を受けて買い物に行っていた蓮向かいの職員が戻って来た。職員はグラスに駆け寄ると持っていたハンバーガー店の紙袋を渡す。彼女は何も言わずに袋を開けると、包みを解いてハンバーガーをむさぼり始める。それは食事というよりも押し込むという感じで、見つめる粳部は違和感を覚える。作戦開始が近い為に急いでいるのかと解釈する粳部。

「しょっちゅう食べてますねグラスさん……余裕が凄いというか」

「人は食べなきゃ死ぬだろう。誰だってそうだ」

「それはそうですけど……この状況でよく食べれるというか」

 人間相手の簡単な仕事とはいえ、直前で食事が摂れるというのは余裕の証明だ。例え運悪く司祭が居ようと、対処できるだけの実力を持っているということ。並みの司祭とは一線を画す、Ω-の等級のグラスが居れば基本的に問題ない。それに、不調とはいえここには藍川も居るのだから。

 ハンバーガーを全て口に詰め込み、碌に咀嚼せず飲み込むグラス。作戦時間がやってきた。グラスは紙袋のゴミを職員に手渡した。

「作戦開始、裏口の藍川も動き出すぞ」

「りょ、了解です!」

 その瞬間、ビルの照明が落ちて真っ暗になる。予定通りに停電が始まり、走り出したグラスの背中を追って粳部が走り出す。グラスは扉を静かに開けると蛇のような動きでその隙間に入り、音もなく廊下を駆けて行く。足を引っ張らないように細心の注意を払いながら走る粳部。

 まだ停電が始まって数秒しか経っておらず、敵はまだ異常を察知できていない。この隙に全て倒して逮捕することが今回の目的だった。

「藍川が地下に行く。私達は上階を探すぞ」

「はいっ!」 

 階段を一瞬で跳び上がるグラス。粳部が後を追って上階に向かうと、既にグラスは敵を軽く叩いて気絶させていた。停電で混乱している三人の人間を一瞬で仕留めるグラス。司祭は人間を凌駕した完全な存在、ただの人間など一秒も掛からずに倒せるのが司祭だ。分かっていたが圧倒的だと思う粳部。

 粳部は止まらないグラスを追いかける。

「何だおまっ!?」

「粳部、敵を拘束しておけ」

「早いですって!」

 曲がり角に居た敵の腹に肘を叩き込むグラス。一瞬の早業に何もできず気絶した敵だったが、よろめきながら壁に倒れた途端に警報ベルを押してしまう。警報が辺りに鳴り響く。けたたましい騒音が鳴り響いたことに驚く粳部だったが、グラスは特に反応せず警報ベルを粉々に蹴り壊す。

 あっという間の対応だったが、これで敵に気が付かれてしまった。

「海坊主!」

 粳部がそう叫ぶと近くの陰から海坊主が現れ、その体から無数の腕を出して敵を縛り上げる。縄のように長く細い腕で縛られた敵は何の身動きもできず、仕事を終えた海坊主は地中に潜って消えていく。粳部は腕の概怪と戦った際の経験を活かし、海坊主を変化させる方法を我が物にしていたのだ。

「それが切り札か。便利なものだな」

「まだ慣れてないっすよ。それより敵は……!」

「どうやら、司祭を雇えていたようだぞ。敵は」

 遅れて敵に気が付き、グラスが見た方向を向く粳部。その廊下の先では一人の大男が堂々と佇んでおり、逃げることも進むこともせず彼らの動向を見つめている。正に一触即発の状況、思わぬ敵の襲来に緊張が高まる粳部。

 その時ふと、敵の司祭は一人だけなのかと粳部の脳裏に疑いが浮かぶ。しかし、そんなことを考える暇はないとすぐに忘れる。

「俺は逃げない……逃げない……逃がさない」

「撃破する。粳部、援護を」

「やります!」

 粳部はすぐに海坊主を出現させるとその腕を伸ばして男に突撃する。まずは小手調べの一撃、これで敵の出方を窺うというのが粳部がここ数日で学んだやり方。

 その時、男が祝詞を唄う。

『祭具奉納、曲がり偽り裏返り』

 海坊主の腕が男に激突するのが先か、祝詞を唄い終えるのが先か。答えはもう既に出ていた。

反根花はんこんか

 男の目に眼帯の祭具が現れた瞬間、何もないところで海坊主の腕が激突したかと思うと反射して弾かれてしまう。何が起きたのか分からず困惑する粳部だったが、彼らに向かって走り出した男を止める為に再び海坊主を動かす。概怪と戦った時のように海坊主の全身から針を出して足止めを試みた。

 だが、男が近付いた瞬間に針は折れ曲がって海坊主自身に突き刺さる。

「そんなっ!?」

「何となく分かった」

 グラスが壁のコンクリートを片手で砕いて掴み、男に向かって投擲するとそれはぶつかる直前に跳ね返った。グラスは彼女の下に戻って来た破片を避けると後ろに下がって男から距離を置く。同じく有効打を与えられなかった粳部も下がる。粳部には何故攻撃が通らないのかが分からなかったが、グラスには察しが付いていた。

 男の拳を躱しながらグラスも祝詞を唄い始める。

『祭具奉納、底なし沼にただ一人』

 途端にグラスの周囲が輝き始め、彼女の首にチョーカーが現れた瞬間にもう止められないと察した男が後ろに下がる。

「そちらも来るか!」

井戸底知いどそこしらず

 グラスがそう呟いた途端に大気が震えるような感覚が粳部を襲い、男に向かう拳は顔に直撃する。海坊主の腕やコンクリート片は当たらなかったというのに、それは見えない壁を突き破って直撃したのだ。男は怯まずに腰を落として足払いをするが、一瞬で消えたグラスが横から跳び蹴りを直撃させる。壁を突き破って飛んでいく男を見て、自分が出る幕ではないと感じる粳部。

「ど、どうなって……!」

「奴の権能は大方攻撃の反射だ。弾いたのはそのせいだな」

「じゃ、じゃあ何で今……」

 瓦礫の奥で男が立ち上がり、追撃の為にグラスが駆け出す。粳部ですら目で追うのが精一杯の速度。男は彼女の拳を何とか躱すも、回し蹴りを受けて姿勢を崩す。

 男はよろけつつもラリアットで反撃するが、グラスに片手で受け止められると顔に拳を受けて怯んでしまう。粳部はそれを好機と見て駆け出し、何とか男の足を払って援護しようと飛び込んだ。

「今だ!」

 だがしかし、滑り込んだ粳部が足を振った瞬間、何もない場所で足が弾かれ粳部がどこかに飛んでいく。相当の速度を出した為に強く跳ね返り、壁を二枚も突き破ると廊下に転がった。体内では内臓が損傷し骨が折れるがすぐに治り、傍目から見れば異常は何もない。

「粳部!」

「わ、私は大丈夫です!前!?」

 グラスが粳部の方を向いた瞬間、隙を逃さない男がいくつもジャブを放つ。しかし、グラスはそれを見ることもなく片腕で弾くと、振り返った瞬間にラリアットを叩き込んだ。

 再び吹き飛ばされる男は空中で姿勢を変えると何とか床に着地する。そして、既に駆け出していたグラスの下へ向かうが、今にも彼女を殴るという直前で突然姿勢を落とした。あれはフェイントだ。

「ぐっ!」

 男はタックルでグラスに突撃すると地面に彼女を叩き付け、足を掴んで再び叩き付けてから大きく投げ飛ばした。グラスも規格外の司祭ではあったが、相手の司祭も相当な手馴れだと理解する粳部。

 黙って見ていられず、反射を破る方法が分からないまま駆け出す粳部。どんな攻撃も反射されてしまい出せる手のない彼女ではあったが、何もせずにグラスに任せるだけの女ではない。粳部は海坊主を呼び出すと、逃げ出そうとした男に駆け出す。

「せめて時間を!」

「ええい……!」

 どうにかして動きを止めようと海坊主の腕を伸ばすと、男の周囲を取り囲んで一気に締め上げようとする粳部。しかし、またしても何もないところでそれは弾かれて無意味に終わる。海坊主は弾けて消えてしまい、やけになった粳部が彼に思い切り殴りかかった。

 その拳は、当たった。

「あれっ!?」

「ぐっ!?」

 当たった男も当てた粳部にも予想外。やけになった一撃は有効打の為ではなく苦し紛れにやっただけなのだ。だというのに、その拳は男の胸に当たった。

 よろける男に追撃しようとする粳部だが躱され、脇腹にチョップを受けるとその隙にタックルを受けて吹き飛ぶ。相当な衝撃で腹の中がめちゃくちゃになりながら壁を突き破る粳部。体を再生して起き上がると、先程まで居た場所には煙が充満していた。

「マズい!敵が!」

 起き上がって駆け出す粳部だったが、辺りをいくら見渡そうと男の姿も音もない。グラスが腕を振ると煙が吹き飛び、辺りの静寂は男が既に脱出したことを示していた。勝ち目がないことを悟ったのかと思うグラス。

 グラスが耳元の通信機に手を当てる。誰かと連絡を取るようだった。

「まだ追える距離の筈だ。特に、ただの人間の方は」

「あの敵何ですか……めちゃくちゃ強かったですけど」

「ああいう傭兵はよく居る。手馴れだろう」

 ずっと通信機を耳に押し当てているグラスだったが、数秒経っても何の音もしないことに違和感を覚える。一方、粳部は彼女が何をしているのかよく分かっていなかった。それよりも反射の権能を持つ司祭に自分の攻撃が当たったことが気になっていた。

「……おかしい。外の職員と通信が繋がらない」

「えっ?先輩はどうですか?」

「やってみる……こちらグラスだ」

 グラスの耳元に藍川の声が届く。

『すまん、司祭が居て手間取った。そっちはどうだ?』

「四人捕まえたが司祭一人と何人かを逃した。外の職員と連絡が付かない」

『了解。接触してくれ』

「……粳部は中で敵の残りを探してくれ」

 それを聞くとグラスは駆け出して窓を開け、そこから飛び降りて塀に着地する。そこから真っ直ぐ直進し、数分前まで自分とやり取りをした職員が居る場所へと向かった。

 しかし、塀から飛び降りる上空で既にグラスは見つけてしまった。地面に転がる、さっきまで生きていた職員の死体。通信機ごと壊れた頭部。着地したグラスはそれを見下ろし、怒りにも悲しみにも似た表情で自分の通信機に触れる。

「藍川、医療班を呼ぶ」

『負傷か?』

「……一応はそうだ。あと……」

 無造作に転がったハンバーガーの紙袋が揺れている。グラスが職員に渡した紙袋のゴミ、後で捨てに行くつもりだったゴミ。それが、無遠慮な風に揺れている。

 そして、藍川に囁くグラスの声は低かった。

「大至急で飯屋に向かう。限界時間だ」


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