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3-4

【7】


「もう四時間ですか……粳部うるべさんも中々タフですね」

「あなたクリアさせる気あるんですか!?」

 法術で作られた光の鎖でがんじがらめにされた粳部がラジオに怒る。粳部は力を振り絞ると鎖を引き千切り、地面に着地すると力なく項垂れた。不死身の体であるが故に粳部が消耗することはないものの、精神を持つ生き物である以上は精神的に疲弊してしまう。四時間もぶっ通しで追いかけっこしていれば飽きも疲れもするだろう。

 ラジオが粳部を見下ろす。

「簡単にクリアされたら訓練にならないじゃないですか」

「だからってこれはやり過ぎですよ!人を殺す気ですか!」

「死なないでしょ?」

「それはそうですけど……」

 これだけされても粳部は死なない。腕を切られようと足を切られようと、胸を袈裟斬りしても服ごと再生するのが粳部なのだ。逆に全力疾走や法術を繰り返し何度も使っているラジオの方が消耗してきている。ラジオの方からすれば、無限に立ち上がり無限に逃げ続ける怪物を無限に捕まえろという無理難題を押し付けられているのだ。

「でも記録は伸びてきてますよ?ベストは九分三十秒、いい傾向じゃないですか」

「ここまで伸ばすのに四時間掛かったんですよ……?勘弁して」

「後は気合いです。立った立った」

「……ちぇー」

 半ばやけくそのようになりながらも粳部は立ち上がり、己を奮い立たせて走り出す。自己ベストを三十秒更新すれば粳部は訓練をクリアできる。だが、何度も何度も負けながら分析と対策を繰り返しここまで記録を伸ばしてきた粳部であったが、流石に頭打ちになってきた。そのたった三十秒が一時間も突破できない。動きを先読みするラジオに敵わないのだ。

 全力で視界の悪い林を走り抜ける粳部。残りは八分だ。

「粳部さんは先読みが足りてませんねえ」

「はいぃ!?これ以上何足せと!」

「それが頭打ちの理由ですよ!」

 ラジオが光の鎖を投げると木の幹で方向が曲がり、粳部に奇襲を仕掛ける。彼女は持ち前の反射神経で対応し、スライディングで鎖を躱すと更に逃げ続けた。何とかラジオと距離を取る為に木の枝へ跳び上がる粳部。木から木へ猿のように逃げる彼女だったが、近くにあった木に貼られたお札が光ると法術の鎖が飛び出す。粳部はギリギリのところで奇襲に気が付き、空中で身を捻ると鎖を躱し地面に着地する。

「っ……なっ!?」

「隙あり!」

 粳部の着地を狙っていたラジオが木の陰から飛び出し刀を振る。粳部はそれをすんでのところで躱すと再び木々の間を駆け抜け、障害物を利用して距離を取ろうとする。どこまでも追跡を止めないラジオは木々の中に消えて行き、神経を張り詰めさせて周囲を警戒する粳部。

 残り七分まで来た。

「そんなんで不測の事態をどうするんですか」

「そっちか……!」

結鎖けっさ

 突如背後から現れたラジオ、何度も粳部を襲った結鎖で粳部を捕えようとする。極限まで高まった反射神経が咄嗟に背後の敵に反応し、粳部は跳び上がって林の上を跳んでいく。間一髪のところで回避できたが、あと0.1秒でも遅れていれば光の鎖に絡めとられて捕まっていただろう。今のはかなり危なかったと冷や汗を掻きながら林を駆け抜ける粳部。

 その時粳部はふと、ラジオの反対方向から音が聞こえたことが気になった。

「あと五分!」

 やっと半分を切った。まだ五分しか経っていないというのに、粳部にとってはもう一時間経ったような感覚だった。たった十分間逃げ延びる単純な訓練であっても、ここまで神経を使えば永遠に近い時間の拷問だ。木に貼られたお札から飛び出す鎖を避けながらとにかく勘で逃げ続ける粳部。この林はラジオが入念に準備した監獄だ。尽きないスタミナで全力疾走し続ける粳部。不死身の体は持久戦に強いが、当の本人である粳部の精神はその不死身に適応していない。極度の緊張と張り詰めた神経で限界まで追い詰められてきている。

 ふと、粳部が走っていると木々の中に錆びたサイレンを見つけた。

「これって……まさか!」

 音が出る機械であれば制御し音を聞くことも出すこともできる、それがラジオの権能。法術と林の地形を利用したかく乱と奇襲、それだけでなく権能による位置の特定。十分間逃げ切ることを許さないラジオの領域。サイレンを蹴り壊して盗聴を防ぐ粳部。

 γという高い等級に相応しい実力だと粳部が思った瞬間、背後からの音に反応して振り向く。残り三分、ラジオは至近距離。

「全て聞こえてるよ!」

 振り下ろされる刀を後ろに避け、距離を詰めて何度も刀を振るうラジオから逃げ続ける。至近距離から放たれた鎖に絡み付かれないように逃げる粳部は、もう精神的に限界に近かった。あらゆる奇襲に反射での対応を求められていたことで疲弊していたのだ。少しも頭が回らない。

 繰り出されるラジオの突きに対し、咄嗟に地面を強く蹴って崩し土煙を発生させる粳部。何とかそこから逃げ出す。

「どうすれば……あっ」

 その時、走る粳部の脳裏にラジオの言葉がこだまする。先読みが足りていない、つまり反射で戦っているということ。追い詰められ不測の事態へ反射での対応を強いられていたが、それは間違った戦い方なのだ。染野や藍川との訓練で反射で動かないように鍛えられたというのに、そのことを忘れてしまっていたことを悔しく思う粳部。こんな初歩で止まっているわけにはいかないというのに。

 残り一分を切った。

「あと一分だよ!今度は逃げ切れるかな!?」

「逃げてみせますよこんにゃろー!」

 再び木々の中に消えるラジオ。粳部はふと、彼女の攻撃方法に法則性があることに気が付いた。地形、木々の配置によって攻撃の仕掛け方と進行ルートが決まっている。四時間も追いかけまわされたことで流石にデータが溜まっていた。窮地の粳部は脳内物質を分泌して必死に考える。パターンを分析し、対応策を考える。

 残り三十秒を切った途端、ラジオの攻撃が再開した。

「来たっ!」

 粳部は予想通りのタイミングで来た鎖を躱すと木々の間を縫うように進み、降り注ぐ鎖を難なく躱しながら前へ前へと進んで行った。ラジオとの距離もある程度保ちながら粳部は逃げ続け、スタート地点だった神社が見えてきた。残り時間は十秒、神社に辿り着けたら丁度時間切れになるだろう。

 意地で進む。もうゴールはすぐそこだ。

「行けるっ!」

「させるかっ!」

 やけになったラジオが刀を投擲する。あまりにも野蛮で無謀な攻撃、理知的なラジオが取らないようなやけくその一手。粳部のデータにない攻撃が直進し、彼女に直撃しそうになったその刹那。神社の境内で振り向いた粳部が刀の柄を掴む。流石の粳部も想定外だったようで、刀を受け止めてから遅れて驚く。

 そして、遂に粳部は十分間逃げ切った。

「うわっあぶね!」

「おお、丁度十分だな。やっと逃げ切ったか」

「ギリギリアウトですよ!柄を掴んでますって!」

「はあ!?柄はセーフっすよ!」

 社で寝そべっていた藍川が起き上がり粳部の下に向かう。疑惑の判定であることを訴えるラジオも境内に向かい、粳部から刀を受け取って鞘に納めた。

「……まっ、細かいルール決めてなかったのでここは良しとしましょう」

「お前、珍しくやけになって刀投げただろ」

「そりゃ勝たれちゃ面白くないじゃないですか」

「訓練に面白いも何もないですよ!」

 四時間も圧勝していたというのだから一度くらいは勝ちを譲って欲しいと思う粳部。格上に意地になられても困る。そもそも、この訓練の目的は戦いの感覚を養うことでラジオに勝つことではない。長時間の訓練で追い詰められた果てに戦いの感覚を習得できたのだから、今回の訓練の意味は大いにあった。

「私も良い運動になりました。滅多に動かないので勘も戻りましたし」

「……滅多に動かない人がこれだけやれるんですか」

「伊達にクラスγやってないんですよ」

「さて、休憩休憩」

 汗を掻いたラジオが社の階段に腰かける。流石の司祭と言えど、ノンストップで四時間も戦い続ければ疲弊する。おまけに法術もフル稼働で戦ったのだから相当な疲労になっていることだろう。大きなため息を吐いて大の字になるラジオ。

 粳部が彼女の下に近付く。

「ん?何ですか?」

「約束ですよね。何を知りたくてここに居るのか」

「……ああ、そんなことも言ったっけな」

 声色と雰囲気を変えるラジオ。彼女が憂いを帯びた表情をした途端に周囲の温度が下がるような感覚を覚える粳部。蝉の声は小さくなり、時間は少しだけ夏から巻き戻る。先程までのおちゃらけた雰囲気の彼女とは違う姿。静かで涼しい風が吹く中、ラジオがゆっくりとその口を開く。

「普通の理由ですよ?あんまり面白味もないですけど」

「それでもいいです」

 ラジオは弱ったなと言うように頭を掻き、少し考えてから前を向く。

「友達を探してるの。居なくなった友達を」

「……そうですか」

「まっ、藍川さんと変わらない理由かな」

「えっ?」

 ふと話題に上がった藍川の方を振り向く粳部。彼は露骨にバツが悪そうな顔をして目を逸らし、素っ気なく答えた。

「ノーコメントだな」


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