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3-3

【4】


「……生き残っただけマシか」

 診断書と横たわる被害者を見比べながら、谷口たにぐちはそっと言葉を残す。目の前の生存者は両足はなく腕も足りていない、全身包帯の憐れな犠牲者。これではとても元の写真の人物とは思えない。病院にて、先日に藍川と粳部が倒した概怪の腹から出てきた生存者を確認する谷口。

 彼の横に居た看護師が落ち着きなく話しかけてくる。

「あの、本来は面会謝絶で……」

「三分ぴったり。ちゃんと出ますよ」

 谷口は腕時計で時間を確認すると話を切り上げ踵を返す。扉を開けて廊下に踏み出し、端にある休憩スペースへ向かっていく。病院の無機質さは彼の肌に合わないようだ。

 ポケットからPHSを取り出し、電源を入れようたしたその時。暗い画面が明るく輝き、まだ起動していないというのに電話が掛かってきた。誰かはまだ分からなかったが、こんなことをできる人間は一人しか居ないと彼は考えて間髪入れずに応答する。

「……ラジオか」

『おお、正解。よく私だって分かりましたね』

「こんな芸当ができるのはお前くらいだ。それに電源を入れてなかったんだぞ」

『不良品なら勝手に電源が点くこともありますってー』

 休憩スペースの前で足を止める谷口。中に誰も居ないことを確認すると中に入り、奥の椅子を目指して歩き始める。

『どうでしたか?先日の概怪の生存者は』

「酷い状態だ。報告書通りではあるが目視で確認すると気分が悪い」

『腕の概怪は凶暴でしたからね……』

「藍川が粳部うるべに噓を吐いた理由が、よく分かったよ」

『……あれは私もどうかと思いましたよ』

 藍川は粳部が意識を取り戻した後、生存者はついて聞いた粳部に嘘を吐いた。生存者の容態はどうなっているのかを心配して聞く彼女に、藍川は嘘を吐いたのだ。


『生存者はどんな状態っすか?治せますよね?』

『……全員もう医療班が治療したよ。今はピンピンしてるさ』

『早っ!何とかなったみたいですね!』


 だが、実際のところは違う。被害者の状態は悲惨そのものだ。既に蓮向かいの医療班が基本的な施術を終え命に別条はないが、痛み止めが投与されていても感じる苦痛は骨折の比ではない。四肢を失い肌と筋肉を大きく損傷した憐れな被害者。じきに再生した手足を接合する手術が行われるものの、被害者の心の傷までは完治しない。

 藍川は粳部に、被害者の悲惨な状態について明かさなかったのだ。

『言うべきだと思いましたけどね……まだ被害者は元気になったと思ってますよ』

「消化液で皮膚は失われ、両足と右腕を欠損。更に失明して消化管に引っかかってたんだぞ」

『まあ、彼女が知ったらショックでしょうね』

「……藍川は粳部に過保護すぎやしないか?」

 粳部の蓮向かいへの加入も彼は私情で拒み、最後は彼女の執念に押されて諦めていた。生存者が悲惨な状態だというのにもう元気になったと嘘を吐いていた。谷口は考える、彼女に惚れているからなんていう理由は流石にないだろう。粳部は馬鹿ではないのだから素直に教えておけばいいものを。

 何故、妙なことばかりするのか。

『彼女、過去に精神病院に入院してたんです』

「何?どうしてだ」

 数秒の空白の後、ラジオは答える。仮面の奥にある目は大きく見開かれた。





【5】


「……私、今日訓練に来たんですよね」

「そうだな」

「何で食堂でご飯食べてるんですか……」

「俺もよく分からない」

 蓮向かいの基地にある広い食堂、藍川と粳部は向かい合って食事を摂っている。食べているのは粳部だけで、藍川はコップの水を飲んでいるだけなのだが。

 所用を終えて戻って来たラジオが粳部に手を振り、藍川の隣の席に座る。ラジオの目の前にはハンバーガーが乗ったトレーがあり、粳部の目の前には鮭の定食があった。

「お待たせしました。いやー連絡が長引いてしまって」

「私達、訓練に来たんですよね?何でご飯食べてるんすか?」

「そう言いつつも粳部さんだって食べてるじゃないですか」

「あなたが勝手に持ってきたからでしょーが!」

 粳部達はデータベースで閲覧できる情報に一通り目を通した後、一旦休憩しようということで飲み物を買いにこの食堂まで来ていた。粳部が飲み物を買って一度席を離れた時、戻ってくると勝手に食事が置かれていたのだ。知らん顔でハンバーガーを食べていたラジオ。

 藍川がコップの水を飲み干した。

「鍛えるのなら食事は必須ですよ。まあ、あなたが餓死するとは思えませんが」

「こんなちんたらしてられないのに……」

「焦ったってどうにもならないと思うがなあ」

「……鈴先輩は何か食べないんですか?」

 そう言われて粳部が食べている鮭の定食に一度目をやり、すぐに視線を外す藍川。粳部はそれを見て嫌いな食べ物でもあるのだろうかと考える。しかし、彼女の記憶のどこにも藍川が好き嫌いをしていた姿はなかった。どんな物でも何も言わずに食べるのが藍川という人間だ。数日前に藍川の家で粳部が食事をした時も何でも食べていた。

「別に何も食べなくても死にはしないからな」

「いや、いずれ死にますよ……」

「そうか?そういやそうだな」

 相変わらずこの人は不思議な人だと笑みをこぼす粳部。彼だけ何も食べずに水を飲んでいることが気になる粳部だが、今は早く食事を摂って訓練に望みたい。次の仕事がいつ入ってくるか分からない以上、鍛えられる内に鍛えておかなければならなかったのだ。粳部の体がいつ、どのようなタイミングで元に戻るのか分からないのだから。

 お米をかき込むようにして食べ終える粳部。

「ごちそうさまでした。お金出しますよ、いくらですか?」

「奢りますよ。それ二百五十円ですから」

「二百五十円なら手持ちに……二百五十円ですか!?」

「蓮向かいの職員なら基地で安く食えるぞ。ちなみに、二十四時間営業だ」

 安さと二十四時間営業という文言に目を丸くする粳部。人員を別の組織に逃がさない為に、蓮向かいはあらゆる手を尽くしている。この驚くほど白く、清潔で綺麗な基地の内装もその為だ。金と手間を惜しまずに使って組織を維持する。国がバックに居るからこそできる力技だ。

「絶対赤字ですよこの価格じゃ!どうやって運営してるんですか」

「こうでもしないと人員を維持できないんですよ。高給、好待遇。パッと見は最高ですよここ」

「高い基本給に任務での報奨金。基地内は頻繁に清掃され、申請すれば基地内の居住スペースにも住める」

「……あっ!私ここに住みたいです!部屋に大穴空いてるんですよ!」

「あれまだ直ってませんでしたね……」

 粳部は自室の床に自分で大きな穴を開けていたが、穴がかなり大きかったことから修理はまだ終わっていなかった。これから何回かの工事で元に戻していくことになっているが、大家にこっぴどく怒られたことから粳部はすっかり嫌になっていた。それがきっかけで粳部は実家に一時的に戻っていたのだ。自分が悪いと思っている粳部だが、あんな力が出ると分かっていなかった以上は仕方のない面もいくらかある。

「風呂トイレ別な上に広くて家賃二万円で、部屋の清掃サービスもあります。私はここに住んでますよ」

「そ、それはちょっと興味あります!後で内見行きたいです!」

「……訓練に来たんじゃなかったのか」

「そうでした……内見はまた今度で」

 粳部の最優先事項はあくまで元の体に戻ることだ。その為に強くなる、昇格して上を目指す。個人的な興味を引っ込め粳部は苦笑いを浮かべた。

 ラジオがポテトを口に運ぶ。

「しかし、高給で好待遇さえあれば人はいくらでも補充できるわけか」

「こんな生活に高給で釣られない人なんて基本居ないっての」

「……司祭と研究職、事務職や整備士はいいさ。それ以外の職員は捨て駒同然だぞ」

「……高給の理由ですか」

 常に人手不足で戦力不足、子供であっても司祭ならば採用することを選んでしまうような状態。蓮向かいは世界の治安を維持する為ならどんなことでもやる。司祭であっても殉職するような過酷な環境で、ただの人間の職員は消耗品のように消費されている。粳部は考えた、これらの待遇は命とつり合っているのかと。

「これだけするから死んでくれって、お上の連中は言ってるのさ」

「いいんじゃない?それでもさ。皆がそれを選んだんだからさ」

「嘘つけ。自分が明日死ぬ側の人間だなんて、こいつらは夢にも思っちゃいないんだ」

「それでも先輩は……この組織に居ることを選んだんですね」

 藍川はここに居ることを選んだ。険しい顔つきで椅子の背もたれに寄りかかり、睨むように天井を見上げながら無言で答える。組織を維持する為にはとにかく人員が必要だ。できる全ての手を打って組織はその形を保とうとしている。優秀な人材が犯罪者の側に行くことのないように、高給と好待遇でやれることをやって繋ぎ止めようとしている。

「まだやらなきゃいけないことが……山ほどあるからな」

「司祭は一人で国を滅ぼせるだけの力がある。特にあなたみたいなのは一生辞めさせてもらえないだろうね」

「……そんなにブラックなんですかね、この組織」

「死と隣り合わせな仕事の中では最高の待遇ですよ。でも、生きるか死ぬかは自分次第です」

 粳部はあのおぞましい概怪と戦い、何回か死にながらそれを打ち倒した。故にその恐ろしさと強さを知っている。司祭の強さを知り共に戦い、その存在が世界に与える影響を分かり始めている。故にこうしなければ組織を維持できないと頭で理解しているのだ。だが、納得しているかどうかは別だ。

 ラジオが空になったトレーを持って椅子を引く。

「それに、世界を守るお仕事なんです。藍川さんが辞めない理由に、それも少しはあるんじゃないですかね」

「……心を読めない奴がよく言うよ」

「どうなんですか先輩?実際のところ」

「ノーコメントだ。訓練に行くぞ」

 そう言って藍川がコップを持つと立ち上がり、それを見た粳部も慌ててトレーを持って立ち上がる。長い準備はこれにておしまい。体が悲鳴を上げるような、文字通り壊れるような訓練が幕を開けようとしているが、粳部はまだそれを知らない。

「ところで、これからするのはどんな訓練なんですか?」

「ああ、ラジオとあの森で戦ってもらう」

「……あの人ホントに戦えるんですか!?」




【6】


「……ラジオさんって本当に戦えるんすね」

「バックアップがメインだから戦えないと思いましたか?」

 木々が鬱蒼とする林の中で粳部とラジオは向かい合っていた。朽ちた神社の御前で二人は構え、藍川は階段に腰掛けて彼らを眺めている。今回の粳部の対戦相手はラジオ、今まであらゆる個人情報をスピーカーから抜き取っていた情報収集のプロフェッショナル。

 しかし、粳部の脳内ではラジオが戦う光景を想像することはできなかった。

「まあ、もう半年は戦ってないですからね……好きじゃないですし」

「怪我人よりはマシさ。年中引きこもってたら体力余ってるだろ」

「いやあ、好きで引き籠ってるわけじゃないけどね」

「……引き籠ってるってどういうことですか?」

 何度か藍川が言っていた引き籠っているという単語が気になる粳部。γという高い等級でありこのチームのリーダーを務めるラジオ。音が出る機械であれば盗聴することが可能という無法な権能を持つ彼女が、何故引き籠りなのか。

「私の権能の有効範囲、どれくらいだと思いますか?」

「……多く見積もって……直径百キロ!」

「惜しい、直径七百十二キロです」

「何も惜しくないですよ!広っ!?」

 権能の有効範囲は直径七百十二キロ、それはおよそこの場所から秋田県ほどの距離。甘い物が苦手になるという軽い弱点でありながら圧倒的な権能を手にするラジオは、γという等級を与えられるに相応しい司祭だ。戦闘面ではあまり役に立たない権能ではあるものの、諜報機関の面を持つ蓮向かいでは有用過ぎる権能である。

 しかし、その有効範囲はいいことばかりではない。

「この範囲内にある音が出る機械から聞こえる音、全部聞いたらどうなると思います?」

「えっ……何言ってるか分からないんじゃ」

「脳が処理し切れずにパンクします。司祭になったばかりの時は死にかけてました」

 広すぎる有効範囲の中にある機器から聞こえる全ての音。くだらないテレビ番組から家庭の喧騒、学校の授業の音、飲食店の店内の音、路地裏に響く足音。全ての情報が権能によってラジオの頭に流し込まれるのだ。こんなことをされて正気を保てる人間は早々居ない。自分の権能の扱い方を学ぶ前に自害する者の方が多いだろうが、ラジオはそれに耐えた。

「お、オンオフできないんですか?」

「祭具をしまえばオフになりますよ。でも、その前に意識飛びますから」

「それは……何とも扱い辛い力ですね」

 ラジオが不思議そうな顔をする。

「そうですか?私は便利で強いと思いますよ」

「……へっ?」

 常人ではとてもじゃないが耐えられない力。そういう点では藍川の力とも似ているかもしれないと思う粳部。そんな力だというのにラジオは嫌そうな顔をせず、便利で強いと言ったのだ。誰よりもその力の恐ろしさを知っている筈だというのに。

 刀の祭具をを鞘から引き抜くラジオ。

「情報処理に脳の容量をどれくらい割くか選べるようになったので、意識がぶっ飛ぶことはもうないです」

「でも……きついのはきついんじゃ」

「毎日パソコンに向かって、聞いた情報を入力するのはきついですかね。毎日二十時間労働ですし」

 権能で収集した情報をとにかく蓮向かいのデータベースに記録し、任務のサポートも行う。死の淵で掴んだ思考を分割する方法はラジオを超人に変えた。深夜から昼まで仕事をして、数時間だけ仮眠を取ってギリギリで生きる。ラジオはその休憩時間ですら権能をオフにはせず、情報処理に使う脳の容量を下げて緊急事態に備えているのだ。まともな生活ではない。

「流れ込んできた情報全部記録するので、部屋から出る暇がないんですよね。引き籠りでーす」

「……ラジオさんは……そんなに昇進したいんですか?」

 ラジオが目を見開く。いつも貼り付けたような笑みを浮かべているラジオは、そのお面の裏にある自分の本心を見抜かれると少しも思っていなかった。常にフレンドリーな声色でスピーカー越しに他人と接する彼女。本音と嘘が半分半分のラジオの言葉が、粳部はずっと気掛かりだったのだ。

 直接その声を聞き、粳部は確信へと至った。

「等級が上がれば知らないことを知ることができる。給料も増えてウィンウィンじゃないですか」

「ラジオさんが知りたいことって何ですか?苦しんでまでやる理由って……」

「……それは……私に勝ったら少しだけ教えてあげます」

 刀を片手で持つラジオ。会話の時間はここで終わり、ここからは血生臭い訓練が始まる。粳部がずっと求めていた訓練、ラジオと同様にもっと上の地位を目指す彼女からすればやりたくて仕方がなかった訓練。誰だって弱いままではいられないのだ。

「ルールは簡単。十分間、私の攻撃に当たらないように逃げてください」

「……毎度思うんですけど、死なないからって扱い酷くないですか!?」

「あんまり痛くないように斬りますよ」

「人は斬られたら痛いんですよ!」

 ルールは非常にシンプル。しかし、それ故に今回の課題が浮き彫りになる。それは十分間ラジオの攻撃を避け続けるのは困難だということ。粳部の訓練になるように、簡単に突破できないようにできているということ。しかし、粳部はまだそのことに気が付いていない。ラジオの力量を測れていないのだ。

 準備運動を始める粳部。

「でも逃げるんですか?それだけでいいんですか?」

「ええ、でも斬られたらまたそこから十分逃げてもらいますよ」

「いいですよ。こんなところじゃ止まれないですから、やってみせます」

 やる気は十分。準備運動を終えて構えを取る粳部。視界の端で逃走ルートを構築する粳部と適当に刀をぶんぶんと振るラジオ。

「同じ昇進目的同士、仲良くしましょ?」

「それなら昇進の根回ししてくれませんか?流石にαからは遠いような……」

「そこは自力で頑張って。じゃあ、始めますよー」

 ラジオが腕時計のボタンを押して計測を始める。ここから十分間逃げられればいいわけだ。それならば何とかなりそうだと高を括る粳部。彼女には何となく自信があった。普段は引き籠って仕事をし、バックアップが基本のラジオが相手ならば逃げられると自信があった。付け焼き刃だとしても自分の方が運動していると思っていたのだ。

 ラジオが手を叩いた瞬間、粳部が反対に走り出す。

「じゃあ、当てますねー」

「流石に十分は早いんじゃないですかねー!」

「そうでもないよ」

 全速力で走る粳部は自分の足に何かが絡みついたことに気が付く。

結鎖けっさ

 だが既に遅く、足を縛る光の鎖が粳部を振り回すと大きく投げ飛ばした。粳部は飛ばされる刹那、見覚えのある光の鎖が法術だということを思い出す。突然の襲撃に驚愕する彼女だったが、林の木々の中に見覚えのある姿を捉える。ラジオだ。

「なっ!?」

「はい、おしまい」

 すれ違いざまに粳部の腕が刀で切断される。圧倒的な速度と切れ味、どこかに腕が飛んでいくと次の腕が生えてきた。だが、痛みに悶える粳部は地面に転がりのたうち回る。そんな彼女の下にラジオが近付くとしゃがみ込んで見下ろした。現状での強者は彼女の方だ。

「私、戦えないなんて言ってませんよ?」

「そんなの卑怯じゃないですかあ!ほ、法術ってやつですよねこれっ……」

「また一分も経ってませんよ?振り出しに戻っちゃいました」

 痛みがなくなったことに気が付いた粳部が立ち上がると、再びラジオから逃げようと走り出す。それ以外に逃げ延びる手段はない。追いかけっこだけを気にしていればいいと思いきや、自分にはない超常の力である法術にも気を付けなければならないというのは、戦闘経験の浅い粳部にはあまりにも酷な話だった。

 ラジオが追いかけ始める。

「さあここから十分ですよ!」


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