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3-2

【3】


 白い無機質な廊下を三人で歩く。ラジオが部屋の前で足を止めると自動ドアが開き、粳部うるべと藍川はラジオの後に続いて部屋に入る。そこには何台ものパソコンが陳列されており、パソコンの冷却ファンの音だけが静かに響いていた。ラジオは適当にパソコンを選ぶと足を止め、懐から一枚のカードを取り出す。

「これ、渡しそびれてた粳部さんのカードです。なくさないようにしてくださいね」

「……ここ、どういう部屋なんですか?」

「ここは蓮向はすむかいのデータベースにアクセスできる場所だ。そのカードが鍵だな」

 知識の宝庫、一般人のプライベートな情報まで保管している火薬庫の蓋、それがそのカード。持ち主の等級によって開示される情報を制限し、知識欲の尽きない者の前に餌をぶら下げる。更に世界について知る為には昇格しなければならない。アイドルの個人情報から軍が秘密裏に行った実験の記録まで、ここには全てがあるのだから。

「これでですか……」

「それをここに差し込め、お前が閲覧できる範囲の情報が表示される」

 粳部がカードをパソコンに差し込むと機械音が鳴り、ウィンドウが出ると検索ボックスが中央に表示される。ラジオは椅子を引いて座るとパソコンへ距離を詰め、キーボードを鳴らすといくつもの単語を入力してエンターキーを押す。ほんの数秒の硬直の後、英文の検索結果が表示された。それにマウスカーソルを合わせるラジオ。

「……何ですこれ?」

 粳部には書かれている文章の内容はよく分からず、そこに不鮮明な写真が三枚載っていることだけが分かっていた。粳部の英語の成績は中の上程度だ。写真の一枚には黒い人形が写っており、気味の悪さが更に粳部の理解を拒んでいく。新人の彼女には何が何だか分からない。かすかに彼女の黒い怪物に似た容姿をしていたが、そこにはあの底知れない恐ろしさが圧倒的に不足していた。

 それは、どう見ても粳部の黒い怪物ではない。

「一番上はアメリカで目撃されてる『枝男』という概怪。森に居る黒い人型だ」

「これがあれの正体ですか?何か違う気が」

「いや、外見こそ似ているが、奴は少女の誘拐以外に興味を持たない」

「都市伝説によくあるロリコンの怪物っすかね」

 どの国にも子供を拐う話はあるが、どれも人攫い等の逸話から来ているのではと粳部は疑っていた。だが、もしかすると概怪が気付かぬ内に子供を拐っていたのかもしれない。前回の事件で、そういう可能性があり得ることを粳部は学んでいる。おぞましい気配と人知を超越した力。しかし、共通点はあるかもしれないがあれと遠くの国の概怪は毛色が違う。

「明るい場所を嫌う性質も、お前のそれとは似ていない」

「なら、この下の概怪は?」

「これは『指差す男』という概怪です。少し前に秋田で捕獲されました。特に害はないタイプです」

「え?概怪なのに、特に害はない?」

 どういうことだと疑問に思う粳部。生物に対して攻撃的で、その超常的な力を殺人ばかりに使うのが彼らなのではないのか。画面の写真の中に居る帽子を被ったような黒い人型は、一体何だと言うのだ。粳部の記憶ではそれは概怪の原則に逆らっている。何故、人に危害を加えないのか。

「概怪である以上、常に人を殺そうと考えてはいる。だが、行動に移すだけの能力がない」

「やりたくてもできない……ってわけですか」

「まあ、こいつの権能は自分を直視した奴に、自殺に最適な場所を指差す。心を読んだ俺の見解だ」

「……何というか、随分と他力本願な概怪っすね」

 自分の力ではなく、恐怖した弱い人間に自殺させる。教唆等ではなく、場所だけ示して全てを委ねて選ばせる。その自然さは間抜けに映ることもあるが、考え方を変えれば酷く恐ろしく見える。危害を加えてこない概怪の存在は概怪を捕獲隔離しない理由にはならない。殺意を持った不安定な存在は、まだ可能性という名の爆弾を秘めている。

「隔離されている以上、常に監視されています。これがあなたの所に行く筈はない」

「じゃあ、これが最後っすね」

 そう言って粳部が最後の画像を見つめると、途端に神経を張り詰められる。彼女の全身に走る電流にはどこか覚えがある。粳部の心音が大きくなり、映り込む概怪に眼球と魂を引き付けられた。これはあの黒い怪物ではない。だがしかし、その底知れない黒さとおぞましさは限りなく近い。

 粳部は、どこかでこれを見たことがある。

「これって……」

「『海坊主』現代での目撃件数は少ない。こいつは概怪かどうかが分かってないんだ」

「人によって情報が異なるんですよね。謎が多過ぎるというか」

 この黒い姿、吸い込まれそうな瞳。四肢がないという差異はあるものの、粳部の直感はそれがあの怪物と似ていると確信した。空虚、ガランドウといった言葉が似合うあの瞳を見れば、皆分かる。どこまでも沈んでいきそうな黒い瞳、どす黒いベールに包まれたその奥には何もない。

「昔から逸話があるが、信憑性は高くなくてな。調査員が海で撮影しなければ実在を信じられなかったな」

「……海坊主というと、船を沈めたりするアレっすか?」

「ええ、全長が数メートルから数キロと言われてるデカ物です」

 海坊主は泳いでいる人や漁船を呑み込む、日本古来の恐ろしい怪物。恐らく、台風等で天気が荒れた日の高波がそう見えたのだろう。昔の人の想像力がそう見せていた、大抵の妖怪や都市伝説はそうだ。偶然が生んだ、想像と事実を織り交ぜた怪物。粳部や藍川が学生時代に調べていた物はそんなあやふやなものだった。

 だが、粳部の『海坊主』は──

「か、形が違いますし……大きさも人間と同じくらいっすよ?私のは」

「だよな……でも、これ以外に共通点がある概怪は見つかっていない」

「今のところ、開示できる情報はこのくらいですよ」

「そもそも、これが概怪とは思えないな」

 では、これは一体何なのか。人間の知識を凌駕した怪物、粳部も敵も攻撃する動機の見えない何か。司祭ではない時点で権能や祭具でもない。概念防御を持っているかどうかも不明だが、それは時おり概念防御を突き破る。何もかもがランダムで意思があるようで見えない怪物。

 これは誰なのか、粳部は誰なのか。

「試しに出してみてくれ、あの怪物を」

「ここで!?勘弁してよ!ここデータベースなんだけど!」

「いいですけど……」

 粳部が側に怪物を呼び出すと、それは物陰から溢れ出して直立不動で待機する。そこに怪物の意思など介在せず、ただ粳部の動きを待ち続けている。無機的な人型だ。だが、それは出現する度に形を変えている。人型の時もあれば棒のような姿の時もあり、どこから現れるのかさえも毎回変わる。

 藍川が目を細くしながら怪物を見つめる。

「……やはり、心が見えない。俺の権能が心だと認識していない」

「じゃあ概怪じゃないんですか?これ」

「もしかすると、心を隠す権能なのかもしれない。一概に概怪でないとは言えないな」

「噓つけ、天下無敵の心の司祭が見抜けないことなんてない癖に」

 藍川が触れられない心はない。相手のメンタルに関わらず、軽く触れること自体は誰にでもできる。心があるかないかを試すことであればできるのだ。だが、そこに心はなかった。確かに存在しているというのに藍川の目に心は映らなかったのだ。

 操っているのは粳部だというのに、彼女はその怪物を理解することすらできないとは。皮肉だろうか。

「だがこいつが概怪なら、どうしてお前は他の概怪を操れないんだ?」

「……確かに。そんなことは一度もできていないですよね、粳部さん」

「何が起きてもおかしくない相手。正直、どんな司祭よりもやりづらいな」

 まだそこに粳部に開示されていない情報があるのか。昇格し、調査して情報を収集しなければ真実には辿り着けない。この世にはまだ、粳部には知らないことが多過ぎる。だが、蓮向かいが保有する真実の中にこの黒い海坊主の情報が隠れている保証はない。完璧な人間が存在しないように、完璧な組織もまた存在しない。

 そもそも、あの怪物に正体など存在するのか。振り返ってみれば謎はそこからある。

「しかし、あの不死身は一体何なんだ。怪物の力か?お前の力か?」

「あっ、それはサッパリですね……一応、いつでも不死身ですけど」

「この怪物の権能は心を隠す力なのか、人を不死身にする力なのか。何なのかね?」

「……概怪かどうかも分からないのに、どうにも謎だけ増えていって……」

 分かったことは、海坊主と呼ばれる概怪のような何かと似ていることのみ。だが、それは粳部の直感でしかないのが難点だ。この組織に加入しても、分からないことはまだ多い。自分の弱さと無知を呪う粳部は力を欲していた。もう、居ても立っても居られなかった。何も知らないままは嫌だったのだ。

 藍川が黒い怪物を見つめる。

「正直、これが概怪と思えない」

「え?」

「概怪にも心はある。なのに、これには欠片もない」

「私にも分からないことがあるんだけど。いいかな?」

「……何だ」

 ラジオが笑みを浮かべて、鋭い目つきで藍川に問い掛ける。そこには疑いと恐れに近い何かが混じっていることを粳部は悟っていた。しかし、粳部に口を挟む気はなかった。スピーカーから明るく冗談を口ずさむラジオが肉体で姿を現した途端、声色だけでは感じ取れなかった所作の感情を粳部は感じ取る。

「祭具を出さずに権能を使える司祭は存在しない」

「まあ、全ての司祭がそうだな」

「私も、この刀の祭具を出してるおかげで権能を使えるんだから」

 そう言って腰の刀を指で弾いて見せるラジオ。金髪の彼女に似合わない日本刀、司祭によって形が異なる祭具は彼女の場合は日本刀だった。そして、その祭具を出すことによって司祭は権能を使えるようになる。全ての司祭は祝詞を唄い、祭具を手にしてようやく権能を発動できるのだ。しかし、何事にも例外がある。

「何故、あなたは祭具なしで権能が使えるんですか?」

「……そういえば、先輩使えてますよね?」

「心の操作はできないが、読むくらいならこれでもできる」

 それはもう、司祭ではない。

「あなた、本当に司祭なんですか?」

「……さあな。俺も知りたい」


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