【11】
権能を使った反動の苦痛が押し寄せ、立っていられず地に這いつくばる藍川。今回は相当な反動で耐え切れず、彼は苦しみのあまり悶え苦しむ。
藍川の身を心配する
「あっあああああ!!」
「鈴先輩!?」
「早くやれえ!」
「ッ!」
覚悟を決めた表情で粳部が概怪を蹴り飛ばす。そして、概怪がよろめくその先に現れた黒い怪物が思い切り殴り抜けた。吹き飛ぶ概怪の巨体に押し潰される粳部だが、不死身の彼女は死にはしない。怪力で巨体をどかして跳び上がると壁を蹴り、概怪から瞬時に距離を置く。その不死身さに驚愕する藍川。
心への干渉が終わり、概怪も藍川も動き出す。
「おりゃああ!」
「行くぞ!」
その時、概怪が変形すると小さな十字架のような形に変わる。凝縮された概怪の体から飛び出す腕の槍は、以前よりも圧倒的な速度と威力になっていた。躱し切れずに脇腹に突き刺さる粳部と全てを回避して進む藍川。凝縮されたことで概怪の速度が上がり、藍川の拳を全て回避して数多の腕を至近距離から彼に浴びせる。それが直撃しそうになった瞬間、藍川の権能が発動した。
『自滅』
藍川に向かっていた腕の槍は折れ曲がり、その全てが概怪に突き刺さる。痛みに悶絶したように暴れる概怪に藍川は肘打ちを叩き付け、概怪の背後に回った粳部も概怪に殴りかかった。姿勢を崩す概怪に黒い怪物が殴りかかり、その腕を伸ばすと概怪の全身を包み込む。完全に抑え込んだかのように見えたが、黒い怪物の腕を数多の腕の槍が貫く。
「お、抑え込めません!」
「攻撃スタイルが変わったな!手を緩めるな!」
黒い怪物は塵となって霧散し、中から飛び出した腕の槍は収束して粳部の腹に突き刺さる。そのまま飛ばされて彼女は壁に釘付けにされた。その衝撃に悶える粳部の下に概怪が接近し、至近距離から腕を射出して粳部を更に串刺しにする。歴代最悪の痛みに意識が揺らぐ粳部。
「があああああっ!?」
『トラウマ』
権能が発動し金切り声を上げる概怪。暴走して暴れ回る概怪は自分を刺したり壁を刺したりと混乱し、伸びた腕の一つは藍川の足を貫く。足を振ってそれを折り後退する藍川だが、足の怪我からか迫る槍を避け切れずにいくつか刺さっていく。
その時、激昂した粳部が奮起した。
「やったなあああ!?」
粳部は自分の体に槍が突き刺さるのも気にせずに進み、全力で概怪を殴りぬける。概怪が飛んでいくと二人の体から槍が抜けた。その途端に凝縮されていた概怪の体が元の大きさに戻り、その巨体が粳部を食い潰そうとする。彼女へと襲い掛かる。
「今だ粳部!」
「やり返してやる!」
『停止』
藍川の権能で概怪の動きが静止する。その瞬間、粳部の背後に現れた黒い怪物は大量の槍を概怪に射出する。概怪のやり方を真似て粳部が黒い怪物にやらせた大技、形が不安定な黒い怪物だからできたこと。概怪の全身に槍が突き刺さり、遂に動きを停止したそれは力を失って粳部へと倒れていく。彼女を押し潰して、事態は収束した。
全ては終わった。
【12】
「粳部、粳部!」
「……鈴先輩?」
バタバタと動く誰かの足音と、どこかで赤く点滅する光が粳部の眠りを妨げる。彼女が文句の一つでも言おうかと意識を揺り動かすと、視界の夜空に全てを持っていかれた。
出られたことに驚いて飛び起きる粳部。
「ここは?」
「全部終わってもう外だ。回収部隊が概怪を運搬してるよ」
「……トドメ、刺せてたっすか?」
「ああ、助かったよ本当に」
疲れ気味の笑みを見せる藍川。粳部の助力は無駄にはならなかったらしい。惨めな役立たずで終わらなかったことを安堵する粳部。激しい戦闘で彼の傷を増やしてしまったものの、生きているのだからまだいいかと思う粳部。
その時、二人は誰かがこちらに近付いてくることに気が付く。
「全身ミンチだったのに再生できたか。いよいよ概怪の類いだな粳部」
「えっ?」
「谷口……怪我人は楽で良いよな」
「嫌味か、勘弁してくれ」
こうして彼と面と向かって話すと少し久しい気分になる粳部。あの迷路をずっと歩き続けることは、粳部が考えている以上に危険なことだったのかもしれない。めちゃくちゃになっていた時間の感覚を取り戻し始める粳部。
谷口が腰に手を当てる。
「概怪を運搬しようとした時、壁からミンチになったお前が出てきてだな……」
「谷口!」
「すまん。で、生存者だが……輸送時に胃から見つかったぞ」
「まだ生きてたか!」
概怪の輸送時、中身を軽く調べた時に胃から数人の遺体と生存者一人が見つかっていた。体内がある程度物理法則を無視しているおかげで、縮んだりしても特に影響がなかったようだ。
「だが、酸と溶けてたり腕が千切れてたりと悲惨だ」
「そんな……その人……もう、おしまいじゃ」
「まあ、蓮向かいの医療班ならあっという間に完治だよ」
「生存者はまだいい。しかし、死人はもう無理だ」
これがあの高給の理由なのだと粳部はようやく理解する。一歩間違えれば死人に、運が良くても全身が溶けた生存者に。どんな職員も高給で雇われているがこの額ではその命に見合っていると、粳部には到底思えなかった。
「……そりゃ、あんな子供でも採用しますよ。司祭なんですから」
「……嫌な話だよ」
現実はいつだって残酷なものだ。特に、蓮向かいが向き合わなければならない現実は。
谷口が話を再開する。
「例の概怪なんだが、デカい腕の方はこの地区の概怪じゃなかった」
「やっぱりそうか……」
「……まさか」
それは話していた概怪が移動をしているという情報に繋がるのではないだろうかと考える粳部。自分の身に起きた異変のような、謎の変化がどこかで。
「隣の地区で観測されていた『招き手』という名がある。突然の失踪でお手上げだった」
「そこから移動し、ボタンの概怪を地下道で食べたと?」
「そう考えるのが自然なんだが、移動した動機が分からない」
動機。何かに心を揺り動かされ、体が突然走り出す。そんなシンプルでありふれたことが、概怪にあるのだろうか。人間らしいことなんて。しかし、心というのが何か引っかかる粳部。
その時、聞き慣れない誰かの足音が粳部の耳に入る。
「目撃された付近は私が盗聴してましたけどね。突然概怪の音が消えたんですよね」
「……えっ、誰ですか?」
「誰って、お前は今日も話しただろ?」
「話した?話したって……」
目の前に現れた金髪の女に見覚えがない粳部。だが、彼女は今日も話したという言葉が引っかかって仕方がなかった。彼女に欠片も見覚えがないのだ。それでも、粳部はその挑発的な声色に聞き覚えがあった。何故か、どこかで彼女と何度か話をしたような気がするのだ。
「ああ、対面は初めてでしたね。初めまして」
「そうだ、粳部にはまだ顔を見せてなかったよな」
「ちょっと!誰なんですかこの人!」
「いつも皆の音を盗聴してる性格の悪い女ですよ」
女は粳部に近付いて目の前で足を止める。腰に差した刀が揺れていた。
「どうも、あなたの町のラジオちゃんです」
「……あの人実体あったんですか!?」
「人のこと何だと思ってんですかね……」