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2-4

【5】


 粳部うるべは体の傷を再生し、再び怪物を動かして挟み撃ちを試みる。弧線を描きながら距離を詰め、怪物と同時に少年へ殴りかかる粳部。

「そうだ。その怪物の攻撃は一発にはカウントしないぞ」

「ズルっ!」

 だが、粳部の拳は少年に到達する前に千切れ、痛みと衝撃で怯んだ隙を突かれて腹に肘打ちを受けてしまう。粳部の代わりに殴りかかる怪物だったが拳を手で弾かれ、回し蹴りで吹き飛ばされてしまう。液状になった怪物は地面に染み込んで消えていく。

 この少年、とんでもなく手強い。

「司祭は一人一つ権能を持っている。こいつの場合、肉を噛み千切る権能だ」

「ラ、ラジオの人と同じ感じですか?」

「肉に該当する部位であれば噛み千切れる……まあ、あんたは再生するから効果は薄いが」

 余りにもズルい能力だと粳部がげんなりしていた時、少年の腕の一部が裂けて血が噴き出る。粳部も怪物も何もしていないというのに負傷し、一瞬だけよろけたのだ。藍川は顔色一つ変えずに状況を見つめており、戦いの結末がどうなるかを考えている。

「う、うわあ!?何で何で!?」

「……俺の弱点だ。権能を使うとその分、俺の体が傷付く」

 何事にも欠陥があり、完全無敵など存在しない。司祭も同様、無敵の概念防御と権能で猛威を振るうものの、必ず皆に弱点がある。

「司祭は一つ権能を授かる代わりに、一つ弱点を付与される。誰も完璧じゃないってことだ」

 とんでもなく強力な力だが、その分代償は重くなる。相手との距離があっても、遠隔で防御を無視した攻撃ができるというのは強力だ。だがしかし、その権能を使えば少年自身も消耗する。今回は何度でも体を再生できる粳部が相手なのだ。いずれジリ貧になるのは彼の方だろう。長い目で見れば勝機は粳部にある。

 だが、それは凡人の発想だ。

「染野が動けなくなる前に一発当てろよ」

「えーっ!?粘っちゃ駄目なんですか!?」

「持久戦ならお前が勝つに決まってるだろ。頑張れよ」

 それはそうかもしれないが、何とも容赦ないと思う粳部。

 痛みに慣れた少年が再び走り出し、ジグザグに動くと粳部に回し蹴りを放つ。黒い怪物を呼び出してその攻撃を受け止めると彼女が移動し、斜めから拳を叩き込んだ。しかし、命中する直前に拳の肉が破壊されて威力が落ち、腕で腕を弾かれてしまう。怪物に殴らせるもバク転で距離を取られてしまった。衝撃で伸びて揺れている黒い怪物の腕は、まるでゴムのようだった。

 突然、少年の頬の肉が千切れ出血する。あれが弱点というわけだ。

「司祭の弱点は人によって様々だ。プラスチックに触るとかぶれる弱点、日陰に入れない弱点」

「地味に嫌ですね……アレルギーみたい」

「特定の単語を喋れない、地下鉄に乗ると死ぬ。並み居る司祭でこいつの弱点は重い方だ」

 少年は更に距離を置いてから権能を使い、粳部の足を再び破壊する。体を支えられず膝から崩れ落ちる粳部に、先程とは比較にならないまでの全速力で彼が突っ込んだ。咄嗟に怪物に自身を抱えさせて横に逃げる粳部だが、彼は諦めることなく追いかけてくる。

「弱点を突いて勝つのは慣れてからだ。今は弱点に甘えずに勝て」

「無茶言うなあ!」

 瞬間、粳部の視界から少年が消えた瞬間に彼女の背中に打撃が入る。最高速度に達した彼を視認することは目が慣れていない内は難しい。粳部は追撃のドロップキックを受けて吹き飛ぶも、怪物をコントロールして上手く着地する。完全に少年に振り回されていた。

「粳部、お前の弱点は反射神経に頼り過ぎることだ」

「ええ!?そうですかね!こっちは手一杯なんですけど!」

「相手の動きをよく見て、考えて攻撃してみろ。それができなきゃ死ぬぞ」

「私死にませんけどね!」

 怪物の腕の中でズタズタに破壊されてしまった足を見つめている時、粳部はふとある策を思い付く。できるような気がするができない気もする大博打。短期決戦で仕留めなければならない以上、勝ち目のない真っ向勝負よりは不意打ちを使うのが一番だ。粳部は傷付いた足を再生して怪物から飛び降りる。

「こっちっすよ!」

 怪物を引っ込めると振り向いて少年の拳を受け止める粳部。そのまま彼を掴んで投げようとするが腕を権能で破壊され、痛みと筋肉の切断で動けなくなったことで少年が自由の身となる。痛みに慣れたからか麻痺したからかあまり感じなくなってきた粳部だったが、耐え難いことには変わりない。

 自身を振り解いて抜け出した彼の殴打を何とか片腕で弾き、粳部は再生した片腕で殴りかかるも躱されてカウンターを受ける。どう考えても敵わない。これは相手があまりに悪過ぎる。

「もう俺の余裕はあまりない……勝ちたいのなら焦れ」

「なら……良いタイミングじゃないっすか」

 いくらでも再生する粳部と違い、肉体のダメージと出血量が増加し続ける少年には猶予がない。同じように、彼が戦えなくなる前に決着を着けなければならない粳部にも猶予はない。この限界の状況を終わらせる方法はもう、一つだけだ。

 粳部は少年の拳を躱して思い切り殴りかかるが、権能によって腕の関節を破壊されてしまう。空を切るだけに終わった彼女の拳、避ける為に後ろに下がった彼、この時点で勝敗は決まった。戦いに勝てずとも勝負に勝てればそれでいいのだ。粳部に求められていることはたったそれだけ。

 少年は射線上に入った。

「なっ!?」

 事前に出現させていた黒い怪物の拳を鞭のようにしならせ、少年の頭に命中させる。粳部は少し前に、腕がゴムのように伸びていた怪物を見ていた。常に形が不定形であり正しい形という概念のないあの怪物ならば、その姿形を自由に変えられるだろうという読みから考えた作戦だったが、確証なんて一つもなかった。だが、上手くいったのだから文句は言わせない。約束通りに一発当てた。

 頭にぶつかった衝撃でよろけた少年が壁に手をつく。そのまま二人は立ち尽くして動かなくなり、長い練習試合はようやく幕を閉じることになる。藍川が終了とばかりに手を叩く。

「約束通り一発、当てたな」

「……腕、伸びるんだなそいつ」

「ぶっつけ本番ですけど……上手くいきました」

 藍川がタオルを少年に投げると彼はキャッチし、全身から溢れる血を拭う。粳部が辺りを見渡すと、そこは彼が流した血でところどころ赤く染まっていた。少年の力はギブアンドテイク、権能で相手の体を削れる代わりに弱点で自分の体を失ってしまう。藍川と同様、あまり使い勝手が良くない力である。

 二人に近寄る藍川。

「勝負あり。染野は医務室で治療を受けてきてくれ」

「了解した」

「……あの、お相手ありがとうございました」

 不愛想な歩きで粳部に背を向ける少年。彼女の言葉に特に反応を示さず、自動で開く扉から廊下に出て消えてしまう。粳部は無性に彼が気になっていた。小学生くらいの少年でありながらこの身のこなし、おまけに無感情。何がどうしてこんな残酷なことになっているのか、粳部が考えていることはそれだけだった。

 そんな彼女に声を掛ける藍川。

「かなり手加減してたが、あいつはあれでも等級はγだぞ?よくやれたな」

「はあ……γガンマって強いんですか?先輩の等級は何でしたっけ」

γガンマは上位に入る強さだよ。俺はΩ+オメガプラスだ」

「……それ、一番強い奴ですよね?」

 司祭や概怪の等級はαアルファからΩオメガで決められている。Ω+オメガプラスである藍川が強さの上限であり、その次にΩオメガである谷口、上澄みのγガンマである染野と続く。手加減した染野とある程度戦える上に、不死身である粳部の実力は相当だ。大型新人と呼んでも過言ではない程の格がある。

 ただ、等級を判断するのはあくまでも組織だ。

「組織からの評価は最強だが、実態はダメダメだと思うがね。そんな風には見えないだろ?」

「……まあ、最強って感じはしませんね……」

「だろ?あと、粳部はαアルファからのスタートになった。頑張れよ」

「荒事かあ……まあ、気合い入れますか」

 不死身なのだから大抵のことは大丈夫だと自分を励まし、粳部は頬を叩いて気合いを入れる。元の体に戻る為には何かしら情報を集めなければならない。正体不明の粳部の体、そして黒い怪物。やるべきことはとにかく山積みにされていた。

「明日の正午、お前に仕事だ。初仕事だぞ」

「早いっすね……まだ戦力にはなれそうにないっすけど」

「これから六時間ぶっ通しで訓練する。ものにはするさ」

「はっ!?」

 いくら何度でも再生するとはいえ、それだけ動き続ければ精神が死ぬ。いや死にはしないが疲弊し切ってしまう。このイカれたスケジュールはあのとんでもない高給の代償なのだろう。勘弁して欲しい粳部だった。

「ちょ、ちょっと待って!」

「死なないくらいに強くしてやるよ」

「んなことしなくても死にませんよ!」




【6】


「きつい!限界……」

 藍川の宣言通り、訓練は六時間ぶっ通しで行われた。不死身であるが故に肉体的な疲労は感じていない粳部だが、精神的には限界だった。ノンストップで戦闘の感覚を叩き込まれるのは脳が疲労する。不死身の体に彼女の感覚がまだ対応できていないのだ。

 組織の施設、休憩所のような場所にあるベンチで粳部は寝転がっていた。

「……こんだけ動いても疲れてないし……お腹も減らないか」

 存在が単独で完結している完全な不死身。睡眠、食事、人間の三大欲求から解放された今の粳部は無敵だ。もちろん、それは精神的なものを除くのだが。

 通り過ぎる人達を眺める粳部。白衣を着た研究者や作業員が忙しなく往来し、人通りは絶えることを知らない。二十四時間眠ることなく稼働し、概怪や犯罪を犯した司祭を拘束するのがこの施設の役目。もし事故や事件が起きれば世界を滅ぼしかねない火薬庫である以上、この施設は常に稼働していなければならない。

「……ん?あの子」

 遠くから歩いて来た少年が粳部の目に留まる。全身に包帯をグルグル巻きにした少年は六時間前まで彼女と戦っていた少年であり、粳部が無性に気になっていた相手だった。その若さで戦い慣れ、社会の裏に潜む少年。普通に考えればまともではない、少年にそうさせるこの組織も。

「君!えっと……そこの君」

「六時間前に戦った女か。何の用だ」

「あのー怪我は大丈夫です?体、かなり裂けてましたけど」

「問題ない」

 弱点により全身のいたるところが千切れて裂けた少年。対する粳部は傷一つない。巻かれた包帯にはうっすらと血が滲んでおり、あまりの痛々しさに粳部は視線を下に向け、上瞼を落とす。彼の全身をボロボロになったのは粳部にも責任があった。

「問題しかないと思うんですけど……」

「法術で血管と薄い皮を再生してもらった。一週間したら元に戻る」

「い、一週間で!?そんな早く再生します!?」

「司祭は体の治りが早い。余程の重症でなければ」

 司祭の肉体は頑丈で傷の治りも早く、一般人よりも遥かに便利なように思えるかもしれない。しかし、そこには落とし穴がある。司祭が持つ概念防御は毒物を拒絶するが、その際に薬も一緒に拒絶してしまうのだ。塗り薬も飲み薬も無効化してしまい、傷口を縫おうにも金属の針は刺さらない。概念防御は針では通らないのだ。

 全身の傷口が痛むまま、司祭は今日も戦っている。

「でも痛いっすよね?」

「痛みはある。でも、治れば痛くなくなる」

「そういうことじゃ……何でこの組織に居るんですか?」

 それは粳部がずっと気になっていたことだ。こんな子供がこの組織に所属している理由、彼の所属を組織が許している理由。

「金が目当てだ。高給で諜報と犯罪捜査に当たっている」

「金って……借金でもしてるんですか?ご両親は?」

「親はこの施設に投獄されている。姉の生活資金を稼ぐんだ」

「投獄って……そんな」

 少年は話は終わりだとばかりにその場を立ち去り、粳部は一人その場に取り残される。人間味のある感情を少しも見せず、事情だけ話して立ち去る少年。粳部は彼が姉の為に戦っているということを何となく感じ取ったものの、どういう境遇で人格形成が成されたのかまでは分からなかった。その表情はあまりにも無に近かったのだから。

 少年が去った方と反対側から藍川がやって来る。

「粳部、今日は一旦戻るぞ」

「……はい、シャワーくらい浴びたいですし」

「シャワー室ならここにもあるぞ。洗濯乾燥も数分で終わる」

「……あの子、姉の生活資金を稼ぐと言ってました」

 姉の生活資金を稼ぐ、親はこの施設に投獄されている。この二つの単語が、少年の生活が破綻していることを粳部に示唆していた。親を失ったのであれば親戚や施設に引き取られて生活するのが普通で、誰かの生活費を稼がねばならない状況にはならない。しかし、少年は姉の為に文字通り血を流して戦っている。この事実は粳部にとって理解しがたいものだった。

「染野、あの子の親は逮捕されている。子供二人は保護されて施設で生活していたよ」

「じゃあ金銭的に困窮する筈は……」

「あいつは生きるのに目的が必要なんだ。親に兵士として育てられたあいつには」

「何ですかそれ……そんな子を戦わせてどうするんですか!いくら司祭だからって……」

「慣れろ」

 こんなことに慣れていいのだろうかと思う粳部。染野のような子供は本来勉強をして遊んでいるのが本分の筈だ。こんなところで血を流す戦いをしているべきではない。だがしかし、慢性的な人手不足と緊急性から組織は彼を採用せざるを得なかった。司祭はたった一人でどんな通常兵器よりも、核兵器よりも強力なのだから。

「あいつ一人で何千人も助けてどんな事件も未然に防いでる。仕方なくってことさ」

「仕方なくで子供の人生をめちゃくちゃにするのは……あまりに」

「……こうならないように最善を尽くしてる。でも、いつだって守るよりも壊す方が簡単だ」

 司祭の圧倒的な強さは粳部も知っていた。自分を助け、自分を鍛えてくれたのは彼らだったのだから。故に彼女は分かってしまう、司祭一人でどんな悲劇も防げるということに。概怪と戦えてしまうということに。

「……まあ、あれだけ強いと仕方ないですよね」

「……蓮向かいは強要しない。それに、ここに居ることを選んだのはあいつの選択だ」

「……」

「まあ、それを認めた俺も上層部も……余裕がないのは事実だよ」

 任務の度、命があるか分からない仕事。司祭ですらも死の危険があるが故に、信じられない程の高給が支払われている。使い切れなさそうな高給が。だが、命に見合うだけの額が支払われているとは粳部には思えなかった。命に値段は付けられないのだから。

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