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【4】


「どこから来ようとやることは変わらないぞ」

 冷静な声で彼がそう言った瞬間、近くの街灯が激しく点滅する。もう流石に粳部うるべにもどうなるのかが分かってきた。あの怪物は姿を消した後、街灯の下に出現する。その際に街灯を激しく点滅させて消すのだ。

 街灯が消えた瞬間に暗がりから飛び出した怪物、藍川はその間合いに踏み込むとラリアットをぶつけて吹き飛ばす。ブロック塀にぶつかって家と家の間に飛んでいく怪物。藍川が粳部の腕を引っ張って街灯の明かりの下に連れて行く。

「取り敢えずここに居ろ。この明かりの下から出るな」

「に、逃げないんですか?」

「ここ以外は皆同じようなもんだ」

 普通、明かりの下に居ることが役に立つとは思えない。明かりの下だから何だと言うのだ。藍川が戦う間、ここで待っていろとでも言うのだろうかと考える粳部。確かに彼女は足手まといだが、こんな場所に居ると奴からの攻撃を受けるリスクが高い。一番安全な藍川の側には居られないのかと不安がる粳部。

 藍川は敵を見て心底嫌そうな表情を浮かべた。

「全く、病み上がりに無茶をさせるよ」

「せ、先輩……ちっ、血が出てるっすよ!?」

「傷が裂けた。またぶり返したな、こりゃ」

 街灯の明かりが真っ赤に染まる彼の服を照らしている。彼女はあの包帯を見た時から不安に思っていた、どうしてそんな重傷で平気そうな顔をしているのか。こうして尋常ではない動きをすれば出血してしまうことは一目瞭然だった。

「いいか、絶対にそこから出るな」

 その時、遠くの街灯が点滅したかと思うと怪物が再び現れる。不気味な瞳で彼らを見る怪物。奴は一直線で彼らに駆け出すと、更に加速して粳部の方に突っ込んでくる。彼女は今すぐにここから飛び出したかったが、彼が絶対にここから出るなと言ったのだ。きっと何かある筈だと考え、彼女は動かなかった。

 まともに怯える時間すら与えられず、眼前に迫ってくるそれから彼女が反射的に目を閉じたその瞬間、彼女に突撃してきた怪物は突如として消失した。そして、彼女を通り抜けて彼の所へ向かっていた。

「はあっ!?」

「光の中じゃ実態がないんだ」

「どうなって……」

『停止』

 飛び出した怪物が彼の言葉で急停止する。そして、生まれたあまりにも大きな隙に力を込めた回し蹴りで怪物を襲う。外れる筈のない一撃が怪物に綺麗に命中し、ぶつかったアスファルトを大きく凹ませながら遠くに飛んで転がっていく。あれで生きているのだから不思議だ。

 街灯の明かりの中に彼が入ってくる。

「光の中に居れば奴は手出しできない。まあ、それはこっちもだが」

「な、何でそんなこと分かったんですか」

「そりゃ、『権能』で心を読んだ……うっ……!?」

 その時、彼が突然膝から崩れたかと思うと地面に嘔吐する。血が混じった胃液をアスファルトに吐く彼の容態は悪く、その様子はかなり悪い。彼女が今まで見た中で一番悪いくらいには悪い。

「鈴先輩!?どうしたんですか!」

「すまん……反動が来……おえっ」

「や、やっぱ体調悪いんじゃ……」

「はあ……はあ……まだ行ける」

 遠くで態勢を立て直した怪物がこちらを向き、折れた手足をボキボキと鳴らしながら元の形に戻していく。やはりあれは怪物だ。彼らに歩き出した怪物が街灯の明かりに照らされた瞬間、その体が消えた。恐ろしいことに光の中に入った瞬間に怪物が消えたのだ。そして、光の当たらぬ場所からヌッと現れる。

 彼女が瞬きを繰り返すが視界は変わらない。生じる疑問も尽きはしない。立ち上がった彼が明かりから離れて暗がりに立つ。

「光の中だけ……姿がない?」

「そういうことだ。だから明るい場所に居ろ」

 彼女にも理解はできる。暗闇の中では自由でいられるものの、光の中では動くどころか姿が消えてしまうというシステム。故に光の中に居れば確実に安心だということ。簡単に言えばこんな感じで理解は容易いことだが、彼女が納得できるかは別だ。こんな非常識、頭がおかしくなる。

「速攻で片付ける」

「で、でもさっき吐いて……」

「あれは怪我とは別だ」

 彼には詳細に答える気は毛頭なかった。彼女を安心させる為に一応の説明はしたようだが、敵の正体や彼のことについては何も分かっていない。彼は彼女をこの件にあまり関わらせたくないのだ。状況が状況なだけに隠せず、露骨になってしまっているのだが。

「俺は相手の心を操れる。だがそれは覚えなくていい」

「な、なんすかそれ!?」

 突如、藍川が彼女を抱えたかと思うと隣の街灯に移動し彼女を降ろす。何が起きたかと彼女が目を開くと、さっきまで居た場所の街灯が点滅し怪物が現れた。彼は一体どうしてそこに来ると分かったのだろうかと彼女は疑問に思う。

 彼の方へと怪物が向かった。

「先輩!」

『折れ』

 彼がそう叫んだ瞬間、立ち止まったその怪物は震える手で自分の頭を掴み、怪力で無理やりへし折った。彼が心を操作して、その怪物に自ら死を選ばせたのだ。それはどう考えてもまともな死に方ではない。まともな生物は言葉一つで死にはしない。首を折られたまま直立する怪物。

 しかし、そうさせた彼もまともではないのではないのかもしれない。

「せ、先輩がこれやったんですか?」

「まさか、奴が自分でやったんだよ」

「そんな……」

 何故かこういう存在への対処に普通ではない慣れが見える彼。この街に住んでいれば自然とこうなるという訳でもあるまいし。こんな状況では尚更、彼女に納得のいく答えは思い浮かばない。彼もあの怪物も、何もかもおかしいのだ。

『開胸』

 怪物は操り人形のようにその腕を動かし、自分の胸に突き刺すと胸を開く。あまりにもグロテスクで吐き気を覚え、思わず目をそむけてしまう彼女。最悪の光景だ。心を操られて自ら苦しむ怪物は、藍川には少しだけ憐れに見えた。

「何でこんな……何で」

「くっ……うう……」

「先輩!」

 突如として悶え苦しみ、弱々しく地面にしゃがみ込む彼。肩の傷が痛んだにしては様子がおかしく、グロテスクな光景に絶えられなくなったようにも見えない。その表情は苦悶に満ち、先程までの勇ましさは欠片も残っていなかった。嘔吐していた時といい彼の体調はかなり不安定だと思う彼女。

 彼が頭を抱えて苦しむ。

「反動が……!粳部!そこから離れろっ……」

「だ、大丈夫ですか!?」

「そこに出るぞ!心を読んだ!」

 その時、突然バチっという音と共に真上の街灯が消える。先程まで煌々と明かりが点いていたというのに、一瞬にして何の前振りもなく消えてしまったのだ。彼女を守ってくれていた光が、たやすく消えてしまったのだ。

 辺りを、彼女をこの夜が包む。反射的に明かりの方向へと駆け出す彼女。その背後に奴は居た。

「粳部っ!?」

 彼女はこの感覚を覚えていた。間違いなく、あの怪物が現れる時の感覚だ。光の中に居られないあの怪物は街灯の灯りを消すことでその姿を現す。点滅という前兆もなく現れてしまえば、うずくまって弱っている彼でも対処が間に合わないだろう。怪物がまさかブラフを使うとは。

 背後の気配に悪寒を覚える彼女。

「先ぱ──」

 一瞬で青ざめた藍川の表情から彼女はもう分かっていた。どうやら、彼女の死は避けられそうにない。彼の速度が尋常ではないことは彼女も既に承知している。しかし、あの動きを止める謎の力でも間に合うかどうか分からない。常識をかなぐり捨てても、彼女には自分が助かる道が思い浮かばないのだ。

 彼は、間に合わない。

「(死んだな)」

 酷い話だ。何も分からず、彼女は背後から襲われる。彼女が後ろを振り向く日はこれから先にあるのか。彼女は自分を殺す攻撃を見なくてもいいのか。腕を振り下ろされて、彼女は即死するのか。腕がぶつかるのは頭だろうか、肩だろうか。痛くないといいのだが。彼女は一瞬でそんなことを考える。嫌な話だ、酷い話だ。

 彼女の中の時間が引き伸ばされている。今の時間に走馬灯は入れられただろうに。残念だが、もう過去を振り返る暇もない。

 不意に、何処からかあの水音が響いた。

「(……いや)」

 否定。

「死んだら、先輩が生きてるか分からないや」

 その時、気付けば彼女は振り向いていた。理解を拒否する怪物に向き合っていた。何故そんな速度が出たのかは分からないが、彼女は現にこうして振り向いている。ならば、些細な理由などどうだっていいのだ。

 振り下ろされる腕が当たれば体が裂けることは免れないだろう。頭はかち割られることだろう。彼女ができることは何もなく、もう避けることなど叶わない。恐怖を直視せずに死んだ方が幾分かマシだったというのに。愚かな彼女は一体どうして振り向いてしまったのか。

 水音に、足音が混じる。

「(……死ねないな)」

 彼女の滲む視界が光った、そんな気がした。

 瞬間、奴の腕が静止する。彼女の頭はかち割られてはいなかった。音も何もかもが止まり、死だけがそこから遠ざかる。彼女からは藍川の顔が見えず、今一体何がどうなっているのかが何も分からない。彼女がフワつく意識と頭を動かした。その時だった。

 頭を下げた先、奴の腹に腕が刺さっている。黒い、奴の体よりも夜よりも暗い黒の腕が。

「助か……」

 そう思った矢先、その腕がある場所に彼女が違和感を覚えた。だが、もう遅かった。すぐにそれはやってくる。確実な物として、命である限り流れられない物。遅れが更なる恐怖を呼ぶ。その腕は奴も『彼女』も『貫通』していたのだ。

 彼女は助かってなどいない。

「……え?」

 これは、誰の腕なのか。

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