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【1】


「そういえば、我が同好会の目標の一つでしたね」

「ん?何がだ」

 庭を眺めながら客間で粳部と話をする藍川あいかわ。陽が落ちてどことなく暗くなり、辺りに鳴り響く虫の声は良いバックミュージックになる。そんな穏やかな時間帯。懐かしい顔なじみと共に机を挟んで過ごすと時間の流れが分からなくなっていく。

 猛烈な日差しは既に鳴りを潜め、粳部うるべは虚ろ気に言葉を紡ぐ。

「覚えてます?事故物件の調査したいって、都市伝説同好会の」

「ああ、あったな。結局やれず終いだったがな」

 高校生らしいお遊びの同好会。退屈な藍川の世界に彩りをもたらし、彼を救っていたあの安らかな時間。彼がいつの間にか見失ってしまった、気付かずに自ら投げ捨てたかつての足跡。彼は別にあの日々に戻りたいというわけではない。だが、それでも焦がれているのだ。

 既に、彼はあの日の続きを歩いている。

「鈴先輩、未解決事件好きでしたよね」

「そうだな。一度だけ、謎解きが的中したこともあった」

「あれって何で当たったんですか?」

「別に……性格からやりそうだと思っただけだよ」

 二人にとって懐かしい話だ。かつて新聞で犯人が判明したという記事を見た瞬間、藍川には大きな衝撃が走っていた。興奮気味の粳部が探偵になれると驚いていたが、あれは正直言ってほぼ偶然だった。情報が圧倒的に不足しているあの頃に、まさかあれが当たるとは思っていなかったのだ。

 藍川が自分のコップに麦茶を注ぐ。殆どの料理の皿が空になっていた。

「そういや粳部、今何の仕事をしてるんだ?」

「バイトっすよ、回転寿司のバイト。仕事が多いのに支払いが安くて安くて」

「アルバイトか……」

 粳部はまだ何をするか決めかねている。色々と中途半端なスタートを切った彼女の人生が滅茶苦茶なのは仕方がない。高校生活は中途半端なところで終わってしまい、入院によって世間から取り残されてしまった粳部。ようやく歩き出せるようになったというのに誰も彼女を手助けせず、どうしたいのかも分からない彼女はアルバイトで食いつないでいる。

 そんなことを彼女の所作から読む藍川。

「私、地方の風俗とか好きでしたから、大学で民俗学でも勉強しようと思ってたんですよ」

「……気の毒にな」

「あー!災害が起きて学校なくなるし私は入院したらしいし。散々!」

 高校時代の最後は、粳部も藍川も最悪な終わり方をしてしまった。美しかった思い出は突如としてその光を失って、忘れたくない思い出は忘れさせてくれない思い出に変わる。いつまでも美しい者が居ないように、必ずこの世の全てはその輝きを失う。

 粳部は病的なまでに白い天井を眺めて過ごし、藍川はこうしてこの古民家で腐っている。どちらも、意識が朦朧としている点では変わりない。例の『災害』に、彼らは縛られ続けている。

「校舎が倒壊して、復興の目途も立たないなんて誰にも予測できないさ」

「まあ、入院しちゃったのは私のせいですけど。校舎がなくなるのは……」

 直下型の地震と噴出したガスの問題、おまけに母校の校舎が崩壊してしまった例の『災害』で、彼らは学生生活を失った。周辺地域の人間は避難し、今は全員が別の場所で住んでいる。彼女もその一人だ。一般に公開されている情報では少しずつ瓦礫を撤去していると言われているが、その地域を隠すように建てられた仮囲いは中の情報を隠蔽している。

 無理に明るい表情を作る藍川。ちゃんとできている自信はない。

「そうだな、ズルいな」

「あれって、復興まだなんですかね?」

「ただの駄菓子屋がそんなことを知っていると思うか?」

「まあ、そりゃそうですね」

 復興に関する報道はもう殆どない。公に発表されている情報では曖昧な点が多く、週刊誌は嘘のような情報しか流さなくなっている。噴出した有毒ガスによって周辺地域は危険なままであり、家に帰ることを夢見たかつての住人たちは進展のない現状に次第に諦め始めていた。避難させられた住人はレベルが違う多額の補助金を渡されてどこかに消えてしまい、月日が経ち人々が事件を忘れ始めたことで有耶無耶にされてしまったのだ。まだ何も解決してはいない。

 だが、彼女の為にも真実は明らかにならない方がいいだろう。

「ところで、この家って事故物件だったんだよ」

「よく住もうと思いましたね……」

「五件連続で自殺者が出たんだよな」

「うげっ」

 本来、彼はここに住む予定ではなかった。適当にアパートを借りて暫くの間だけこの町に居る予定だったというのに、色々と面倒ごとが重なって本格的にこの家に腰を下ろしている。彼としては、ここで人が死んだことは別にどうだっていい。衛生面の問題については特殊清掃や修理によって改善しており、住む際の不満点はどこにもない。ここはもう、彼にとってただの過ごしやすい家だ。

「四件は風呂場で、一件は寝室で死人が出た」

「どっちも場所が最悪過ぎるんですけど……」

「そこはリフォームでもう丸ごと変わってるよ」

 呪いがこの世にあるかどうかは分からない。不可解な死に方をした者が五人居たとしても、その次に俺が死ぬかどうかは分からない。彼が信じられるものは見てその手で触れられるものだけ。あるかないかを机上で考えることが大半になってしまうような、不確実な存在はあまり信じられないのだ。

 だが彼は、いつだって信じられないような事態は起きてしまうものだと知っている。

「まあ、お札は本物だが呪いが本物かどうかは別だぞ」

「えーでも五人も死んだんですよ?」

「俺はまだ死んでない」

「そんなホラー映画ですぐ死ぬ人みたいな台詞……」

 皿の上にあるローストポークに箸を伸ばす。駄弁ったりしながら食事をして過ごしているとあっという間に時間が過ぎ去ってしまう。これではまるでいつかドラマで見た正月の席のようだと思う彼女。何となく親しみやすいあの雰囲気。

「さて、今何時だ?」

 彼が時計を見る。既に時刻は十九時を回っていた。彼女と談笑している内に、いつの間にか時間の流れを忘れてしまっていたらしい。昔馴染みである彼女との話に熱中していた証拠だろう。彼の体感的にはもっと早い時間帯だと思っていたのだろうが、まさかここまで遅くなっているとは思っていなかっただろう。一人で自室に籠っているよりは良いことではある。

 視線を壁の時計から席へと戻すと、彼女が心配そうな目で彼の胸元を見つめていた。

「先輩……その怪我どうしたんです?」

「ん?ああこれか、気にするな大分治ってきてるから」

 胸元から見えた包帯でグルグル巻きになっている胴を見て困惑する彼女。確かに、普通の人からすれば怖いだけだろう。ここまでする必要がある怪我は普通の人からすれば身動きしてはいけないレベルに見える。彼は緩まないようにもう少しきつく帯を締めるべきだった。

「いや……それかなり酷そうじゃないですか」

「安静にしてれば問題ないさ」

「安静って……」

「帰るなら送るぞ、この辺りは何かと物騒だ」

 まだ納得がいかないという表情の彼女。残念なことに、彼に粳部を納得させられるような説明をできる自信はない。

 この町には一つだけ彼にとって気がかりなことがある。眠る時に必ず寝床で想起する懸念の一つ。それはこの町が抱える最大の問題。それさえなければ住人も普通で静かなただの町だというのに、あの被災地が近いだけの住宅街だというのに。

「何故だか知らないが、この辺りは変な噂や事件が絶えなくてな」

「治安があまり良くないって話は聞きますけど」

「治安というより、何だろうなあれは……」

 チンピラや暴走族が暴れているわけではない。ご近所トラブルが頻繁に発生しているというわけでもない。だが、それでも何故か碌でもない事件がいくつか起きている。人間じゃない者の目撃や神隠しに遭ったという話が尽きない。最近はかなりマイナーなオカルト雑誌がこの街について取り上げたとか。

 住んでいる身からすれば嫌な話だろう。まあ、彼は少し興味を持っているのだが。

「住民はよそよそしくトラブルもないが……変な目撃情報は尽きない。行方不明もな」

「うわっ、ネタの宝庫じゃないですか」

「気軽に言うなあ……まあ、別に昼間はまともで子供も出歩いてるがな」

 長時間座布団に座り続けた重い腰を上げて、遂に彼が立ち上がる。ダラダラと食事を摂りながら話をしていたせいであまりやる気が出ない彼だが、ここで彼女を一人で帰すようなことはあってはならない。彼女がこの帰り道に何者かによって襲われるようなことがあれば、彼にとってたまったものではないのだ。

それに、彼女の姉に悪いのである。

「さっ、早いとこ帰るぞ」

「はいはーい」

 何事もなく帰ることができればいいのだが、それは神のみぞ知る。

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