ゆっくりと離れていく瑛斗先輩の気配を感じ取りながら、目を開けられずにいた俺は、どうしたら良いか分からずに、そのまま固まってしまう。
「そういえば……。那央君とは、あれから話せたのか?」
「えっ……?」
俺は急に始まった弟の那央の話に驚いて目を開くと、真剣な顔で瑛斗先輩は俺を見つめていた。
(えっ……? 今、それ聞くの? このタイミングで……?)
力が入っていた身体から急に力が抜けて、俺は深い溜め息をつく。
(……忘れてた。瑛斗先輩はよくわからない人だった。いいかげん慣れないと、俺がもたない……)
深く考えるのはやめておこうと思った俺は、少しだけ呆れたように笑みを浮かべた。
「あっ、はい……。そうですね……。おかげさまで、あの後、俺の気持ちは伝えられました」
「そうか。それはよかった」
瑛斗先輩は安心したように俺に笑いかけてきたため、複雑な心境の俺だったが、瑛斗先輩のおかげで那央との仲が修復に一歩向かったのは事実なので、俺は頭を下げた。
「瑛斗先輩のおかげです。ありがとうございます」
「私は何もしてないぞ。理央が一歩踏み出した結果だ」
「そんなことないです。俺は……。俺は瑛斗先輩に助けられました。今度はどうやって、お返したらいいんでしょうか?」
「返す? そんなものは必要ない。私はもう、十分すぎるほど貰っているからな」
「でも、それって……」
(リオンからじゃ……)
そう確認しようとしたが、俺は口を咄嗟に閉ざした。
(俺、海棠理央じゃ……。瑛斗先輩には……)
また、そんな考えが頭を過り、俺は心の中で首を横に振った。
(さっきもだけど、俺は瑛斗先輩に何を期待してるんだ……? 瑛斗先輩に必要なのは俺じゃないだろ)
そう自分に言い聞かせるが、言葉で言い表せない何かを俺は瑛斗先輩に期待してしまっていることを認識はしていた。
(俺は瑛斗先輩と、どうなりたいんだ……?)
「んっ? どうした理央?」
「な、なんでもないです。そろそろ……チャイムが鳴りますかね」
俺は教室に戻ろうと弁当袋を握りしめて立ち上がると、瑛斗先輩も慌てて立ち上がって俺の制服の裾を指先で掴んだ。
「り、理央……。じ、実は理央に……頼みたいことがあるのだが……」
「なんですか? 改まって……」
「そ、その……。週末……。あ、ライブのある日曜日ではなく、土曜日になんだが……。私の撮影現場へ見学に来てくれないか?」
「土曜日……。瑛斗先輩の撮影現場って、モデルのですか?」
「ああ……」
「うーん……。実は、土曜日って夕方からダンス練習とメンバー全員で振付確認があるんですよ。だから……」
「撮影は朝からなんだ! 夕方には終わる予定で、送り迎えもする……。だから……」
「う、うーん……」
眉間に皺を寄せて俺は困った表情を浮かべるが、瑛斗先輩は俺の制服の裾を掴む指先に力を込めたことを感じ取り、必死なのが伝わってきた。
「えっと……。瑛斗先輩は、どうして俺に撮影の見学に来て欲しいんですか……?」
「実は……。姉が……理央に会いたがっているんだ」
「俺にですか? 瑛斗先輩のお姉さんが?」
「ああ。姉は……私にとって唯一の理解者なんだが、送迎車にチャイルドシートをつける理由を問われて素直に答えたら……。理央に直接会いたいから連れてこいと、言われてしまったんだ」
(素直に答えたらって……。一体、お姉さんになんて言ったんだ……)
今までの言動から、瑛斗先輩が余計なことを言っていないか気になったが、さすがにチャイルドシートの取付までしてもらっておいて、今回のお願いを無視できないと思った。
(それに、瑛斗先輩の唯一の理解者だということは、瑛斗先輩の味方でもあるってことだし……)
お父さんとお兄さんとうまくいっていないと話していた瑛斗先輩の、唯一の理解者であり味方。
そんなお姉さんに、俺も直接会ってみたいと思った。
「分かりました。それじゃあ、土曜日に」