「まったく。波多野は真面目なのか、よくわからないな」
「そ、そうですね……」
「そういえば、弁当うまかったぞ。それに、今日の卵焼きも絶品だった。弁当箱は明日洗って……」
(和兄が言った上書きの話……。瑛斗先輩に突っ込まれたらどうしよう……)
俺はなんとなく気まずくて、話途中の瑛斗先輩から思わず目を逸らしてしまう。
そんな俺の姿を見て、瑛斗先輩は立ったまま唇を噛みしめると、俺に向かって急に頭を下げてきた。
「すまない!」
「えっ? ど、どうしたんですか?」
瑛斗先輩の予想もしていなかった行動に、俺は目を丸くして動揺してしまう。
「私の軽率な行動で理央を不快にさせて……。すまなかった……。弁当箱は、明日誰にも見られないよう、細心の注意を払いながら下駄箱にいれておく。だから……」
本当に申し訳なさそうに、瑛斗先輩はさらに俺に向かって深く頭を下げてきたため、座ったままだった俺は慌てて立ち上がった。
「か、顔を上げてください! そんな、不快だなんて、そこまで言ってませんから!」
「い、いや。でも……。私は理央を怒らせてしまって……」
「怒ってなんかいませんよ。それに、軽率な行動なんて大げさな……。お、おでこにキスくらいで……。だってあれは、ただの挨拶ですよね?」
「えっ……?」
「え……?」
俺と瑛斗先輩は互い口を開けたまま、頭の上にはてなマークを浮かばせて、しばし無言のまま顔を見合わせてしまった。
「えっ……? おでこ……?」
「あっ、あれ……? 瑛斗先輩は、今朝のことで俺に謝ってるんじゃないんですか?」
「あ、ああ。そうだ。私の考えが至らなかったせいで、変な噂を立ててしまい、理央を不快にさせてしまったと……」
「変な噂……。あっ……。ああ、なんだそういうことか……」
かみ合っていないこの状況をやっと理解できた俺は、安堵から膝に手をついた。
(瑛斗先輩が言っているのは噂のことか。俺はてっきり、おでこにキスのことかと……。ん? なんだって、なんだ……?)
また頭の中がぐるぐるし始めたため、俺は自分を落ち着かせるために深く息を吐きながらしゃがみ、そのまま体育座りで座って、瑛斗先輩の顔を見上げた。
「噂のことは、さっき和兄に言われるまで知らなかったので気にしてないですよ。それに、俺が目立っていなければ、それでいいので」
「いや……でも……」
「たしかにリオンのことまでバレたらって、ちょっと思いましたけど。けど、それは俺の責任なので。気にされると、俺が落ち込みます」
「理央が……落ち込んでしまうのか?」
「そうです。だから、今回はお互い忘れる……。うーん、なかったことにしましょ?」
瑛斗先輩に笑いかけると、瑛斗先輩は安心したように眉を下げて笑みを浮かべた。
「わ、わかった。それならよかった。しかし、波多野が言っていた上書きとは、噂の上書きのことではないのか?」
「えっ……。そ、それは……」
本当はおでこにキスのことだと素直に言えるはずもなく、俺は思わず口を瞑んでしまう。
「波多野が……一限目が終わってすぐに、私のもとを訪ねてきたんだ。体調を崩した特待生を送り届けるなんて、さすが三王子ですねって」
「和兄が……ですか?」
「ああ。私はその時、理央との登校のことで、変な噂をされてしまっていることさえ知らなかった。だから、正直言われた時は意味が分からなかった。だが、波多野に噂のことを教えてもらい、あとから事の重大さを理解したんだ……」
俺は和兄が噂について話していたことを思い出す。
『誰かが理央と一緒に登校した理由を、月宮先輩に直接聞いたらしいんだ』
(ま、まさか……。和兄がわざわざ俺のために……?)
噂を上書きしたのは和兄であることを知り、俺は驚きを隠せずにいると、瑛斗先輩は俺の前にしゃがみこんだ。
「だから私は、波多野の言う上書きという表現は噂のことだと思っていたのだが……。一体、理央はなんのことだと思ったんだ? 波多野は何か他に、理央に対して上書きをしたのか?」
(な、なんでこんなときに限って鋭いんだ!)
俺をまるで問いただすように、瑛斗先輩は四つん這いでじりじりと俺に詰め寄ってきたため、俺は逃げるように近づかれた分を後退った。