「か、和兄! 何言って……!」
予想もしていなかったことを唐突に言われて驚いた俺は、持っていた箸を慌てて落としそうになる。
「なんだ、違うのか? 俺は偏見とかないから、安心して打ち明けてもいいぞ」
「ちがーう! 俺と瑛斗先輩は、ただの先輩と後輩! 送ってもらったのは、昨日の帰りに自転車のパンクに気付いて、困っていたところを助けてもらったんだ。それで、昨日のついでに今日も送ってもらっただけ!」
「ふーん……」
明らかに腑に落ちていない様子で、和兄は俺に近づけていた顔に微かに笑みを浮かべながら離れていった。
「な、なに……? その、納得してない感じ……」
「べっつにー」
まだ笑みを浮かべながら、和兄は食べ終わった弁当を片づけると、紙パックの飲み物を一気に飲み干した。
「あ、そういえば瑛斗先輩は……」
「なんだ、もう名前で呼び合ってるのか?」
「べ……別に、名前で呼ぶくらい普通でしょ! もう、いいよ」
本当は瑛斗先輩がいつもどこでお昼を食べているか聞こうと思ったが、和兄にこれ以上いじられるのも面倒なので聞くのは諦めた。
「理央ー。ごめんてー。もう揶揄わないからさー」
俺が黙って弁当を食べ進め始めると、和兄は俺の頬を人差し指で押し始めた。
「ごめんって! ほら、機嫌直せってー」
「……。瑛斗先輩って、お昼はいつもどうしているんだろうって素朴な疑問。和兄知ってる?」
「ああ。月宮先輩なら生徒会室だろうなー。三王子の仕事の打ち合わせって名目で、毎日のように生徒会に呼び出されてるから」
「瑛斗先輩だけ? 和兄は行かなくていいの? 同じ三王子なのに」
「中身のない打ち合わせに、俺は必要ないからなー。生徒会は月宮先輩信者だから」
「ふーん……。そうなんだ」
和兄はまるで皮肉のように信者という言葉を使ったが、たしかに瑛斗先輩の場合、あの圧倒的なルックスから、ファンというよりも信者という言葉のほうがしっくりくることは確かだった。
「まあ、理央にその気がないなら、これからはもう少し気をつけろよー。月宮先輩信者は、マジでおっかないからなー」
和兄は笑っていながらも、その言葉は忠告のように聞こえ、俺は少し怖くなり背筋を正した。
「……。俺、瑛斗先輩といたら逆恨みとかされちゃうのかな……。って、呑気に話してるけど、和兄も三王子の一人なんだから、一緒じゃないの?」
「俺には、そこまで熱狂的なのはいないって」
「いないって断言できる……?」
「……。まあ、約束は……できないかなー」
何か心当たりのある様子で和兄は言葉を濁したため、俺は息を吐き出した。
「……やっぱり。あーあ、三王子って大変なんだね。まあ、それだけ影響力があるってことか……。でも、俺がこうやって和兄とお弁当を食べていることを、もし知られたら……。和兄ファンの人たちも、おもしろいと思わないよね……」
弁当を食べ終えた俺は、膝の上に空になった弁当箱と箸を静かに置いた。
「なっ! おいおい、一緒に食べないとか言い出すのは勘弁してくれよ。俺の唯一の楽しみなんだからさー」
「でも……」
「ようは見られなければいい話だろ? いつもはこのまま座って食ってたけど……。そうだなー……。これからは、あそこに上るか」
「あそこって……」
和兄が指差した方向を見つめると、そこは屋上出入口の上部分、塔屋と呼ばれるところだ。
平らな屋根に上ってしまえば、たしかに誰かが急に屋上に上がってきても、死角になって気付かれなさそうだった。
だが、俺の身長はもちろん、和兄が腕を伸ばしても届かないくらいの高さはあるように見えた。
「えー……。はしごもないみたいだけど、あんなとこ俺に上れるかな……」
「手伝ってやるって。食べ終わったんなら片づけて、さっさと行くぞ。ほらっ」
「わ、わかったよ……!」
和兄に急かされ、俺は慌てて食べ終わった弁当箱と箸を弁当袋に片づけると、和兄に差し出された手をとった。
そして、そのまま俺は和兄に手を引かれながら、屋上の出入口へと向かった。
「なんだかこの感じ、子供の時みたいだね。こうやって、和兄が俺の手をいつも引いてくれてさ」
子供のころ、和兄が遊んでくれていた時、いつもこんな風に俺を引っ張ってくれていたことを思い出す。
「そうそう。で、理央の手は那央がしっかり握りしめてな」
「あ、うん……」
(那央……か)
昨日、瑛斗先輩を送った後、双子を起こす前に那央と少しだけ話をした。
那央には今まで極力頼らなかった理由や、俺の心のうちを全て話した。
そんな俺に、那央はただ『分かった』と言っただけで、それ以上何も語らなかった。
すぐに何かが変わるとか、昔のように戻るとはもちろん思ってはいない。
だが少なくても、俺がずっと秘めていた罪悪感が瑛斗先輩のおかげでなくなったため、那央に話しかけやすくなったのはたしかだった。
(いつか昔みたいに、那央に頼られるお兄ちゃんに戻りたいな……)
ふと、和兄の背中を見て、がたいがよく、兄として頼れる背中とはまさにこのことだと憧れてしまう。
「和兄は、今も昔もやっぱりかっこいいね」
「何を今更。げっ! ここ、本当にハシゴもないのか……。しかたない。ほら、俺が先に上って、理央を引っ張り上げてやるから」
手を伸ばしても届かない塔屋の縁を、和兄は思いっきりジャンプをして掴むと、そのままあっという間によじ登ってしまった。
「やっぱり、和兄はすごいや……」
パルクールのような俊敏な動きに俺は感心してしまい、思わず手を叩いてしまう。
「感心してないで、さっさとほら。手を伸ばせって」
和兄は俺を引き上げてくれるために上で寝そべると、俺に限界まで手を伸ばしてくれた。
俺は和兄の手を取って、引っ張り上げてもらいながら、なんとか上ることができた。