「ありがとう……」
そう呟くと、瑛斗先輩はただでさえ良い姿勢をさらに正し、膝の上で自身の手を重ねた。
そして、改めて俺のことを真っ直ぐ見つめてきた。
「私の母は……。いや、本当の家族は……みんな亡くなっているんだ……」
「えっ……」
(本当の家族は亡くなっている……?)
突然言われたことの意味が分からず、俺の頭は困惑し、瑛斗先輩の言っていることが信じられないかのように、目をじっと無意識に見つめてしまう。
(えっ……でも、理事長は……? それに、お兄さんとお姉さんがいるって、噂で聞いたような……)
俺が聞いた噂では、立派なお兄さんとお姉さんがいるため、父である理事長は瑛斗先輩のことを放任しているという話だった。
なので俺は、瑛斗先輩のことを心のどこかで、ただのお気楽な御曹司だと思い込んでいた。
そのため、急にそんな話をされても、瑛斗先輩が嘘を言うはずがないと頭で分かっていながら、どこか信じきれない自分がいた。
「いきなりそんなことを言われてもって、感じだな。当たり前だ……。少し長くなるが、このまま私の話を聞いてくれるか?」
俺は必死に、瑛斗先輩に向かって何度も頷いてみせた。
「父……理事長が学生時代、イギリスに留学した際に、同じ学生であったイギリス人の母と出会ったらしい。そして、結婚して日本で過ごしていたらしいが、母は私を授かったばかりの時に、家を出たらしい」
「授かったばかりって……」
「私がお腹にいたことも気付かず、突然喧嘩して国に帰ってしまったらしい。母は……とてもせっかちな性格だったからな」
昔を思い出して懐かしむように、瑛人先輩は少しだけ笑みを浮かべた。
「だから父は……私の存在を、生まれてだいぶ経ってから知ったらしい」
「そう……だったんですね……」
俺は静かに相槌を打った。
「私は生まれてから、幼少期をイギリスの祖父母の家で過ごしていたんだ。田舎で、のどかな暮らしだった。母は看護師で都会の病院で働いていたから、長い休みの時にしか会うことはなかった」
「長い休みの時って……。子供の時にですよね……? 瑛斗先輩は、淋しくなかったんですか……?」
俺の質問に、瑛斗先輩はゆっくりと首を縦に振った。
「祖父母とは毎日一緒過ごしていたし、母はほとんどいないものとして最初から育ったせいか、淋しいと感じたことはなかった。だが、夜中に突然目を覚まして、ベットの上で一人なんだと思った時は……どうしようもない孤独感を感じたことを覚えている」
「……。それで昨日、双子のことを気にしてくれていたんですね……」
『双子は大丈夫なのか? その……起きた時に海棠がいないと、不安になって探してしまうんじゃないか?』
心配そうに言っていた瑛斗先輩の様子を思い出し、やはりあれは経験によるものだったと知ると、胸が締め付けられた。
「あの子たちには……。私みたいな、あんな思いをして欲しくなかったからな」
(やっぱり、優しい人なんだな。瑛斗先輩って……)
瑛斗先輩の優しさに、温かいものが胸の奥から広がっていく感覚が蘇る。
「そして、七歳の時にボーディングスクール、寄宿学校で寮生活が始まった。それからは、私の長期休みに合わせて母が帰ってきて、家に戻るために、毎年祖父母と母が車で私を迎えに来てくれていた。だが一昨年、私を迎えに来る途中で交通事故に巻き込まれ……。雪の降る中、そのまま誰も私を迎えに来ることはなかった……」
「……!」
俺から静かに顔を逸らし、車の窓から遠くを見つめる儚げな碧い目。
こんな辛い話をしているのに、まるで他人事のように冷静に話す瑛斗先輩。
俺はどうしていいか分からず、窓の向こうを見つめる瑛斗先輩を、ただ同じように見つめてしまう。
「一人になってしまった私は、母に届いていた手紙を頼りに、会ったこともない父に連絡をとるしかなかった。そして私は、父である理事長に引き取られたんだ」