「今日は……ありがとうございました」
玄関で靴を履く月宮先輩に、俺は頭を深々と下げる。
「いや、私こそ……。貴重な体験だった」
俺が顔を上げると、月宮先輩は目尻を下げて優しく笑ってくれていた。
「本当にありがとうございます。双子の……あんな幸せそうな寝顔は、久々に見ました」
御飯を食べ終わってお腹がいっぱいになった双子は、月宮先輩と一緒にソファーでテレビを見ていた。
だが、俺が洗い物を終えて戻ってきた時には、二人とも月宮先輩の左右の膝に頭を置いて夢の中だった。
起こさないよう、月宮先輩の膝から静かにそっと頭を下ろしてソファに寝かせると、二人とも幸せそうに笑みを浮かべて眠り続けていた。
(楽しかったんだろうな、月宮先輩との時間が)
本当は俺が二人と遊んでやりたいが、家事があるため、こうやって一緒に時間を過ごしながらも、あまり構ってあげられていないのが現実だ。
(本当は、二人とも甘えたいよな……。でも、俺は我慢させてしまってる……)
普段、双子がワガママを滅多に言わないのは、俺に気を使って我慢しているだけなんだろうと思うと、胸が締め付けられた。
(俺が意地になっているから……。諦めてしまえば……。そうすれば、もっと楽に……。双子にも、そのほうが……)
父さんが入院してから抱えている考えが、俺の頭を過る。
「海棠……?」
考え込む俺の顔を、月宮先輩が心配そうに覗き込んできた。
「あ、ごめんなさい。ちょっと、ぼーっとしてました」
俺は胸の前で両手を振って、なんでもないとジェスチャーした。
その時、玄関の扉が急に開かれた。
「……。あんた、誰?」
帰ってきたのは、弟の那央だった。
学ランの前ボタンを全部と、ワイシャツのボタンを半分まで開けて着崩した制服姿の那央は、あからさまに月宮先輩を睨みつけた。
顔は俺に似ていながらも俺の身長を優に越し、中学生にしてはかなり大きいほうの那央だったが、さすがに月宮先輩には敵わず、見上げる形になっていた。
「コラ、那央。ガンつけるな。この人は、俺の学校の先輩で月宮先輩。自転車がパンクして困っていたら、車で双子のお迎えに付き合ってくれて、助けられたんだ」
「……チッ。なんで、オレに連絡してこなかったんだよ……」
舌打ちをして苛立った様子の那央は、月宮先輩から顔を逸らすと、スニーカーを脱ぎ始める。
俺は苛立つ理由が分からず、首を傾げた。
「なんでって……。時間もなかったし、あんな時間じゃ那央は捕まらないと思って……。あ、ごはんまだだろ? 月宮先輩送ったら、すぐ支度するから」
「いらねーよ! 帰りにラーメン奢ってもらったから」
那央は苛立ちを露わにして声を荒げたため、俺は思わず肩をビクつかせてしまった。
「そ、そっか……」
(まあ、食べてきたならしょうがない……。おかずは、明日のお弁当にでも……)
俺が静かに肩を落とすと、月宮先輩は突然、那央の胸ぐらを掴みかかった。
「おい……」
「つ、月宮先輩?!」
突然の出来事に、俺は驚いて狼狽えてしまうが、月宮先輩と那央はお互い牽制しあうように睨み合っていた。
「海棠は忙しい中、御飯を準備して、食べずにお前の帰りを待ってたんだぞ。
なのに、その態度はなんだ?」
「は? 赤の他人が何言ってんだよ? 離せよ!」
胸ぐらを掴む月宮先輩の腕に、今度は那央が掴みかかる。
「他人ではない! 私は……」
「わー! 待った、月宮先輩! ストップ! ストップ! 手を離して!」
慌てて俺は二人の間に割って入り、那央の胸ぐらを掴む月宮先輩の手を離させた。
「海棠……」
「ごめん、那央。俺ちょっと先輩を送ってくるから、双子のことよろしくな。今、リビングで寝ちゃってるけど、帰ったら起こして風呂入れるから」
「……」
那央は返事もせずに俺たちに背を向けると、荷物は玄関に置いたままで階段を駆け上がっていった。
静かになった玄関で、俺と月宮先輩の間に微妙な空気が流れる。
「すみません、月宮先輩……。那央は今、微妙なお年頃なので……」
「歳は関係ないだろ。なぜ、あんな態度をとられて海棠は怒らないんだ?」
「それは……。俺には何も言う権利がないからですよ……」
俺はそれ以上何も答えることができず、俯きかけて月宮先輩に背を向けた。
「海棠……」
「俺……。リビングから、ブレザー取ってきますね……」
そう言い残し、俺は逃げるようにリビングへ自分のブレザーを取りに向かった。