遠くから他の生徒の話し声が微かに聞こえてくるが、俺たち以外には誰もいない屋上へと続く階段を上りながら、俺は先に歩く月宮先輩に声をかける。
「そうだ。念のために言っておきますけど、和兄には絶対に俺がアイドル活動しているって言わないでくださいね」
「……? 波多野は知らないのか?」
月宮先輩は驚いたように階段を上る足を止めて、俺に向かって振り向く。
「もちろんですよ。家族にだって秘密にしてますからね」
「そ、そうなのか……」
俺は月宮先輩を追い越して屋上へと続く頑丈な扉の前に辿り着くと、月宮先輩が階段で足を止めたままなことに気が付く。
「……? 月宮先輩、どうかしました?」
「いや、別に……。もちろん、波多野には黙っていることを約束しよう」
「なら、いいんですけど」
少しばかり返事に間が開いたことが気になったが、俺は屋上の扉を開ける。
開けると同時に、春独特の生暖かい風と柔らかい日差しを感じた。
「あっ! おーい、理央。どうしたんだ? 遅かったじゃないか」
広い屋上の真ん中辺りで、フェンスに寄り掛かりながら座っていた和兄が、俺に向かって手を振る。
「あー……うん。ちょっとねー……」
「……?」
俺のすぐ後ろに月宮先輩がいることに気付いた和兄は、不思議そうに首を傾げていた。
俺は月宮先輩と和兄の元に向かい、和兄の横に座った。
「どうして、理央と月宮先輩が一緒にいるんだ?」
(まあ、そう思うよね……)
「いや、偶然そこで会って……。俺の弁当がまた食べたいっていうからさー。あっはっは……」
苦しい言い訳だと思いつつ、俺は笑って誤魔化し、その場をなんとか乗り切ろうとする。
「理央は……私の運命の相手なんだ」
「なっ……!!」
俺の隣に座った月宮先輩が、突然意味の分からないことを言い出しため、俺は月宮先輩を睨みつける。
だが、月宮先輩は至極まっとうなことを言っているかのように、真面目な顔だった。
(何を急に言い出すんだ、この人は! 話が違うだろ!)
「か、和兄。違うんだ、これは月宮先輩の冗談で」
「冗談ではない。私は本気だ」
「ちょ、ちょっと。月宮先輩は黙っててください!」
これ以上、和兄に余計な誤解を与えられては困ると、俺は月宮先輩の口を両手で塞いだ。
「か、和兄。違うからね。これは月宮先輩がふざけているだけで……。あ、そうそう! 卵焼き! 卵焼きの味付けが運命的に一緒だったんですよね? 卵焼きって、家庭によって味付けが違うから! ですよね、月宮先輩?」
口元を塞がれたまま必死な顔を向ける俺に、月宮先輩は一瞬驚いた顔をしたが、やっと何かを察してくれたように何度も頷いた。
「よし、それじゃあ弁当食べよ! いただきまーす」
月宮先輩の口元から手を離した俺は、弁当袋から弁当を取り出して蓋を開けると、蓋に卵焼きを乗せて、箸と一緒に月宮先輩に差し出した。
「はいどーぞ、月宮先輩。これが食べたかったから俺について来たんですよね?」
「あ、ああ……」
月宮先輩は俺の勢いに押されるかのように箸を受け取ると、卵焼きを箸で摘まみ黙々と食べ始めた。
(よし……)
やっと月宮先輩が静かになったことに安堵し、俺は和兄の反応を横目で確認すると、和兄は特に気にした様子もなく、いつもと変わらない様子でパックジュースを飲んでいた。
(そ、そうだよね。和兄が本気にするわけ……。でも、何か話を変えないと……)
「か、和兄はもう食べ終わっちゃったよね? ごめんね、遅くなって。今日は何部に行く予定なの?」
「今日は剣道部の予定だ。理央も見学に来るか?」
和兄は座ったまま竹刀を持ったフリをして、俺に素振りを見せてくれる。
フリだけでもカッコよくて凛々しい姿に、俺は思わず小さな拍手を送る。
「すごい……。和兄は本当になんでもできるね」
「そこにいる月宮先輩は、実は剣道なら俺よりも強いぞ」
「えっ……?」
俺は驚いて月宮先輩の方を向くと、月宮先輩は俺に弁当の蓋と箸を差し出していた。