(本当にまずい。化粧までしている時間はないかも……!!)
授業が長引いた上に、回収した全員分のプリントを職員室に持っていくことを教師に任命されてしまった俺は、運び終えてすぐに教室に戻ったが、廊下にさえ誰も残っていなかった。
俺はロッカーに押し込んでいたボストンバックとスクールバックを急いで引っ張り出すと、そのまま走りだした。
(これから職員会議だって言ってたし、誰にも会わないだろ)
いつもはきっちり締めているネクタイを緩め、全速力で俺は廊下を駆け抜ける。
今日はメンバーの誕生日ライブだったため、週末ではなく平日に行われる。
そのため、学校から直で会場入りしないと間に合わず、ライブ会場前には出待ちがいることも予想されたため、身バレ防止のための着替えと衣装をボストンバックに詰め込んでいた。
(駅のトイレで制服から着替えて……スクールバックと制服はコインロッカーに預けて……。マジでギリギリだな)
廊下を走りながら時間配分と手順を考え、高まる体温を逃がすためにワイシャツのボタンを二つほど開けた。
(あ、ネックレスしたままだった。まあ、先生もいないし、いっか)
スクールバックからメイクポーチを取り出し、ボストンバックのチャックを開けながら階段を駆け下りる。
(メイクポーチは忘れないようにボストンバックの方に移し替えて……)
「うわっ!!」
階段を誰かが上って来ていたことに気付かず、俺は階段の踊り場で思いっきり相手に体当たりをしてしまい、反動で尻餅をついてしまった。
「痛っー……」
痛がりながらも相手を確認するため俺は顔を見上げると、そこにはなんと、あの月宮先輩が立っていた。
「つ、月宮先輩! ご、ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか?」
(俺は御曹司になんてことを……!!)
「あ、ああ……。私は別に……。それよりお前の荷物が……」
「荷物……? ああっ!!」
チャックを開けていたボストンバックから、今日のライブ衣装がはみ出していることに気付き、俺は慌てて押し込んだ。
「わっ、わっ。ごめんなさい! 俺、急いでるんです。それじゃあ!」
衣装を見られた焦りから、俺は月宮先輩にろくに謝りもせず、逃げるようにその場を走り去った。
リハにもなんとか間に合って、無事終わったライブの感動と記念グッズの売れ行きに、俺は昨日の月宮先輩との出来事をすっかり忘れて上機嫌で過ごしていた。
(奮発して、今日は豚肉じゃなくて牛肉でカレーにしようかなー。いや、せっかく牛肉なら玲央と真央が好きなハンバーグでも……)
弁当を持っていつものように屋上に向かおうと教室から廊下に出ると、なんとそこには月宮先輩が待ち構えていた。
「海棠理央、ちょっと……」
(あっ……)
今の今まで忘れていた昨日の出来事に、俺はドッと冷汗が出る。
(も、もしかして、実はあの時ケガしてて慰謝料とか……。傷つくってモデルの仕事できなくなったから保証金とか……?)
考えれば考えるほど嫌な予想しか思い浮かばず、俺は兎にも角にもすぐに謝ろうと思った。
「あ、あの月宮先輩……昨日は……」
「いいから黙って私について来い……」
狼狽えていた俺は空き教室に連れ込まれ、人生初の壁ドンをされた上に、月宮先輩が俺のガチファンだという信じがたい事実を突きつけられて、今に至る。
「俺のこと……リオンのことをいつも応援してくれているの、月宮先輩だったんですね」
月宮先輩は膝立ち姿で、大きく強く何度も頷いた。
「あー……。な、なんといえばいいのか……。その、ごめんなさい……」
(いや、別に謝る必要はないのか。騙していたわけじゃないんだし……)
俺はなんとなく慰めるように月宮先輩の肩に手を置くと、月宮先輩は身体をビクッとさせて尻餅をつき、そのまま後ずさった。
(……。重症だな、これ……)
俺は今どうすれば最善かを考え、瞬時に出てきた答えは一つだけだった。
(よし、逃げよう……)
床に落ちていたネクタイを拾い上げ、俺はこれ以上関わってはいけないと空き教室を慌てて出ようとする。
「い、行かないでくれ!」
緊張しているような震えた声で月宮先輩は俺を呼び止めると、俺の腕をしっかりと掴んだ。
「ああ! またリオンに気安く触れてしまった……!!」
だが、俺の腕を掴んだ月宮先輩の手は慌てた様子ですぐに離された。
「た、たしか海棠は特待生だよな? 私と違ってバイト、ましては芸能活動なんてまずいんじゃないのか?」
「……。月宮先輩、何が言いたいんですか?」
俺は息を飲み込み、振り向いて月宮先輩を真っ直ぐ見上げた。
ここで出てくるセリフは、一つしかないだろうと思いながら。
「黙っていて欲しければ、私のいうことを……聞け」
ドラマや漫画でよく聞く予想通りのお決まりのセリフは、少しばかり声が震えていた。