「コムギィっっ!?」
直接逢う事は避けようと、遠目に見るだけに留めようと思っていたのに。
血まみれのその姿を見た時、それまで色々と考えていた事が吹き飛んだ。
ワタシは急いでそこに駆け寄ろうと走り出し……すぐ脇から死が迫ってくるのを悟る。
『グルアアアっ!』
それは一体の野犬型悪心。瓦礫の陰になっていた死角から、ワタシに向けて牙をむき出しにして飛び掛かってきた。
犬型にも種類があるけどこの悪心は小型。強さはさほどでもない。
普段のワタシなら気づけていた。魔法少女のワタシなら防げていた。
でも力を失い、コムギの方に気持ちが向いていたワタシにはどうする事も出来なくて。
犬型悪心の牙がワタシを捉える……筈だった。
「危ないっ!?」
「えっ!?」
「~っ!? ……このおっ!?」
ザンっ!
ピーターさんは右腕だけを鱗に覆われた姿に変え、そのかぎ爪で一閃。犬型悪心を消滅させる。
「……ふぅ。無事だったかいアズキちゃん? ……イタタタっ!?」
「ピーターさんっ!? しっかりっ!?」
脇腹を抑えて膝を突くピーターさんに駆け寄ると、彼は明らかに痛みをこらえる様子で無理して笑って見せる。
「咄嗟だったから邪因子による防御が間に合わなかった。結構痛いけど、見た目より傷は浅いよ。これくらいなら安静にしていればすぐ治るさ」
「でもこんなに血が……ごめんなさい。ワタシのせいでこんな事に」
「まあこの状況で勝手に逃げ出したのはお説教ものだけどね。理由は……ここに来て何となく察しがついたけど」
今も血が流れ続けているというのに、ピーターさんは離れた所で今も戦っているコムギを見て軽く頷く。だけど、ワタシはそんな状況でもこう口にする。
「お願いっ! あの子を」
「……ダメだ。今は君を無事連れ帰るのが最優先。かわいそうだけど、他の魔法少女に関わっている暇はない」
「そんなっ!?」
ピーターさんは一瞬だけ迷ったものの首をはっきりと横に振り、ワタシはもう一度コムギの方を見る。
さっき映像には他の魔法少女を庇う様子が映っていたけど、今は他に魔法少女の姿はない。死体も見えないし、コムギの性格を考えると自分が囮になって皆を逃がしたのだろう。
だけどそうやって一人で戦った結果がアレだ。
身体はふらつき、視線からどうやら目もまともに視えていない。それでも微かに感じる息遣いや動きの音を頼りに、襲い掛かってくる悪心達に立ち向かっている。
「さあ。こんな所で押し問答してる場合じゃない。予定時間までもう10分ほどしかないからね。悪いけどボクが運んで支部まで……下がってっ!?」
急に、ピーターさんが前に出て叫んだ。すると、
『グルルルル』
『グウゥゥ』
唸り声を上げながら、周囲から数体の犬型悪心が現れる。
(いけないっ!? まさか群れっ!?)
悪心は基本群れを作らない。だけど一部の小型種等は稀に何体かで行動する事がある。
そして今は悪心の大量発生中。何が起きてもおかしくない。
「マズいね。時間がないってのに……アズキちゃんはそこの瓦礫の陰に隠れていて」
『グルアアアっ!』
「チィっ!? 早く下がってっ! はぁっ!」
飛び掛かってきた悪心をいなすピーターさんに背を押され、ワタシは瓦礫の陰に押し込まれる。
「せいっ!」
『ギャウっ!』
また飛び掛かってきた一体をカウンターで引き裂くピーターさんだが、その場からほとんど動くことなく立ち回っている。
それを悪心も本能的に感じ取ったのか、グルルと威嚇しながらじりじりと同時に飛び掛かれるよう間合いを詰めていく。
(どうして? ……傷を気にしてカウンターを狙うにしても、もっと良い位置取りがある筈……あっ!?)
気づいてしまった。
ピーターさんはワタシの方に行かせないのと同じく、
『グワゥっ!』
「くっ!? んなろっ!」
そして、今も二体同時に襲われ片方に爪でひっかかれても、ピーターさんはその位置取りを崩さない。
変身している方の腕でガードしているから傷はついていないけど、怪我から流れる血で着実に体力を消耗していく。そして、
『グオオオっ!』
「……はぁ……まだ……これくらいっ!」
離れた所では、今もコムギが必死に戦っていた。
鹿型悪心の角で持っていた剣を弾かれ、牛型悪心の突進を躱したものの砂埃で目をやられ、それでもステッキから放つビームで牽制している。おそらくは逃げた仲間を追わせないように。
(ワタシ……なんて無力なのっ!? 親友も守れず、ピーターさんには迷惑をかけて、これじゃあどうしようもないじゃないっ!?)
聖石が砕けていなければ。魔法少女の力がもう一度だけでも使えれば。
終わった後拒絶反応で死ぬような目に遭ったって構わない。痛みに耐えてでもコムギの……そしてピーターさんの助太刀に行けるのにっ!
悔しさからぎゅっと拳を握り……ふと手首に巻いたままのタメールに目が留まる。
発信機としてつけたままのそれを見て、ふと以前支部内を見て回っていた時に職員の一人から聞いた話を思い出す。それは、
『
『ああ! 普段からタメールは起動の際に、持ち主の邪因子を吸って動力源にしているんだけどよ。それとは別にほんのちょっぴりずつ非常用の分を溜めているのさ。それを使ってタメールを邪因子のない奴でも使えるようにしたり、もしくは滅多にない事だが……』
「“貯蓄した分を身体に取り込む事で
ワタシは、そっとタメールに指を伸ばす。
「ハアアッ! ……アズキちゃん? 一体何を……まさかっ!? 待て。待って!? それをしたら君はっ!?」
こちらに気が付いたピーターさんが慌てて止めようとするけど、間の悪い事に残りの悪心達がまとめて飛び掛かってきてそちらの対処で手いっぱい。
(ごめんなさい。これからやろうとしている事は、ピーターさんやジェシーさんの厚意を無駄にする事。後で思いっきり謝ります)
それは一度踏み出したら後戻りできない道。たぶん誰も幸せにならない選択。だけど、
「だとしても、このまま無力な身で終わるくらいなら、命の恩人の足手まといになるくらいなら! そして、あの子がこれ以上傷つくのを見るくらいならっ!」
ワタシはタメールの画面から、
その瞬間タメールの内側から針が伸び、そのまま手首の血管に突き刺さって邪因子を流し込んでいく。
ドクンっ!
活性化した身体の中の邪因子が、拒絶反応の強烈な痛みごと聖石を侵食していく感覚。もう正義の魔法少女に戻る可能性はこれで万に一つも消える。
それでも尚、その時のようにワタシはこの言葉を叫ぶんだ。
「悪にだって、堕ちてやろうじゃない。……
ワタシの身体を、この身から吹き上がる邪因子が包み込んだ。