ワタシが目を覚ましてから七日目の夜。
「……はぁ……はぁ」
ワタシは一人部屋の外に出て、この施設を彷徨っていた。
別にベッドに拘束されている訳でもないし、リハビリを兼ねて外のトイレに行くと言えば実にあっさりジェシーさんは許してくれたのだ。
通路の天井は何かの配管があちこちへ伸び、病院というよりは工場のようなイメージがある。
(まいったな。この辺りにある筈だけど)
探しているのは通信機。以前ジェシーさんに付き添われて最初に部屋の外に出た時、偶然施設の簡単な見取り図が壁に掛かっているのを発見したのだ。
載っていたのはこの階だけだったけど、それによると少し離れた所に通信機が設置されているらしい。多分妨害電波の影響を受けない物だろう。
(最悪誰かに見つかっても、トイレの途中で迷ったと言えば一度は誤魔化せる。問題はワタシが使えるかという事ね)
仮にパスワードが必要な物だったらアウト。すごすごと部屋に戻るはめになる。
出来ればまだ情報を集めてから動きたかったけれど、今日でワタシが消えてから二週間。捜索が打ち切られている可能性がある。
だけど最も懸念しているのは、そんな状況でなお
(一人だけで捜索を続けていたら他の奴らにどんな目で見られるか。少なくともワタシが生きていると伝われば、ひとまずは落ち着く筈)
ワタシはなるべく呼吸を抑えながら、一歩一歩進んでいく。そして、
「……はぁ……はぁ……あっ!?」
角を曲がった先、そこから見える通路の途中に、何か受話器のようなものがちらりと見えた。
ワタシはやっと見つけたそれに向けて歩き出し、
コツン。コツン。
(……っ!? 誰か来るっ!?)
こちらへ近づいてくる足音を聞いて、咄嗟に近くにあった部屋に飛び込み扉を閉める。
そのまま扉ごしに耳を澄ませていると、足音はワタシの居た所を通り過ぎて通信機の辺りで止まった。どうやら通話し始めたらしい。
(これは……長期戦になりそうね)
ワタシはふぅ~と息を吐き、そういえばここは何の部屋かと振り返ると、
「……で? 何をしているんだい? そんなこそこそと」
そこには、こちらを怪訝そうに見るピーターさんの姿があった。
部屋の中を気まずい沈黙が支配する。
見ればピーターさんは、デスクに座ってパソコンに何か打ち込んでいた。横に大量の書類もあるし、ここは執務室か何かだったみたい。
「黙っていちゃ分からない。何か用でも?」
「……その、トイレに行く途中、迷ってしまって」
「トイレ? ……君の部屋からだとまるっきり反対側なのに?」
流石に誤魔化されてはくれなかった。ピーターさんは立ち上がると、ゆっくりこちらに歩いてくる。
(どうする……どうすればっ!? 通信機は目の前だっていうのにっ!?)
戦う? 魔法少女の力を使おうとしたらまた拒絶反応が起こるから無理。
逃げる? まだ長く走れるほど身体は治り切っていない。すぐに捕まる。
正直に話す? 次はもっと警戒されて、それこそ拘束される可能性もある。
碌な考えが出てこない。そんな中、目の前まで辿り着いたピーターさんはワタシの目をじっと見つめる。その目はこちらをどこか見透かそうとしているようで。
「……さしずめ、この通信機をこっそり使いに忍び込んで来たって所かい?」
「へっ……あっ!?」
ピーターさんが指さすデスクの上、そこには通路の物とは別の通信機が置かれていた。
「これでも幹部だからね。妨害されない物を個人用に持つくらいは許されている。君がジェシーを通じて、何度も連絡許可を申請しているのは知っている。それくらい予想できるさ」
正確には外の通信機なのだけど、大体その通りなのでワタシはそのまま頷く。
「ジェシーにこの事は……言ってないようだね。乗り込んできたことは黙っているから、早く戻った方が良い。彼女がきっと心配しているよ」
ピーターさんはデスクに戻ろうとする。だけど、このまま戻ったら何のために来たのか分からない。
「あのっ!? 僅かな時間で良いんです。せめてワタシが無事だって事だけでも……友達に、伝えたいんです。お願いしますっ!」
ワタシはそのまま頭を下げる。でも、
「……ジェシーも言ったと思うけど、機密保持の観点から許可が下りていない。少なくとも
「……っ!? どうしてそこでワタシの身体の事が出てくるんですかっ!? そんなの関係ないじゃ」
プルルルル! プルルルル!
突然通信機から通知音が鳴り響いた。
ピーターさんは少し待ってとワタシを手で制すと、サッと通信機を取って誰かと話し始める。
「はい。こちらピーター…………いや。彼女は」
ピーターさんは通話中にこちらをちらちら見る。どうやらワタシの事を話しているみたい。
『元居た所に返してきなさい!』
「嫌です!」
……何を話しているんだろう? 気になってギリギリ聞こえるぐらいまで近づいてみる。
『分かっている筈です。魔法少女と悪心については調査段階。接触は現段階では避けるべきだと。その上邪因子を投与するなんて。
「状況的に助けるにはこの手しかなかった。それに元はと言えば、魔法少女と悪心の戦いに巻き込まれるなんて予測できないよ。精々本部からは注意くらいで済む」
『……今からでも遅くはありません。彼女の邪因子を除去して記憶処理を行い、元の場所に戻すべきです。そうすれば我々の痕跡が残る事もありません』
「ダメだ。彼女の身体は聖石と邪因子の微妙なバランスで保たれている。せめて完全に回復してからでないと、無理に邪因子を除去したらどんな後遺症があるか。それに……っと!?」
そこでピーターさんはワタシが聞き耳を立てている事に気づき、少し声を抑えながら通話を続ける。
「……はい。じゃあそういう訳だから。彼女の事はもうしばらくこちら預かりで……はい。よろしく。……ふぅ」
通話を切ると、ピーターさんは大きくため息をついてデスクに座り込む。そして、
「途中まで聞いていたなら分かるよね? 通信は許可出来ない。なので早く」
「ワタシを助けるために……規則を破ったんですか?」
そう、疑問が口をついて出て、ピーターさんの動きが止まる。
「悪の組織というのがどういう物か、ワタシには分かりません。だけど、少なくともピーターさんは良い人に見えます」
「……そんな事はないさ。ボクは任務とあれば平気で人を傷つけるし、そのように部下に命令も出来る。だから悪の組織に居るんだよ。……ただ」
「……えっ!?」
「さあ帰った帰った! ここからなら五分もすれば部屋に戻れるだろう? 寄り道せずにすぐ戻ってベッドに入ってお休み」
途中ピーターさんが呟いた言葉を反芻している隙を突かれて、ワタシは部屋の外へ押し出された。そのまま勢いよく扉を閉められる。
すぐ近くに通信機はあるけれど、さっきの今では流石に止められてしまう。
(……部屋に戻ろう)
ワタシはゆっくりと歩き始めながら、さっきピーターさんが呟いた言葉を思い出していた。
『……ただ、任務以外で
(やっぱり、悪い人には見えないのよね)
「もうっ! 心配したんだよアズちゃん!? 悪い子だね!」
「あの……ごめんなさい」
その後部屋に戻ったらジェシーさんに滅茶苦茶怒られた。