「……ああ。つまらない」
ガシャリ。
あたしの貫手が動力部を穿ち、目の前の小型犬ぐらいある大きさの機械の蜘蛛が沈黙する。
これが最後の一匹。その周囲にあるのは、同じような機械の蜘蛛しめて29匹。
どれもこれも、少しすばしっこいだけで大して強くもない。少し邪因子を強めに腕に纏わせただけで、簡単に装甲は剥がせるし弱点も分かりやすい。
「次……出して」
「ネル様。そろそろお休みください。如何に訓練用のシミュレーションとは言え難易度はハード。それもこれだけの数をお一人で続けては」
「構わない。さあ次! もっと出してっ!」
お父様の部下が何か言っているけど気にしない。
あたしはお父様に期待されているっ! ならこんな所で休んでいる暇はないんだから。
あたしの言葉に根負けしたのか、お父様の部下が機械を操作すると今度は蜘蛛に加えて狼のような物もぽつぽつ周囲に現れる。
それに呼応するように、あたしも体内の邪因子を活性化させる。
そう。そうじゃないといけない。戦わなきゃ。強くなんてなれはしない。
最近少し身体がふらつく。
おかしいな。睡眠時間は少し削ったけど、栄養はちゃんと錠剤で摂れている筈だけど。
講義に出る為に移動する時、ちょっとよろめいて通路を歩いていた一般職員にぶつかってしまう。
「……ごめんなさい」
「お前どこを見て歩いて……ひぃっ!?」
最低限の礼儀として素直に謝ったのに、相手はこちらの顔を見るなりどこか怯えた様子で逃げるように去ってしまった。
失礼な。この次期幹部候補筆頭の美少女を見て怯えるなんて。オジサンなんか怯えるどころか会うなり説教をしてくるって言うのに。
そう感じながらも講義に出席し、幹部としての理論なんかを頭に叩き込む。……と言ってもおおよその事はもう
ああ。つまらない。
幹部候補生同士の模擬戦は、最近相手に対戦拒否をされるようになった。
と言っても対戦相手はある程度ランダムで決まるし、拒否してもちゃんとした理由が無きゃやらなきゃならない。
それで渋々あたしの前に立つ相手は、誰もかれもあたしを見て怯えた様に構えるんだ。まるで絶対に勝てない
だからあたしもこの所、模擬戦にあまり価値を見出せなくなった。これじゃあもう時間の無駄。シミュレーションで戦っていた方が
試合開始の合図と同時に、速攻で踏み込んで相手の喉元すれすれに手刀を突き付けて終了。反応すら出来ていなかった相手がドッと冷や汗をかいて降参宣言をするのを確認して、さっさとシミュレーション用の訓練室に向かう。
グシャリっ!
……もっと。
バキリっ!
もっと。もっとっ!
「もっと……かかってきなさいよっ!」
今ここにはお父様の部下はいない。だからシミュレーションの内容はあたしが好きに決めた。
出現タイプランダム。時間は3時間。外側からの干渉が無い限り、あたしが戦闘不能になるか時間が経つまで終わらないスペシャルコース。
上空から舞い降りてきた鳥型を地面に引きずり落し、横から喉元を食い破ろうとしてきた狼型に対し自分から腕を口の中に突っ込む。
「美味しい? じゃあ……消えてっ!」
そのまま手を伸ばして体内の大事な機械を握り潰し、力なく垂れ下がった身体ごと腕を別の個体に叩きつける。
その拍子にすっぽりと口から腕が抜け、傷つき血塗れの姿が露わになる。だけど、
「こんなの、どうってことないっ!」
邪因子を強く意識して腕に集中。見る見る内に肉が盛り上がって傷跡すら残さず治り、軽く動かして元の調子に戻ったのを確認。その時間ざっと1秒ちょっと。
「わらわらと……邪魔っ!」
その間に近づいてきた奴らを身体全体から邪因子を放出して威圧、質量のある邪因子を伸ばして一体を掴み、そのまま引き寄せて拳で一撃。顔面を陥没させる。
そこに現れるのは大きな影……いや、熊型の大型タイプ。立ち上がると3メートルくらいある巨体で機械的にこちらを威嚇する。
「面白いじゃない」
あたしは熊型を見てニヤッと笑い、その振り下ろされる爪を軽くステップを踏んで躱す。周囲の小型を蹴散らしながら、大型の攻撃を一撃二撃と回避していく。だけど、
「……もう良いや。大体分かっちゃった」
パワーはあるけど攻めは単調で勢い任せ。せめて他の小型と連携して襲ってくるかと思ったけれど、それもないんじゃただのデカい的。
地面に振り下ろされた爪がぶつかりざま、あたしはその伸ばされた腕に乗って駆ける。狙いは熊型大型種の頭部。慌てて振り払おうとしたけどもう遅い。
「じゃあね」
あたしは肩から軽く飛び上がり、落下する勢いと一緒に踵落としを叩き込む。邪因子をたっぷりと纏わせた一撃は、スイカでも割るみたいに熊型の頭部を粉砕した。
ズズ~ン。
音を立てて倒れ伏す熊型個体。あたしは軽く息を吐いて周囲を見渡す。こいつが群れのボスであれば、ボスが倒された事で群れの統率が乱れるものだけど。
「まあそんな訳ないよね」
そもそも出現する種類はランダム。今のは偶々強そうな個体が出てきただけであり、残っている奴らはまるで堪えた様子はない。
それどころか、少し離れた所で敵が再出現している。それも今倒した熊型の同種が3体も。
周囲はどこもかしこも敵の群れ。一息吐く事すら難しいこの状況。あとどれだけ時間があるのかも分からない。
だけど、
「……そう。やっぱりこうじゃないと」
腰のホルダーから愛用のキャンディーを取り出して咥える。
心臓の鼓動はドクンドクンとうるさい程脈打ち、全身に邪因子が漲っていく。いや、邪因子の総量自体は減っているんだろう。でもそれ以上にずっと
使えば使うほど、戦えば戦うほど。傷つき、痛み、苦しんだ先、あたしの何か大事なモノが磨り減っていくのに対し、それを補う様に邪因子はより力を増していく。
だけどそれで良いっ! お父様の期待に応える為なら、お父様の役に立つ為ならっ! ……お父様に、認めてもらえるのならっ!
「さあ。壊し合おうよ。どっちかが動かなくなるまでっ!」
また一段と邪因子を燃やし、あたしは飛びかかってくる奴らを迎え撃った。
「……ちぇっ。もうちょっとだったのになぁ」
外側からの緊急停止。結末はそんな興醒めするものだった。
いくらなんでも一人で3時間訓練室の一画を独占するのは問題があったらしい。2時間くらいで流石に見咎められて、無理やり外へ引きずり出された。ただ、
「
シミュレーションの内容を見た野次馬の一人が、そうポツリと洩らしていた。
稼働時間 1時間53分
仮想敵撃破数 197
内訳
小型種 113 中型種 72 大型種 12 特別種 0
ハードモードで出現タイプをランダムにした場合、極稀に出てくる
最後の方で1体だけ出てきたあれは中々歯ごたえがあった。こっちは胸の骨にヒビを入れられたけど、代わりに向こうは本気の力で手首を砕いてやったから中断しなかったら勝てていたと思う。
あたしは教官にこってりと絞られて、少しだけ疲れたその足で自室へと歩いていた。普通は一人であんな長時間はやらないらしい。と言っても教官もどこか引いていた感じだったけど。
「だけど、帰ったってあんまり意味ないんだよ」
帰って、寝て、それでまた訓練しに出て行くだけの場所。……あと自分の身体を最低限検査する場所。それもこの所は寝る時間も削って訓練に充てているからほとんど帰ってすらいない。
もういっその事帰らずに訓練室で寝泊まりした方が早いかも……いや。
「忘れてた。本。取りに戻らなくちゃ」
あの部屋の数少ない私物。あの時買って結局まだ封も開けていない本。読んでいる時間はないけれど、それでも……オジサンと一緒に初めて買い物した大切な本。
それだけじゃない。あの時買った物全部が、どれも大切な思い出の品。だから取りに戻らないと。
だけど、ちょっとだけ寂しいかな。せめて誰か、誰でも良いから部屋で帰りを待ってくれる人が居れば、この気持ちも少しはなくなるかもしれないのに。
……そんな事ある訳ないのにね。
「よお。
何故かあたしの部屋の真ん前で、両手にパンパンの買い物袋とキャリーバッグを持った雑用係のオジサンが不機嫌そうな顔で立っていた。