「……おっそいなぁ」
あたしはキャンディーを口の中で転がしながらオジサンの来るのを待っていた。
オジサンに手を出させて返り討ちにする作戦は前回、あたしがうっかり眠ってしまうというポカをやったせいで不発に終わった。
だけど急なお泊まり自体はそれなりに有効だったのは間違いない。おそらくオジサンも自身の理性を総動員して本能的な何かを抑え込んでいた筈だ。
なのでまた色々な下準備をし、今回こそ決めてみせると上手く訓練の時間を調整して待ち構えている訳だけど、いつまで経っても戻ってこない。どうやら支部の周辺の村に食料の買い出しに行っているらしい。
そんなの力に任せて奪ってしまえばすぐなのに。実際前に見た他の支部ではそうしていた。……泣きわめく住民達の声がなんか耳障りだったからあたしは盗らずに帰ったけど。
「ふむふむ……よし。イメトレもバッチリ!」
荷物の中から愛読している本を取り出し、この状況にあった展開を幾つか練る。ここは遅れてきたオジサンを軽く貶しつつ、寛大に許してあげて主導権を握る手で行こう。今の内にセリフも考えておかないと。
何だろう? オジサンをどう掌で転がしてやるか考えていると少しだけ楽しくなる。フフフ! 早く来ないかなぁオジサン。
「ケンさ~んっ!!!」
「グエッ!?」
……んっ!? 何だろう? 近くの通路の角から変な声が聞こえてきた。だけどケンと言えばオジサンの事だ。もしかしたら帰ってきたのかな?
丁度良いや。こっちから出て行って脅かしてやろう。そう思って通路の角を覗いてみたら、
「……フヒっ! フヒヒっ! フオオっ! 8日と3時間と52分ぶりのケンさんの香りっ! ああ堪りません甘美です至福です興奮ですクンクンクン」
「止めんか変態っ!?」
「あうっ!? もう少し! もう少しだけケンさん成分を堪能させてくださいよ!」
背丈は大人にしてはかなり小柄。薄桃色の髪を肩まで伸ばし、グルグル眼鏡をかけた白衣の女性。ただ所々汚れて白衣というにはアレだし、明らかに顔が上気していてまともな精神状態とは思えない。
「……オジサン。何してるの?」
ひとまずよく分からない状況に一度声をかける。そう。あたしは将来幹部になるネル・プロティ。お父様の様に常に冷静沈着でなければならない。なので心を落ち着かせて状況把握に努めようとし、
「う~ん? 邪魔しないでくださいよぉおチビさん。私は今久方ぶりの至福の時に酔いしれている所なんですから。さあさあケンさん。こんなおチビさんは放っておいてもう少しその脳を蕩かせるようなその香りを私に」
「アンタは黙ってなさいっ!」
なんかムカッと来たからその変態にドロップキックを決めてやった。後悔はしていない。
ミツバ・ミツハシ。
弱冠十六歳で幹部、及び
その経歴は異色の一言であり、才能は有ったものの一般研究員時代から自身の興味を持ったモノ(特に匂い)にとことん執着した。
幹部になってからも奇行は健在。あまりに度が過ぎて本部からこの第9支部に一度左遷されるも「彼女が居なくなると兵器開発が十年は遅れる」という他の本部兵器課職員の強い嘆願により兵器課課長に返り咲いた。
このように人間性はともかくとして、
正直直接会った事は無かったけど、データだけなら知っている。正直口に出して言ったりはしないけど、ほんのちょっとの……憧れ? があった。そして自分が越えるべきライバルだとも勝手に思ってた。
いずれあたしが幹部になって、その最年少記録を塗り替えてやろうと思っていた。だけど、
「あのな。いくら怪人態がアレだからって少しは我慢しろよこの匂いフェチ」
「失敬な。この私が邪因子に引っ張られるようなヘマをするとでも? ……これは単に私個人の趣味ですっ!」
「なお悪いわバカっ!」
目の前でキリッとした顔をしながらオジサンに拳骨を落とされる様を見て、なんか……うん。バカバカしくなった。これがライバルは無いよ。
「……ったく。それで? 結局何の用だよ二人共。俺は仕事で忙しいんだ」
「そうそう! それだよオジサン! 実は」「それは勿論愛しのケンさん成分を摂取に……ってちょっとお待ちを!? イヤですねぇ冗談ですよ!」
このっ!? あたしの話に被せてきたっ!? おまけにこっちに見てニヤって感じで笑ってるし。オジサンもさっさと部屋に入ろうとしたけど、冗談の言葉にちょっとだけ足が止まる。
「ああもううるさいから一度に喋んな。一人ずつだ。……じゃあまずはそこのクソガキからな」
「ふふん! そうこなくっちゃ! 実はまた今日もお泊まりに」
「却下だ。ハイ次。ミツバな」
何でよっ!? と憤慨する中、ミツバがこほんと咳払いしつつさりげなくオジサンに近寄り……くっつきすぎて顔面から引き剥がされていた。
「実はケンさんはもうご存じかと思いますが、今日この第9支部で新作の起動実験がありましてそれを見に」
ああ。アレかとオジサンは何かを納得した様子だった。
「それは知っているが、何でまたお前が? いやまあ以前ここに居たんだから縁はあるだろうが」
「へへへ。やっぱりず~っと本部の研究室に籠ってると頭の回転が落ちますからねぇ。たまには古巣の研究成果を見て刺激を受けたいと思いまして。……まあケンさんのお顔を一目見に来たというのも本当なんですけどね!」
そんな事を言いながら、ミツバはオジサンにまたすり寄っていく。そして、腕に纏わりついているのにオジサンがもう呆れながらも振り払うのを止めた時、
「なんか……嫌だな」
ガリっ!
キャンディーを噛み砕く音と共に、心のどこかがチクッとした感じがした。
「それにしても……クソガキさんでしたっけ?」
「違~うっ! ネル! ネル・プロティっ! 幹部候補生でその内アンタの記録を抜いて幹部になるレディよ。覚えておいてっ!」
「ネル? ……ああ成程。噂だけは聞いてますよ。しかしネルさん」
ミツバはそう言うと、突然あたしに寄って来て匂いを嗅ぎ始めた。
「なっ!? 何すんのよ!? このヘンタイっ!?」
「動かずに……クンクン。ヌオ~ン!?」
そしてあろうことか酷い匂いを嗅いだみたいに顔をしかめて直ぐに離れる。勝手に嗅いでおいてなんて失礼な奴。そしてオジサンにチョップを喰らっていた。アッハッハ! 良い気味!
「ひっどい匂いですねぇ。一つ一つの素材は間違いなく極上なのに、変な添加物やら無理な組み合わせやらでごちゃ混ぜになって何というかこう……しっちゃかめっちゃかになってます。色んな絵の具を混ぜたらキッタナイ色になったみたいな。実に勿体ない」
「ちょっとっ!? あたし毎日ちゃんと殺菌処理してるし、香水の類は一回も使った事ないんだけどっ!?」
自分でも嗅いでみるけど別段匂いはしない。この女のデタラメだっ! だけどそれを聞いたオジサンは何か考え込むように視線を落としている。
「オジサ~ンっ!? あたしそんな変な匂いしてないからねっ!? オジサンの加齢臭はともかくとして、あたしは年相応の美少女的な良い匂いだからっ!? ほら嗅いでみてよっ!?」
「むぅっ! ネルさんばっかりずるいですよ!? ほ~らケンさん! 私とくっついて互いに鼻から脳を蕩かしましょうよぉ」
「止めんかバカ二人っ!」
痛っ!? 服をパタパタさせながらオジサンに迫ったらデコピンされた!? まあミツバも食らっているみたいだからマシかな。そして、
「あいたたた。相変わらずヒドイ。……そうだ! ケンさん……とついでにネルさん。丁度良いから一緒に兵器課の起動実験を見に行きませんか? 色々良いデータゴホンゴホン……良い体験ができると思いますよ!」
頭を押さえながらそんな事を言い出したミツバを見て、何言ってんだろこの人と思ったあたしは悪くないと思う。