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ネル お泊まりを終えて部屋に帰る

『行かないでっ!? 行かないでお父様っ!』


 ああ。これは夢なんだろう。目の前に映るもう一人のあたしが、お父様に手を伸ばして縋りつこうとするのを見て、あたしは頭の冷静な部分でそう判断する。


 あたしはあんな事言わない。こんなみっともなく縋り付くなんて事しない。そんな事をしなくても、あたしがいずれ幹部に至れば胸を張って逢う事が出来るのだから。


 ああ。だけど、少しだけ羨ましい。あんな風に直接的に行動できるのが。そう思っていた時、


「……うんっ!?」


 手が、何かを掴んだ気がした。


 お父様じゃない。お父様はこちらに見向きもせずにどこかへと去っていく。だけど、どこか温かい感覚が手にある気がした。





「……うぅ……んっ!?」


 目を開けると、知らない天井が見えた。……そうだ! あたしは今日あのオジサンの部屋に泊まったんだった。何か夢を見ていた気がしたけど、もう思い出せない。


 気が付くと、いつの間にか身体に布団が被せられていた。ご丁寧に読みかけだった筈の本が片付けられていて、荷物も纏められてあたしの傍らに置かれている。


 コンコン。


 そこに、外から扉をノックする音が聞こえてきた。


「お~い! 起きてるかクソガキ? もうすぐ朝食の時間だ。さっさと顔洗って着替えてこいよ」

「……あ、うん。分かった」


 寝起きで頭が回らない。あたしは外から言われるがまま、パジャマから着替えて洗面所で顔を洗う。……ふぅ。ちょっとすっきりした。


 ジュージュー。ジュージュー。


 オジサンはキッチンでフライパンを振るっていた。どこか心地良い油の弾ける音と共に、香ばしい香りが部屋に漂う。


「おう! 起きたか。ならもうすぐ出来上がるからそこに座って待って……いや、そこの棚から皿を二枚取ってくれ。下から二番目の棚だ」

「皿って……これ?」

「そうだ。これに……よっと! よし出来た。テーブルに持っていけ」


 オジサンがフライ返しで上手く皿に盛ったのは、もわもわと湯気を立てる目玉焼きとベーコン。そして横にはカリカリのトーストが添えられている。


 朝食……か。昨日みたいに美味しいのだろうけど、


「え~っと……オジサン? あたし朝いつも錠剤だけで済ませてんだけど。栄養もちゃんと摂れるし」

「バカ野郎。ガキが朝飯抜いて一日大丈夫な訳あるか。俺の目の前で錠剤だけで済ませるなんて許さねえからな。良いから黙って食え。そして食ったらさっさと帰れ」


 断ろうとしたら押し切られた。そしてそのままテーブルに着き、昨日と同じく手を合わせて食事を始める。……うん。美味しい。


 しかしどうしよう。ひとまず昨日オジサンがあたしの魅力でメロメロになったのは間違いない。ツイスターゲームをあれだけやったんだし、理性も大分削れている筈だ。


 本当ならトドメの一撃として、オジサンが寝る時にこっそり添い寝するつもりで待っていたのだけど、うっかりその前に眠ってしまったのは失敗だった。


 なので今日まで持ち込む予定がなく、ここから先の作戦が今の所ない。本に載っていた方法は幾つかあるけど、家でのシチュエーションは大体やってしまったし道具もない。もう一押しだろうけど決め手に欠けるなぁ。


「…………い。おいっ!? 聞いてるか?」

「えっ!? うん。聞いてる聞いてる。このあたしが聞き逃すなんてそんな事ある訳ないじゃない!」

「ほぅ。じゃあまだ余裕なんだな。次のゲートが開く時間まであと15分だが」


 その言葉にあたしは慌てて時計を見る。……ホントだ!?


「マズっ!? 急がなきゃっ!」

「こらっ! 飯はちゃんと食ってけ!」


 訓練の準備はどうせ本部の自室でやるから良いけど、このド辺境の支部のゲートは一つ入り損ねたら次は何時間も後。遅刻確定だ。


 慌てて立ち上がろうとすると、オジサンに怒られた。え~い。仕方ない。あたしは大急ぎで残ったトーストを頬張る。……うん。目玉焼きと一緒に食べると凄く美味しい。


「ご馳走様。じゃ~ねオジサン! ご飯美味しかった。また来るねっ!」

「お粗末様でした。二度と来るなっ!」


 あたしは急いで荷物を引っ掴み、オジサンのそういう言葉を背に受けながらゲートへと走り出した。


「おいクソガキっ!? お前昨日の着替え忘れてんぞっ!?」

「それはオジサンにあげる! ほらっ! 美少女の使用済みの下着だよ嬉しいでしょ?」

「こんなん要るかっ!」


 まあそんなドタバタもあったけど、あたしの初めてのお泊まりはこうして終わったのだった。





「ふぅ。何とか間に合って良かった」


 あたしは自室で息を整えながら荷物をドッと降ろした。


 ベッドに机と最低限の家具しかない殺風景な部屋。オジサンの部屋とは大違い。一日お泊りしてみて、大分違うものだと実感する。


 訓練まではもう少し時間がある。その間に準備を整えようとカバンを開け、


「……あれっ!? これは」


 荷物の中に見慣れない包みが入っていた。中を開いてみるとそこには、


「サンドイッチだ!」


 薄焼き卵にケチャップをかけて挟んだサンドイッチが、きれいにタッパーに収められていた。一緒に手紙が添えられて。手紙には一言。


『弁当だ。栄養は錠剤だけに頼らず飯もちゃんと食え』


 とだけ書かれていた。


 オジサンったら、あたしは錠剤だけで大丈夫だっていうのに。……だけど、なんだか少しだけ気分が良くなった気がした。今日はちょっとだけお昼が楽しみだ。




 ◇◆◇◆◇◆


『アレの具合はどうだ?』

「はい。ネル様は着実に邪因子を伸ばしております。この分なら近い内に幹部に昇格する事も夢ではないでしょう」

『そうか』


 ここはネルが以前検査を受けていた研究施設。そこのモニターの一部において、白衣の男がモニター越しに何者かと話をしている。


「計画は順調に進んでおります。……ただ、一つだけ懸念事項が」

『何だ?』

「最近ネル様が第9支部に高い頻度……数日に一度で出向いているようなのです。表向きは幹部候補生の実習の一環となっていますが、視察自体は既に終わっております」

『何か計画に支障があると?』

「いえ。あくまで訓練の合間に顔を出す程度ですので今の所は何も。少々最近精神面に乱れが見られますが、全体で見れば精神高揚の域で寧ろ良い影響を与えているかと。……如何なさいますか?」


 モニターに映る者は僅かに思案し、


『いや。はっきりとした実害が出ない限りはアレの好きにさせておけ。これまで通り、欲する物があれば与えろ。そして……分かっているな?』

「はっ。畏まりました」


 その言葉を最後にモニターは閉じる。それ以上何も言う事は無いと言うかのように。


「アレ……ですか。あの方も相変わらずで」


 白衣の男は困ったような顔で頭を掻き、そのままその場を後にした。そこにはもう誰も居ない。……そう。誰も。





「……ふぅ。ちょいと調べてみようと思えば、なんとも妙な事になっているねぇ。はてさてどうしたもんか」


 


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