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「……はふぅ」
あたしは湯船の中でついそんな声を漏らす。
あのオジサンに「しっかり体を洗ってよ~く温まれよ! 耳の後ろもちゃんと洗うんだぞ!」と荷物ごと脱衣室に放り込まれ、お風呂というものは初めて入ったけどこれは中々に良いモノだと思う。
いつもは滅菌シャワーで20秒もすれば汚れは落ちるのだけど、温かい湯に浸かるのはそれとは違う心地良さがある。しかし、
「ふふん!
そう。この“あたしの魅力に欲情して襲って来たオジサンを返り討ちにして、あたしが格上だと分からせてやる作戦”は、今の所順調に進んでいる。
そもそもの発端は、あたしに屈辱を与えたあのオジサンにどう仕返ししてやろうかという事だった。
普通にあたしが幹部候補生だと認めさせるだけなら邪因子を解放すればそれで済む。だけどそれじゃああたしの気が晴れない。要はオジサンをいかに心も体も屈服させて分からせてやるかが問題だ。
そうして悩んでいた時、以前とある経緯で手に入った本を見返してみると面白い事が書いてあった。
それによると大人、特にうだつの上がらないオジサンは子供からのからかいにめっぽう弱く、また女の子が肌をチラ見せしたりちょっと挑発すると欲情して襲い掛かってくるとかなんとか。
実際その本の主人公の少女は、完全に標的であろう大人を手玉に取っていた。惜しむらくは最後の方が破れていて結末が分からない事だけど、まああれだけ優勢だったから負けたという事はないだろう。
題名は確か……『メスガキは大人なんかに負けたりしない』だったかな? 題名通りならやっぱり勝った筈だ。
それからというもの、本の内容を参考にしてオジサンに様々なアプローチを仕掛けてみた。本の主人公が着ていたような服を買って着て見せてみたり、軽く貶しつつちょろっとプレゼントをしてみたり。そして、
「オジサンの家に勝手に入ってお泊り……本ではこれで一気に理性を削っていた筈! 今日で一気に決めてあげる!」
あたしは湯船の中でグッと拳を握る。さあオジサン。あたしの魅力でイチコロにしてあげるからっ!
……っと。忘れてた。出る前に耳の後ろもちゃ~んと洗わないとね。
「うん。こんな所かな!」
あたしは鏡の前で自分の格好を見つめる。
今日この日の為に用意したおニューのパジャマ。普段使っている簡素な寝間着とは違い、ふわふわの白いウサギを模した物だ。フードを被るとちゃんと耳もぴょこんと突き出る。
本ではこういうふわふわの格好をしていたからあたしも真似てみたけど、自分でも中々良いと思う。ちょっと毛がカバンのファスナーに絡んで完全に閉まり切らなくなった不幸な事故があったけど、これなら行けるよね!
「オ~ジサンっ! 上がったよ! どう? 見て見て! 凄いでしょ!」
こういうのは最初が肝心と、あたしは勢いよく脱衣所の扉を開けて外に出る。そこには、
「……はい。ではそのように。……はぁ。うん? おぅ。上がったか。じゃあ飯にするぞ」
片手に通信機を持って誰かと連絡していたオジサンと、テーブルの上に並ぶほかほかと湯気を立てる料理があった。あたしのこの服に目を付けないなんて生意気な! だけどその前に、
「食事? ……あ、あ~そうだよね! うん。お泊りと言ったらやっぱり食事だよね!」
「何驚いた顔をしてんだ。時間的にもう夕飯時だろ。……ったく。二人分作るのは予定になかったから食材がギリギリだ。明日の朝は食堂でだな」
どうせ錠剤で済むからいいやと夕飯の事をすっかり忘れていたあたしに、オジサンはどこか呆れた様子で座るように促しながら自分もテーブルの前に座る。
「いただきます」
オジサンが手を合わせて食べ始めるのを見て、あたしもとりあえず形を真似て手を合わせる。簡単な作法くらいは情報として知っているけど、こうしてやるのは初めてだ。
目の前に有るのは白米を中心にした和食。みそ汁や漬物、魚の塩焼きに、
「……卵焼き!」
「ああ。前にお前が書置きしただろうが? また食べに来るって。丁度良いからついでに作った」
あたしは箸と一緒に置かれていたフォークを手に取り、卵焼きを一つ刺して口に頬張る。今度はもう前のような失敗はしない。いつの間にか無くなっていたなんて事の無いよう、ゆっくりと味わう。
「どうだ? 美味いか?」
「……よく、分からない。けど」
食事は要するに栄養補給でしかない。より効率良く栄養を摂りたいなら錠剤を飲めば済むだけだし、味も基本的にあたしには最低限以外必要が無い。だけど、
あたしの脳裏に、もういつ頃になるか分からない、お父様と一緒に食事を摂った時の記憶が過ぎる。誰かと一緒に食事する時の、この温かい気持ちがそれだというのなら、
「うん! 美味しい!」
「……そっか。じゃあどんどん食え。ガキはしっかり食って育つのが仕事だ」
オジサンは素っ気ないながらも、どこか優しい口調でそう言った。
「えっ!? 泊まって良いの?」
夕食を食べ終わり、どこかほっこりした気分でのんびりしていた時にいきなりそう切り出され、あたしは驚いてオジサンの方を見る。
「良いのってお前が言いだしたんだろ。俺だってこんなクソガキを泊めたくはねぇ。だが支部長からの頼みとあっちゃあ断れん」
それを聞いて、さっきオジサンが誰かと通信していたのを思い出した。
実際ここのジン支部長にはしばらく前から話を通してある。あたしがよくこの支部に顔を出すのを、周囲にあくまで視察が長引いてるからという建前にしているのも支部長だ。だからオジサンに支部長から何か言ったんだろう。
何故ここまで協力してくれるのかは知らないけど……まあ将来有望なあたしにコネを作っておきたいとかそんな所だと思う。こっちとしても協力してくれるのはありがたいし。
「あ~!? 分かってないなぁオジサン。こんな可愛い女の子と一緒にお泊りできるなんてとっても良い事なんだよ! 寧ろ「ははぁ。幹部候補生のネル様にこんなむさくるしい部屋に泊っていただけるなんて光栄の至り。どうぞどうぞお使いくださいまし」くらい言っても良いんだよ!」
「勝手に来ておいて何言ってんだこのクソガキめ。支部長に言われてなきゃさっさと叩き出している所だっ! ……まあ良い。泊めてはやるが静かにしてろよ。俺はやる事が山積みなんだから。本は読んでも良いが散らかすな。それと寝るならそっちに布団を敷いてあるから好きに使え。じゃあな」
オジサンはそう言って部屋の奥に入っていった。どうやらあそこが寝室らしい。扉が閉まる直前ちらっと中の様子が見えたけど、やや古いノートパソコンがあったからあれで書類の整理でもするのだろう。
「……よし」
あたしはオジサンが向こうの部屋に入ったことを確認し、カバンからある物を取り出す。ちょっと嵩張るから入れるカバンも大きい物になってしまったけど、これならオジサンがメロメロになって襲い掛かってくること間違いなし!
「ふっふっふ。甘いねオジサン。夜はまだまだこれからなんだよ!」
オジサンが襲い掛かってくるのを華麗に返り討ちにする姿を想像し、あたしはキャンディーを咥えてニヤリと笑みを浮かべた。