「ア~ッハッハッハ! そ、それで、それからというものその子供に付き纏われているってかい? そうかそうかアンタがねぇ……プッ! プハハハ!」
「おいこら。笑い事じゃねえんだよマーサ」
俺の目の前で腹を抱えて笑うのは、褐色肌に黒髪、左目に黒眼帯のオリエンタルな雰囲気を漂わせた妙齢の美女マーサ。第9支部医務室の主であり、一応俺とは組織に入った時からの付き合いだ。腐れ縁の……悪友? まあ恋人って感じではないな。
普段はどちらかと言えば気怠い態度で話す奴だが、俺の相談を聞いたらさっきからタガが外れた様に笑いっぱなしだ。それでも医者かコイツっ!?
この前の一件以来、あのクソガキことネルは数日に一回はこの支部にやってくるようになった。多い時には毎日だ。そして、
『オ~ジ~サンっ! ねぇねぇ? こっち見てよこっち! おニューのワンピだよ! 中々に可愛いでしょ? ……あっ!? オジサンったら女の子をじろじろ見ちゃって……このヘ・ン・タ・イ!』
『オジサンも毎日お掃除大変だねぇ。床や壁を毎日ゴシゴシ……あっ!? だからオジサン自身まで手が回らないんだね! さっきから何となくオジサン臭がする気が……あたしが洗ってあげようか?』
『はいっ! オジサンにプレゼントだよ! ……何と! あたしの使い古した靴下なのでした! ふふん! ……オカズにしても良いよ!』
などと、毎回俺に絡んできて無茶苦茶な事を言いやがるのだ。余程最初に説教したのを根に持っているらしいな。……というか俺子供の靴下をオカズにするような変態だと思われてんのか?
「何が目的か知らねえが、こうクソガキに付き纏われちゃ仕事が手につかん。まあ最近は直接邪魔してくることは無くなってきたけどな」
掃除用具を倒したりしたのは最初の一回だけ(まあその一回で既に俺の中ではクソガキ認定だが)。この所はどちらかと言えば、俺への言葉責めや理不尽な態度が多くなってきた気がする。
おのれクソガキめ。子供だから放っておけばすぐ飽きるかと思えばつけあがりやがって。
しかし俺は大人である。クソガキ一人にいちいち構っている訳にはいかん。かと言ってこの調子だと、クソガキが飽きて寄り付かなくなるまでどれだけかかるか。
なのでこうして悪友に相談に来たというのに、肝心のマーサは事の次第を聞いて爆笑する始末。友達甲斐のない奴だ。
「いやあゴメンゴメン! これだけ笑ったのは久しぶりでね……まああれだ。楽しそうで良いじゃない! そのクソガキちゃんも懐いているみたいだし」
「いや何処が!? どう考えても俺に嫌がらせしようとしてるとしか思えん! それかストレス解消用の玩具だな」
ニヤニヤ笑うマーサに俺は慌てて言い返す。人の顔を見るなりヘンタイだのなんだのと……ヘンタイとは対象を見るなり飛びかかって、服に顔を埋めてクンカクンカする奴の事だぞ。実際俺の知り合いに一人居る。奴こそヘンタイだ。
あと断っておくが、加齢臭はするかもしれんが俺はこれでも清潔だ。シャワーも毎日浴びてんだぞ。……時折髭を剃るのをサボったりするが。
「まあワタシが思うに……ふぅ~。ほっときゃ良いんじゃないかい? どうせもうすぐ飽きて寄り付かなくなるって」
煙草を指で弄びながら、煙をくゆらせつつそんな無責任ここに極まれりな言葉を言い放つマーサ。ちなみにここは医務室の診察室である。
このようにマーサは医務室だろうがどこだろうが煙草を離さない程のヘビースモーカーだ。気が付くと煙草を吸っているし、火を着けていなくてもよく咥えている。
診察中まで時々吸っているほどで、医務室は常に煙草の煙が漂っていると評判だ。診察眼や腕は間違いなく一流なのだが、態度がこれなせいであまり人が寄り付かない。先日放り込まれたタコ型怪人の料理人はさぞ煙草臭かっただろう。
「俺も最初はそう思ってたよ。だがこの調子じゃどこまでかかるか分からんから困ってんだ」
「じゃあ……そうだねぇ。ジン支部長に報告するというのはどうだい? そのクソガキちゃんがあまりにも目に余る行為を繰り返すのなら、支部長だって対処の為に動くだろうさ」
それはある意味一番の正論だった。こういう時は悪の組織だろうが報告、連絡、相談だ。だが、
「
そもそもどこのガキかは知らないが、悪の組織で子供が普通に歩き回るのは大問題だ。あの時説教して帰らせた後、すぐさま支部長に報告したとも。
しかし返ってきた答えは、はっきりとした実害がない限りは好きにさせろとの事。何故かは知らんが支部長はあのクソガキに甘い。もしや支部長の身内か何かかと勘ぐったが、それは違うとはっきり明言されてそれ以上の追求は出来なかった。
「……しょうがないねぇ。それじゃあワタシがこういう時に使えるとっておきの対処法を伝授しようじゃないか」
「本当か!? それは助かるぜ!」
おお! こういう時にやはり持つべきものは悪友だ。期待を持ってマーサの次の言葉を待つ。
「こういう時一番の対処法。それは……
「無視って……さっきと言ってる事が同じじゃねえか」
「下手に構うもんだから余計これ幸いと寄ってくるんだよ。そういう時は徹底的に無視するに限る。そうすりゃ自然と向こうから離れていくってものさ」
マーサはトントンと煙草の灰を灰皿に落とし、そのまま俺を指し示す。その隻眼が少しだけ真剣な色を帯びて俺に突き刺さる。
「アンタは前々から人に構いすぎなんだよ。雑用係なんて仕事やってる時点でそうだけどさあ、自分から余計な物までちょいちょい背負い込んで……いつか重さで潰れないようにしな」
「ありがたい忠告どうも。じゃ、そろそろ行くとするわ。次の仕事があるんでね」
軽く礼を言って俺は席を立つ。そう。これもお決まりのマーサからの忠告。だけど何度言われても、この性分は変わらない。……変えたくない。
「まったく。ほどほどにしときなよ」
「悪いが、何にもしていないと落ち着かないんでね。まあクソガキの件はマーサの言う通りやってみるさ。……じゃあな!」
俺は静かに医務室を後にした。
さて。色々あったが早速マーサのアドバイスを胸に、クソガキが来たら今日は徹底的に無視してやろうと仕事に打ち込んでいたのだが。
「…………来ねえな」
そんな時に限ってクソガキが来る様子はない。まあ来ないなら来ないで実に平和だが。今日も今日とて朝から晩までお仕事だ。
またやらかした兵器課の暴走ロボを食い止めたり、戦闘員の訓練の手伝い(戦うんじゃなくて射撃の的や備品の整備)、色々落ち込んだ奴の愚痴を飯を食いながら聞く等、やる事は毎日沢山ある。
しかしほどほどに終わった後で休むのも仕事の内だ。マーサにも言われたしな。俺は心地よい疲れを感じながらも仕事完了の書類をしっかり支部長に提出し、そのまま自室に直帰した……のだが、
「は~いオジサン! お帰りっ! 今日は泊まってくからよろしくね!」
……悪いマーサ。これは流石に無視できねえよ。
◇◆◇◆◇◆
「マーサの言う通りやってみる……か。ワタシの言う事なんて聞く方が珍しいってのにねぇ。あのネルって
ケンが去った後、隻眼の医師はそうポツリと洩らしながら椅子にもたれかかる。
実の所、マーサは件のネルの事をケンより先に知っていた。別に何の事は無い。ネルが各部署を回った時に医務室に寄り、そこで少し話したためだ。もっともネルは煙草の煙と臭いを嫌がってすぐに離れたが。
ケンはまだ気づいていないようだが、ネルは自称ではなく本当に幹部候補生。しかしケンに付き纏っている所を見ると、何かしらの思惑があるのかもしれない。
「ちょっと、片手間に調べてみても良いかもしれないねぇ。ふぅ~」