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閑話 ある奴隷少女の追憶 その七


 トキヒサが目を覚ましたのは、次の日の事だった。


「……知らない……こともない天井だ。……ぐっ!? あいたたたっ!」


 起き上がろうとして痛がるトキヒサ。命に関する傷こそ塞がっているけど、細かい傷はまだ残っているのだから当然だと思う。


「何だかんだ俺もホームシックだったんだなぁ。あんな夢見るくらいだもの」

「あんな夢ってどんな夢?」

「それはちょっと恥ずかしくて言えないな。男にも秘密くらい有るものなのさ。……って誰っ!?」


 以前ジロウが、夢にはそのヒトの抱えて居る何かが現れると言っていた。なので私は少しだけ気になって、姿を見せる。


「おはよう。トキヒサ。待ってた」


 ちなみに同じベッドに入っていたのは、「男の心を掴むには同じベッドに入れば一発よ」とここの女性隊員達が話しているのが聞こえたから。これで少しでも喜んでもらえれば良いのだけど。


「あの……ちょっと、セプトさん? 出来れば可及的速やかに一度離れてベットから降りてくれるととてもありがたいって言うか……頼むから降りてくださいお願いしますこの通り」


 顔が赤いので熱でもあるのかと思って近づいたら、何故かそう言って頭を下げながら表情をころころ変えるトキヒサ。


 主人の言いつけであれば従うのが奴隷。私は速やかにベッドを降りる。


「……何を百面相しているか知らないけど、アナタが想像しているようなことには多分なっていないわよ」


 トキヒサの護衛として傍についていたエプリが、冷静な口調でそう告げる。


 ベッドの中に潜り込んでいた私の方が喜んでもらえるとは思うけど、エプリのようにのも喜んでもらえたかもしれない。





「えっ!? 俺が倒れてからもう二日も経ってるっ!?」

「そっ。……ハッキリ言って重傷だったのよアナタ」


 薬師であるラニーは所用で外に出ていてもうしばらく帰ってこない。なので待っている間、起きたトキヒサはエプリから寝てる間の事を聞いて驚いていた。


「ごめんなさい。そうなったのは、私のせいだから」


 私は申し訳なくて頭を下げる。あの時はまだ主人ではなかったとはいえ、こんな酷い怪我を負わせてしまったのだもの。叱責されても仕方ないだろう。だけど、


「ああ。そういう事か。気にするな……とは言えないけどさ、こんなボロボロだし。でもな」


 トキヒサはそう言って私に手を伸ばす。殴られるのはクラウンで慣れてるけど、あまり強く殴られると仕えるのに差し障る。私はゆっくりと目を閉じ、そう強く殴られないよう願いながら身を固くする。


 しかし来たのは衝撃ではなく、包帯越しだけど温かい手の感触だった。


「こうなったのは自分で選んだ結果だからそこまで気にするなよ。それにちゃんと謝ったろ? ならそれで良いんだ」


 そう言って私を安心させるように頭を撫でるトキヒサ。こうやって頭を撫でられるのはいつぶりだっただろうか?


『良い? セプト。あなたは幸せになってね。……私よりも、誰よりも。良いご主人様に出会って、幸せになってね。……それだけが、私の願いよ』


 脳裏に同じように頭を撫でながらそう言った母の最期の言葉が過ぎる。少なくとも、目の前のこのヒトは確実にクラウンより良い主人だと思う。これなら母の最期の願いも叶えられそうだ。


「うん。ありがと」


 だから私も謝るのではなくお礼を返す。するとまたトキヒサは少し顔を赤くした。やはりまだ熱があるのだろうか?


 そこにエプリの咳払いが入り、トキヒサの手が離れた。……ほんの少しだけ温かい感触がなくなったことに寂しさを覚えつつも、エプリがまた説明を続ける。


 そして私の話題になった時、


「私があの人クラウンの奴隷になったのは十四、五日前。買われてすぐ私は


 そう言って服の襟元を下に引っ張り、私は魔石を露わにする。そしてラニーが私の身体を診て話してくれたこと。これに魔力が溜まり切ったら凶魔化する危険性や、下手に取り外せないこと等を話した。


「そんな。じゃあセプトはずっとこのままか!?」

「……少なくともここでは無理ね。一流の術者と設備が万全な状態でならあるいは……でもそれには相当な金が要るでしょうね」


 トキヒサはただの奴隷の事だというのに酷く取り乱し、どこか憤懣やるせないという態度だった。


「大丈夫。溜まりすぎないように時々魔力を放出すれば良いって言われた。だから、トキヒサがそんな顔する必要ない」

「あぁ。ゴメンな。ちょっと世の中の理不尽さに嫌気がさしていただけなんだ。ほらっ! もう大丈夫」


 主人を気遣うのは奴隷の務め。なので私が下から覗き込むように見上げると、トキヒサも心配をかけまいとしたのか笑ってくれる。


 奴隷が主人を気遣うのではなくて、主人が奴隷を気遣うのではあべこべなんだけどな。





「それにしてもセプト。お前これからどうする? 予定通りクラウンの所に行くのか?」


 一通り話も終わり、トキヒサはふと思いついたように聞いてくる。


「私は奴隷。奴隷は主人の下に居るもの」


 私は自身の首輪を触りながらそうはっきりと宣言する。


 クラウンがまだ私の主人なら戻っただろう。それが奴隷として仕えるということだから。だけど今の主人はトキヒサ。クラウンの所に行くつもりはない。


「でもその主人は相当タチが悪いぜ。この分じゃセプトを散々こき使って最後はポイだ」

「大丈夫。そんなことしない。とても優しいから」


 トキヒサが何故か心配そうにそう言うが、目の前のヒトがそんなことをするとはどうにも思えない。むしろ優しすぎて、奴隷の為にあれこれ気をまわしかねない所があるのでそうじゃないと教えなくては。


 だというのにさっきからトキヒサが何やら悶えている。「……おのれクラウンの野郎っ!」とかぼそりと口から洩れているけどどうしたのだろうか?


「……トキヒサ。そう言えば言っていなかったんだけど、あの時首輪は」


 エプリが横から何か言っているけど聞こえてないみたい。


「そうか。……セプトの主人への気持ちはよぉく分かった。もう止めないよ。いつクラウンの所に行くか知らないけど、元気でな」


 トキヒサは無理やり作ったような強張った笑顔を浮かべながら、それでいてどこか悲しそうに言う。


「何故クラウンの所に行くの?」

「えっ? だから、主人の所に行くんだろ?」

「うん。だからここにいる」


 なんだか話が嚙み合っていない気がする。遂にはトキヒサはまだクラウンが近くに居るんじゃないかと警戒する始末。……もしかして、気づいていないのだろうか?


「セプト。そいつが居る方を指差してくれ」


 私は言われた通りトキヒサに向けて指を指し示す。後ろを振り向くトキヒサだけど、当然そこには何もない。


 そしてエプリの助言と、私の指がさっきから自分を差し続けていることにやっと気が付き、


「もしかして……主人って俺?」

「うん。トキヒサご主人様


 テントにトキヒサの叫び声が響き渡った。どうやら本当に気が付いていなかったらしい。私は最初から主人として接していたというのに。




 その日の夜、私はラニーの個人テントに泊めてもらうことになった。


 本当は奴隷としてトキヒサの近くを離れたくないのだけど、まだ怪我が治りかけていないのでトキヒサの負担になると言われたら仕方がない。


「……はい。もう良いですよセプトちゃん」


 そう言われて、私はそっと服を正す。調べたいことがあるからと、ラニーにまた私に埋め込まれた魔石を診てもらっていた。


「どう、だったの?」

「やはりそう簡単には行きそうにありませんね。ここまで身体と一体化しているとなると摘出は難しい。……やはりエリゼ叔母様に頼むのが最善でしょうね。しかし……むぅ」


 ラニーはそこで何とも言えない表情をした。嬉しいような、恥ずかしいような、それでいてどこかむくれているような、そんな表情を。


 この場所に来て短いけれど、ラニーが腕の良い薬師であることは疑いようがない。そしてそれは腕だけでなく、常に怪我人を思い不安にさせないよう笑顔で安心させる所もそうだ。


 なのにラニーがこんな表情をするのは初めてだった。なので私はほんの少し興味を持った。


「その、叔母様ってヒトが、嫌いなの?」

「へっ!? いや、そんなことないんですよセプトちゃん。ただ……その、なんて言いますか」


 ラニーは珍しく慌てた様子でぶんぶんと腕を振り、そしてどこか昔を思い出すような顔をする。


「叔母様は、私の育ての親のようなものなんです」


 それからラニーはぽつりぽつりと話してくれた。


 自分が小さい頃両親を亡くしたこと。母の姉であるエリゼに引き取られ、薬師としての技術を叩き込まれたこと。その時の縁が元で今の上司に出会い、その下で働く内にこの隊の薬師になったことなどだ。


「叔母様を嫌ってなんていません。むしろ慕っているし、恩も感じています。叔母様は薬師としてもヒトとしても尊敬できるし、実力も確かです。ただ……私にとってはそれと同時になんです」


 叔母様は私と会う度、いつも身体の調子を気遣ってくれる。だからこそ近くに居ると甘えそうになってしまう。そんなことじゃいつまで経っても叔母様に届きそうにない。ラニーはそういったことを言って苦笑していた。だから、


「甘えても、良いんじゃないかな?」


 私はついそんなことを口走っていた。


「大切なヒトは、いつ居なくなるか分からない。傍に、居られなくなるかもしれない。だから、甘えられる時に甘えても、良いと思う」


 もし母が今も生きていたら。ラニーの言葉を聞いてふと考えてしまった。


 今もまだあの奴隷商の下で親子で奴隷だったのかもしれないし、クラウンに揃って買われていたのかもしれない。あるいは別々のヒトに買われていたのかも。


 だとしても、多分今よりもっと多く話をすることが、もっと多く触れ合うことが出来たのだろう。それは必ずしも良いことばかりではないかもしれないけど、そういうかけがえのない何かがあったのだろう。


 だからこそ、今その大切なヒトと話す機会のあるラニーは、その分甘えても良いんじゃないかと、そう思ったんだ。


「……そう……ですかね。じゃあその一瞬一瞬を大事にまた話してみるとしましょうか。ふふっ! ありがとうございますセプトちゃん。少しだけ気分が軽くなりました。……だけど本当なら薬師が患者の不安を取り除くのが仕事ですから。これじゃああべこべですね!」


 ラニーは少しだけ吹っ切れたような顔をして、そう一本取られたように私に笑いかけた。


 そうしてその日の夜は更けていったのだった。





「なので、私もまたトキヒサの傍に行っちゃダメ?」

「ダメです! それは怪我が治ってからね」

「……分かった」


 良い雰囲気のまま許可を取ろうとしたけどダメだった。惜しい。

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