「着きましたよ」
「おっ! おおおおっ!?」
辿り着いた場所を見て、俺はつい驚きと感動の声を上げてしまう。この町の大部分の建物と同じく石造り。しかし大きさは都市長の屋敷に匹敵し、今も様々な人達が出入りしている。
顔ぶれは十人十色。あのやけに耳の長くて金髪の美形はエルフかな? やたら髭もじゃでずんぐりむっくりしたおじさんはドワーフか?
ヒト種が居るのは当然だが、それ以外の種族もチラホラと見える。それもそうだろう。ここは俺が異世界に来たら行ってみたいと思っていた場所の一つ。
異世界物の話においてその登場頻度は王城や冒険者ギルドに迫り、場合によっては上回る場所。
「……あまり来る事はなかったけど、相変わらずヒトが多いわね」
「私は初めて。ヒト種以外も、たくさん」
エプリは少し目を細めて顔をしかめている。人混みとか苦手そうだもんな。セプトは初めてらしく目を輝かせているな。俺と同じだ。
「ふふんっ! そうでしょう! ここはヒトの出入りが途絶える事なく、物と金の流れもまた然り。年齢性別種族を問わず、金を稼ぐという共通するただ一つの望みを持つ者達の集う場所」
ジューネはいつにもなく芝居がかった態度で両手を広げながら語る。それもそうだろう。ここは商人にとっての言わばホームグラウンド。
「正式名称は国家間総合商人互助組合。またの名を……商人ギルドノービス支部へようこそ!」
遂に来たぜ商人ギルド。金を稼ぎたい俺からすればある意味冒険者ギルドよりも重要だからな。ここで金稼ぎの手掛かりでも見つけたい所だ。……気を付けないと逆に諸々ぶんどられるかもしれないけどな。
中は幾つかの受付に分かれていた。それぞれに人の列が出来ていて、どうやら目的に応じて決まった受付に行くみたいだ。お役所かな?
「私達はこの受付です。少し並んで待ちましょう」
ジューネが迷わず端っこの受付に並び俺達も従う。列は少しなのですぐ済むだろう。
「なぁジューネ。そのネッツさんってどんな人なんだ? 職員だというのは聞いたけど」
待つ間に次の商談相手について詳しく聞いてみる。ここまででは名前と簡単なプロフィールしか聞けなかったからな。
「ネッツさんは……そうですね。この支部において物の仕入れを担当している方の一人です。今回は商品の補充について交渉します。この所ダンジョンに潜ったり調査隊の方々に売ったりと、品揃えが自慢の我が商品も在庫が心許なくなってきましたからね」
確かにダンジョンでも出た後も大半が売るばかりで、補充なしなら品数が減っても当然か。……寧ろ個人でそれだけを持ち歩けるのが凄いというか。
「……でも補給なら都市長にでも頼めば良いんじゃない?」
「この町にいる間ぐらいならアリですね。しかし
エプリの疑問にジューネも冷静に返す。そうだよな。俺も手元にある呪い付きの指輪を解呪しないといけないし。そう言えばその解呪できる人の居場所は分かったんだろうか? アシュさんは時間が経てば分かるといっていたけど。
「あとはまあ付き合いという事もありますね。ネッツさんには仕入れで何度か世話になっていますし、品質は保証します。……これはエプリさん風に言えば当然のことかもしれませんが」
最後のは以前エプリに高価な転移珠をタダにされた時の皮肉だろう。と言っても商人からすれば軽いジャブ程度。エプリも大して気にする事なく、そのまま列は進んでいく。
そしていよいよ俺達の番になった。
「すみません。ネッツさんと約束のあるジューネという者ですが」
「ジューネ様ですね。確認しますので少々お待ちを」」
早速受付の女性に話をすると、女性は何やら手元の紙を捲って確認する。
「……確認出来ました。ようこそジューネ様。ネッツさんなら奥で作業をしております。お呼びしますのでもうしばらくお待ちを」
受付嬢はそう言うと、受付に文字の書かれた板を置いてその場を離れる。エプリに聞いてみると板には『ただいま席を外しております。御用の方はしばらくお待ちください』と書いてあるらしい。本当に役所みたいだな。
そのまま俺達の後ろに誰も並ばないまま数分が経つ。どうやらこの受付はあまり人気がないみたいだ。
「この受付はあまり人が来ないな。他の受付は結構賑わっているのに」
「担当の誰かを予約指名する受付ですからね。何度か取引をしている常連でないと使いません」
常連御用達の受付か。ジューネも何度も世話になっているって言ってたし、そういう事ならこっちに並ぶのが正しいのか。
「……それにしても、ここも随分と騒がしいわね。以前見た冒険者ギルドにも劣らない」
エプリの言葉通り確かに周囲は中々にやかましい。ジューネとヌッタ子爵の商談を見ても分かるように、
静かなものもあるが、大抵は声を張り上げ自身の品の良さを宣伝し、相手の不安や心配をかき消して買っても良いという気にさせるのが基本戦術。見れば客と受付だけでなく、並んでいる者同士でも話に熱が入っているようだ。
「どこに情報があるか分かりませんからね。並んで待っている間も情報収集は基本です。ここの受付には私達以外は並ばなかったので私はしませんでしたが」
ジューネは平然とした態度で言う。これじゃ冒険者も商人も変わらないな。隣の列なんか特に熱が入って……。
「っ!? ジューネ後ろっ!?」
「えっ!?」
突然隣の列の若い男性が一人、ジューネに向けて倒れこんできた。その方向を見ると顔を真っ赤にした男が両手を前に出している。どうやら怒りに任せて相手を突き飛ばしたみたいだ……なんて冷静に考えている場合じゃない!
ジューネは完全に後ろを向いていて、俺の言葉に振り向くも男の人は目前に迫っていた。このままではぶつかってしまう。俺は慌てて駆け寄ろうとして……すぐにその心配はないと気が付いた。
「“
素早く状況を察知したエプリが、風を吹き上げて倒れこんでくる人を浮かせたのだ。その人は目を白黒させている。
よく見るとセプトの足元の影も微妙に蠢いていた。何らかの備えをしてくれていたらしい。……俺本格的に要らなくない?
「あ、ありがとうございます」
倒れかけた人がエプリに礼を言う。エプリは気にしないでと一言返して押し黙り、ジューネもほっと一息つくと突き飛ばした相手を見据える。
「危ないじゃないですか! こんな所で」
「ふんっ! そいつが悪いんだ。俺はただここらで簡単に儲けられそうな場所か仕事はねえか? と聞いただけなのによ。貴方のようなヒトが簡単に儲けるのは難しいなんてってぬかしやがるから」
突き飛ばした男は赤い顔をして喚く。ふとアルコール臭がした。どうやら怒りでというよりも酔っぱらって顔が赤いみたいだ。
「そんなの当たり前ですっ! ここは商談の為の場所。昼間から酔っぱらっているようなヒトを誰が相手にしますか」
もっともだ。交渉相手と食事して酒を飲むのはあるかもしれないが、それにしたってこんなになるまで飲む時点で交渉も何もあったもんじゃない。
今のジューネはどちらかと言うと、ぶつかりそうになった事より相手の商人としてのだらしなさに憤慨している気がする。
いつの間にかこの男を周りが遠巻きにし、何だコイツはと言う感じの冷たい視線を向けている。しかし男は気付く様子もなく、そのままジューネを睨みつける。
「どうしても儲けたいと言うなら、まず酔いを醒ましてからここに来ればいいでしょう。その程度の労力を惜しんでいる時点で、簡単に儲けるなんて無理な話だと分かりなさいっ!!」
「……っ!? このガキがっ!」
相手は今度こそ怒りで顔を真っ赤にしてジューネに掴みかかろうとする。これはマズいと前に出ようとしたその時、
「何の騒ぎですかねぇ」
そんなのほほんとした声が割って入ってきた。決して大きな声ではないのに、その声を聞いただけで周囲のざわめきが少し小さくなる。何事かとその声の方向に目をやれば、
「……キツネ?」
そこに現れたのは黄色と茶色の毛並みの一匹のキツネだった。しかし明らかにただのキツネではない。
普通のキツネは着流しのような服を着たりしないし、頭に帽子を乗っけたり小さな丸眼鏡をかけたりもしない。ましてや二足歩行もしないだろう。これはもしや獣人というやつだろうか?
キツネの獣人が来ると集まっていた人達がすぐに道を空ける。そうしてそのままホタホタという擬音が似合いそうな足取りでこちらにやってきた。
急に現れたこの人を見て、掴みかかろうとしていた男も何事かと動きを止めている。
「これはこれは。お久しぶりですねぇジューネさん。元気にしてましたか?」
「お久しぶりですネッツさん!」
ネッツ!? この人がジューネの商談相手なのか!? いくら一人目が何処かタヌキみたいな雰囲気のヌッタ子爵だったからって、二人目でもろキツネが来る事はないだろうに!
「少~しだけ待ってくださいねジューネさん。このヒトと
ジューネに対して穏やかに微笑みながら、ネッツさんはそう言って男の前に立つ。
「な、何だてめえは? 邪魔すんじゃねぇよこの獣人風情がっ!」
「まあまあ落ち着いて。喧嘩はいけませんって」
一瞬たじろいだが、ジューネに掴みかかろうとした男はその怒りの矛先をネッツさんに向ける。その瞬間、周囲からの視線が鋭さを増して寧ろ敵意に近くなったのにも気づかずに。
しかしネッツさんはまるで柳に風の如く、男の怒気を意にも介さず落ち着くようにと宥め続ける。
「ええと貴方は……昨日ギルドに登録したダストンさんでしたかね。以前はDランク冒険者で、交易都市群第六都市ファビウスを拠点に活動。モンスターとの戦いで負傷し冒険者を引退となるも、その後流れ流れてこのノービスに辿り着く。違いますか?」
「お前、何でそんな事まで知って……」
「何でって簡単な素行調査くらい登録した時点でしますよ。元冒険者だけあって血の気が多いですねぇ」
簡単な? たった一日で相当深い所まで掘り下げているように思うんだけど。つまりお前の事は把握しているぞっていう言外の説得。しかし男……ダストンはそれにまるで気づく様子もない。
「血気盛んなのは良いんですけどね。口でならともかく腕っぷしで喧嘩っていうのはよろしくないですって。大分酒も回っているようですし悪い事は言いません。ここは一つちょいと落ち着いて、酔いを醒ましてから出直しましょうよ。お水くらいご用意しますし、一眠りする寝台くらい別室にありますから」
終始やんわりとした態度を崩さないネッツさん。だが古今東西酔っ払いが言葉だけで止まるのなら苦労はないんだよな。
「てめえふざけやがって。獣人がヒト種に楯突くんじゃねぇっ!」
ダストンは目を血走らせながら、ネッツさんの顔面目掛けて拳を振るう。元冒険者と言うだけあってその腕は太く、そんなもので殴られたら大怪我をしかねない。だが、
「仕方ありませんねぇ」
そうネッツさんが呟いたかと思うと、
「なっ!?」
ネッツさんはその状態で微かに首を傾げてダストンの拳を避けると、さらに密着するほど肉薄する。
ここまで近づかれるとは予想していなかったのか唖然とするダストン。しかしそれはこの状況では大きすぎる隙だった。
そのままネッツさんは伸ばしきったダストンの腕を肩に掛けるように取り、相手の足を自身の足で払いながら身体ごと巻き込んで半回転。
バランスを崩したダストンの身体は一瞬だが完全に宙に浮き、あとは訳も分からぬまま床に叩きつけられるばかり。
つまり何が言いたいかと言うと、
「……ふぅ。まだまだ私も未熟ですねぇ。自分で言ったばかりだってのに、口だけで止められないからって腕に頼ってしまうとは」
そう事も無げに言いながら、ネッツさんは軽く着流しを整えた。