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都市長ドレファス・ライネルの頼み事

「げぇっとは何だよげぇっとは。よぉヒース。しばらくぶりだが元気そうじゃないか!」

「は、はい。お、お久しぶりです。アシュ先生」


 アシュさんが戻るなりヒースの様子がおかしい。さっきの勢いが嘘のように鳴りを潜め、借りてきた猫みたいになっている。あっ! ラニーさんがこっそり笑ってるぞ。


「あの、先生はどうしてこちらに?」

「そこのジューネが今の雇い主でな。丁度調査隊が潜るダンジョンに先乗りしていたんだ。それで色々あって丁度良いから同行することになったんだ」

「へ、へぇ~。そうだったんですか」


 さっきからヒースが冷や汗をかいている。どうやらアシュさんが苦手らしい。以前何かあったのかね。


「アシュ先生は以前副隊長の家庭教師を務めていたんですよ。その縁で私達も様々な事を教わりました」


 ラニーさんがこっそり俺達に聞こえるように話す。つまり頭の上がらない相手って訳だ。それからもアシュさんが話しかけ、ヒースが固まりながら返すという微妙な会話が続く。


「そうだ。折角だから腕が鈍ってないか少し見てやるよ」

「い、いえ。先生もお忙しいでしょうから。それはまたの機会に……」

「良いではないか。見てもらいなさい」


 そんな声がまた部屋の外から聞こえてくる。今度は誰だと思い視線をそちらに動かすと、そこには一人の男性が立っていた。


 四十代半ばくらいの落ち着いた雰囲気を醸し出す紳士。口髭も綺麗に切り揃えられていて、服装も地味な色合いだが俺が見ても良い生地を使っていると分かる。


「ドレファス都市長!」

「おっと。どうも都市長殿」

「父上っ!」


 どうやらこの人が都市長さんらしい。ラニーさんが素早く椅子から立ち上がって一礼し、俺達もそれに倣う。……っていうか今ヒース父上って言わなかったか?


「待たせてすまなかった。急に出かける用事が出来てしまってな。お前達が来る前に戻る予定だったのだが……間に合わなかったようだ」

「いえいえ。お忙しいのは存じています。ただ間が悪かっただけですから。お気になさらずに」


 都市長さんが謝罪すると、ラニーさんが慌ててそんな事はないと首を振る。


「この詫びは後ほどさせてもらおう。それよりもだ。……ヒース。最近鍛錬にも勉学にも身が入っていないそうだな? 昨日もいちゃもんをつけて逃げ出したと教官達がぼやいていたぞ」

「いえ父上。いちゃもんも何も、もう僕はあの程度の奴らに教わる事は何もないのです。ならばその時間を自由に使った方が得策というものではありませんか」

「またお前はそんな。教官達はこのノービスにおいて指折りの者ばかりなのだぞ。だがそれならば、その成果をアシュ殿に見てもらっても問題はないのだろうな?」

「そ、それは……」


 ヒースは言葉を詰まらせる。というかやはりこの二人は親子だったらしい。しかしあんまり似てないな。茶髪と青色の瞳くらいしか共通点がない気がする。母親似かな?


「話は決まったな。ジューネ。悪いがまた席を外すぞ。久々にコイツをいっちょ揉んでやる」

「だから用心棒が勝手に離れないでくださいって! ……こういう縁は大事にするものです。さっさと行ってきなさい」

「おうよ! さあて久々にビシビシ行くかヒース。まずは肩慣らしに軽く実戦稽古からだ。俺に一撃当てられるまで続けるからな」

「や、や~め~て~」


 そうしてアシュさんに引きずられていくヒース。俺はよく知らない相手だというのについ合掌してしまう。さらばヒース。お前の事は忘れるまで忘れない。地味にセプトがボジョと一緒に小さく手を振っているのがまた哀愁を誘う。


「……さて、そろそろ本題に入るとしよう。君達がゴッチの言っていた協力者かね?」


 急に話を振られて内心ドキリとするが、これはまだ自己紹介に過ぎない。落ち着け俺っ!


「は、はい。トキヒサ・サクライと申します」

「ジューネ……と申します。交易都市群を周って商いをしております。以後、お見知りおきを」


 一瞬ジューネが躊躇した気がするが気のせいだろうか? その後各自で自己紹介を済ませていく。


「ふむふむ。成程。ラニー。簡単な報告はゴッチから聞いたが、今回はこちらの協力者も交えてより詳細な報告があるということだったな?」

「はい。順を追ってご報告します。トキヒサさんやジューネさんも、報告を補完する形で発言をお願いしますね」


 おう……って口達者なジューネはともかく俺もっ!? よりにもよってこんな偉い人の前で!?


 心臓がチタン合金で出来てるみたいな“相棒”じゃないんだから、俺みたいな小市民には荷が重いっての! まあ出来る限り話すけどさ。





「ダンジョンコアとの共闘。そしてヒトの人為的な凶魔化か。ゴッチから連絡を受けてはいたが、厄介な事になっているようだな」


 一通り話を聞き終わると、ドレファス都市長は難しい顔をする。それを見計らったかのようにお茶のおかわりを用意するメイドさん達。さりげなく自然な動きだ。只者じゃない。


 都市長はラニーさんの報告を静かに聞き、しかし要所要所で的確に質問をしていった。ラニーさんだけでは分からない所に、俺やジューネが実際に見たこと等を踏まえて補完していく。


 エプリも俺と一緒に居たから話せると思うが、都市長相手だというのに相変わらずフードを目深に被ったまま。下手するとフードを取れという流れになりかねないので、なるべく静かにしてもらっている。


「……結論から言おう。ダンジョン調査は継続。マコアとの協力関係も同様。つまりは現状維持だ」


 都市長の発言に俺は驚く。こんな状態のダンジョン調査からは手を引くと言う事もあり得たからだ。


「よろしいのですか?」

「なに。元々ダンジョン調査は危険だが、それを少しでも軽減する為調査隊は日々鍛錬を積んでいる。何があっても生きて情報を持ち帰る為の鍛錬をな。それは想定外の事が起ころうとも変わらない。それにだ」


 そこで一呼吸置くと、ドレファス都市長はニヤリと笑みを浮かべた。ほんの一瞬紳士的な落ち着いた雰囲気が消え、どこか獣のような笑みを。



 ラニーさんの言った通り、この都市長はかなりのやり手らしい。普通の人じゃこうは言えない。それに一瞬だけ見せたあの笑み。ただの紳士じゃないってことか。


「まあこうは言ったが、そのマコアが今の所裏切る素振りが無いから言えるのだがな。マコアの話が正しければ、このダンジョンを長期的に放っておく事は危険だ。多少無理してでも調査を進めておきたい。……引き際は調査隊に一任する。戻り次第そう伝えろ」

「はい。了解しました」


 ラニーさんは一礼してその命を受ける。


「よろしい。次はヒトの人為的な凶魔化についてだが……これに関しては少々長い話になりそうだ。お茶のおかわりは如何かな?」


 都市長はそう言ってティ―カップを軽く持ち上げてみせた。程よい茶飲み話になれば良いんだけどな。





「実を言うと、ヒトの人為的な凶魔化は今に始まったことではない。少なくとも数十年前から研究されていた事は確かだ。無論大っぴらにではないし、表向きはどの国でも完全に禁止されているがね」

「……えっ!?」


 ドレファス都市長の言葉は、俺の心に衝撃を与えるには十分だった。あんなのが何十年も前からあったってのか? そう思うのと同時に、やっぱりかという気持ちも少しだけあった。


 以前牢獄で巨人種の男がクラウンに凶魔にされた時、ディラン看守が何か知っているような口ぶりだったのを思い出す。つまりアレが最初ではなかったという事だ。


「研究の目的は様々だ。兵士、あるいは兵器と言い換えても良いがその量産。ヒトから一段階上の生物に昇華するため。……幾分かマシなお題目として、生まれついて身体の悪い者を健康にする為というものもあったな。ただどう綺麗に言い換えようが、という事に変わりはないのだがね」


 そう話す都市長の表情はどこか苦々しいものだった。まるで実際に自分が体験した事のように。


「表向き禁止されても僅かに残る資料から手を出す者は後を絶たなかった。それでもここ数年は少なくなってきたのだが、今回また新たに発生したという訳だ。それも立て続けに」


 そこで都市長はセプトをじっと見つめる。セプトはその視線に気づいてもどこ吹く風だが。そして都市長は軽く目を細めて、安心させるようにニコリと笑いかける。


「ゴッチから報告を受け、すでに検査の用意をしてある。先に医療施設に搬送されているバルガスも現在治療中だ。……安心しろ。凶魔化などさせるものか」


 そう力強く断言するドレファス都市長。……良かった。凶魔化する可能性があるってことは、ある意味で不発弾を抱えているようなものだ。当然俺はセプトを見捨てるつもりは無いが、都市長のような上に立つ者としては見捨てるという選択肢も多いにあり得たからな。


「良かったな。セプト。これなら何とかなりそうだぞ。ありがとうございますドレファス都市長」

「うん。ありがとう。都市長さん」


 俺は深々と頭を下げる。助けてもらう相手には当然の事だ。セプトも俺を真似て一緒に頭を下げる。


「……ただ都市長様。当然タダという訳ではないのでしょう?」

「そうだな。出来る限り手を尽くすが、無償という訳にはいかないな」


 ジューネが確認の為にそう問いかけると、都市長はそう言って頷く。しかし治療費を請求されても今は手持ちがないぞ。ちょっぴり落ち込む俺にドレファス都市長がゆっくりと声をかける。


「言っておくが、私個人としては無償でも良いと思っている。しかし都市長が個人に肩入れしすぎるのも外聞がよろしくない。そこでだ……代わりに一つ頼み事を聞いてはくれないかね?」


 それは口調こそ優しいが非常に断りづらいものだった。仕方ない。何でも言ってみてくださいよっ!





「せやあああっ!!」


 ヒースが訓練用の木剣を振るう。見た目は華奢だがその剣筋は鋭く、並の相手なら受ける事も難しい一撃。だがアシュさんは並の相手ではなく、軽く身を引いて紙一重で回避する。


 ここはドレファス都市長の屋敷の中庭。中庭と言っても簡単な模擬戦や走り込みぐらい普通に出来る広さがある。そこでアシュさんはヒースをしごいていた。


「まだまだっ!」


 一度躱されてもヒースの攻めは止まらず、身体ごとぶつかっていくように斬りこんでいく。しかし、アシュさんは全ての斬撃を紙一重で回避していく。


 ……そう。でだ。つまり完全に間合いを見切られている。


 そして攻め続けたヒースに疲労の色が見え始めた。アシュさんが必要最低限の動きだけなのに対し、ヒースは休まずに攻め続けていたので体力の消耗も激しい。そこを見逃すアシュさんではない。


「……よっと!」

「がはっ!?」


 カウンター気味に繰り出された木剣が腹に決まり、そのままヒースは地面に崩れ落ち……なかった。閉じそうになる瞼を無理やり見開き、震える足を踏ん張り力を振り絞って横薙ぎに木剣を振るう。


 これにはアシュさんも反応が一瞬遅れ、バックステップで回避したのだが服の一部に木剣が掠る。


「……今の一撃はなかなか良かったぞ。一応合格だ」


 服の掠った部分をチラリと見て、アシュさんはにっかりと笑いながらそう言った。それを聞いたヒースは今度こそ崩れ落ちる。本当にギリギリだったのだろう。仰向けに転がって息を荒げたまま動かない。


「しかし身体が鈍っているのは間違いないぞヒース。最近鍛錬をさぼってたんじゃないか?」

「そ……そんなこと……ありません」

「本当か? 何となく嘘の気配がするぞ」


 ヒースは息も絶え絶えに返すが、アシュさんは先ほどとは違うちょっと悪い笑みを浮かべる。それを見たヒースはうっと言葉に詰まり、小さな声で「……少し、さぼっていました」と呟く。


「まったく。しょうがない奴だ」


 アシュさんは苦笑しながらヒースに近寄っていくと、額を軽く指でピンっと弾く。ヒースは一瞬痛そうにしたものの、疲労困憊という感じでそのまま動かない。


「しばらく休憩だ…………で? そろそろこっちに来ても良いんじゃないか?」


 アシュさんは途中からヒースにではなくの方に向けて話しかける。やっぱりバレてたか。俺達……俺とエプリ、セプト、ジューネ、ラニーさんは、ゆっくりとアシュさん達の前に進み出た。


「そんなこそこそ見なくても堂々と見てろよ。咎めたりはしないぞ」

「その、出るタイミングが掴めなくて。あの激しい試合に割って入るなんて出来ませんって」

「……戦ったら厄介そうね」

「凄かった。どっちも」


 エプリもセプトも言葉こそ違うが称賛の声を上げている。正直言って今の試合はかなりレベルの高い戦いだった。アシュさんが強いのは分かっていたが、予想外だったのはヒースの方だ。


 第一印象が態度の悪いナンパ男というものだったので予想していなかったが、少なくとも俺じゃあそこまでアシュさんと戦えるとは思えない。調査隊の副隊長は伊達じゃないってことか。


「ヒース副隊長。大丈夫ですか?」


 ラニーさんは倒れているヒースの所に駆け寄っていく。あれだけの一撃を食らったんだもんな。怪我していないか心配になったのだろう。


「ラ、ラニーっ!? ……情けない所を見せたかな」

「そんなことありません。今の試合は見事でしたよ」


 動けないヒースにラニーは労わるよう優しく話しかける。それを聞いてヒースもまんざらではなさそうに口角を吊り上げた。結構素直でおだてに弱そうだな。


「それで? もしかしてもう別の場所に出発で呼びに来たのか?」

「いえ。それもあるのですが、それだけではないんですよアシュ」


 ジューネはそう言うと、背伸びしてアシュさんの耳元にぼそぼそと呟く。それを聞いていく内にアシュさんの顔が困ったようになっていく。……俺だってそうだよ。内心どうしたもんか頭を抱えてる。何故なら都市長さんに頼まれた内容は、


『愚息、ヒース・ライネルが最近どうもたるんできている。なので一つ喝を入れてやってくれないか』


 なんて、もろに家庭内の問題を押し付けられてしまったのだから。こういう事は家庭内で解決してくださいっての。

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