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転移ではなく神速

 俺は荒い息を吐くエプリに駆け寄る。


 考えてみれば、あの状況なら即座に反応してもおかしくなかったのにエプリの動きはなかった。こういう事かっ!


「クフフ。今までは気力で無理やり持ち堪えていたようですが、ここまで来てはどうしようもないでしょうねぇ。それこそこの解毒剤を飲まないとねぇ」


 クラウンはそう言うと、さっき地面に置いた薬瓶の一つを掴み上げた。あれがこの毒の解毒剤かっ!


「わざわざ教えてくれてどうも。素直に渡してくれ……ないよな」

「渡す理由があるとでも?」


 クラウンは持った薬瓶をチャプチャプと揺らしながらクフフと嗤う。なら俺一人で何とか奪い取るしか。


「……っ!?」


 その時、急に頭にズキンと痛みが走った。視界がぐらりと揺れたような感覚と同時に軽く目眩がし、反射的に頭を押さえる。これはっ!?


「クフフ。ようやく気付いたようですねぇ。先ほど私のナイフが腕を切り裂き、その毒が貴方を蝕み始めている事を」


 腕を見ると確かに浅いが切り傷が出来ている。ここから毒が入ったみたいだ。


「そぉらっ!」


 思考が逸れていた一瞬の隙を突いて、クラウンがナイフをこちらに放ってきた。避けようとするが身体が言うことを聞かず、おまけに後ろにはエプリが。弾ききれずにまた腕を掠める。


「そぉらそぉらどうしましたぁ? もっと躱しても良いのですよぉ? 動けば動くほど毒が回りますけどねえぇっ!」


 クラウンは解毒剤をローブの中に仕舞うと、また次から次へとナイフを投げつけてくる。どれだけストックが有るんだあのナイフっ!? 


 貯金箱を盾代わりにし、エプリを引っ張って何とか近くの岩陰に身を隠す。……あんにゃろう。わざとナイフを俺が躱せるギリギリの速さにしていたぶっているな。


「……はぁ。……はぁ」


 エプリはさっきから瞳を閉じて苦しそうにしている。俺とエプリが受けた毒は同じやつならさっきの解毒剤を手に入れれば二人とも治るってことだが……この状態で奴から奪い取るって難しすぎないか?


「ボジョを離したのは失敗だったかな」

「……はぁ。……そう……かもね。でも……泣き言を言っている場合ではないわね」


 エプリはそう言うと体を起こして立ち上がろうとする。しかしその顔色はもはや真っ青を通り越して土気色で今にも倒れそうな状態だ。


「やめろって! これ以上動いたらホントに死んじゃうだろっ!」

「……どのみち、このままでは……長くは保たないわ。それに……体調が悪いのは奴も同じようだしね」


 その言葉にそっと岩陰から相手を覗き見ると……成程。クラウンも少し息を切らしている。なんだかんだ向こうも貯金箱を二度も食らっているからな。消耗してるわけか。


「なら俺が行く。エプリはそこでじっとしてろ」

「……ダメよ。……私も一緒に」

「そんな状態で何言ってんだっ! まだ俺の方がまともに動けるから俺が行く」


 俺の方が明らかに症状が軽い。エプリは今にも倒れそうだが、俺は追加で毒を食らったにも関わらず身体が怠くて頭がグラグラする程度だ。加護が毒にも効いているのかもしれない。


「……悔しいけど……その通りね。……お願いするわ。だけど……危ないと思ったら、無理やりにでも掩護に入るから」

「そうならないように頑張るよ。……って、ちょっと待てっ!?」


 飛び出すタイミングを計ろうとクラウンの様子を伺っていると、何故か奴はローブからさっきの薬瓶を取り出した。そのまま軽く揺らしながら指で摘まむと、こちらに向かいニヤリと嗤った気がした。


 ……マズイっ!? 俺は仕方なく岩陰から飛び出して走り出す。


「クフッ。出てきましたねぇ。……だが、


 奴はこちらを視認すると、そのまま




 クラウンの手から離れて落下していく薬瓶。このままでは地面に落ちて割れてしまう。


 俺はまだ何とかなるかもしれないが、解毒剤が無ければエプリが保たない。あれが何としても必要だ。たとえ罠だと分かっていても。


「うおおおおっ!」


 俺は重い身体を無理やり動かして一心不乱に猛ダッシュする。気分は時々テレビでやっている落ちてくるボールの所まで走るアレだ。


 集中している為か視界がやけにスローモーションに見える。落ちていく薬瓶の軌道まではっきりと分かるほどだ。……いけるっ! ギリギリ間に合う距離だ。もう少しでとど、


「届くと思いましたか? 一瞬でも?」


 その時、俺の横っ面に衝撃が走った。手が届く直前でクラウンに蹴りを食らったと気付いた時には、俺は地面に転がっていた。その視線の先には落ちていく薬瓶とそれをニヤニヤ見つめるクラウンの姿が。


 コイツっ! これが目的かっ!! ハッキリ言って、俺達を何とかするだけならわざわざ戦わなくても良いのだ。ただそのまま転移でどこかへ逃げるだけで良い。そうすれば解毒剤のない俺達はこのまま毒で倒れる可能性が高い。


 なのにそうしなかった。敢えて解毒剤を見せつけ俺達に希望を持たせる。そしてその希望を目の前で砕く事こそが奴の目的だったのだ。


 そして薬瓶は俺の目の前で地面に落下し…………


「……!?」


 俺は転がりながら視線を移動させる。すると、エプリが岩陰からこちらに手を向けているのが見えた。しかしそのまま倒れてしまい、同時に薬瓶もポトリと地面に落ちる。距離が近かったので割れてはいないようだ。


「風で衝撃を和らげましたか。無駄なあがきを。……まあ良いでしょう。もう一度目の前で落としてあげましょう。その顔が絶望に歪む姿をじっくりと鑑賞させてもらいますよぅ」


 クラウンはそう言って落ちた薬瓶を拾い上げる。させるかっ! 俺は重い身体に鞭打ってクラウンに飛びかかる。


「解毒剤を渡せっ!」

「このっ! まだこんな力が!? ……この死にぞこないがあぁ!!」


 毒で弱っている俺だが、疲れているのは向こうも同じ。もつれ合いながら地面を転がる。……だが、


「ぐっ!?」


 俺の右肩に鋭い痛みが走ったと思うと急に身体がより怠くなった。その隙を突かれてクラウンに距離を取られてしまう。……また毒か!? あの野郎そればっかじゃないか!


「貴方はそこで見物すると良いですよぉ。目の前で希望が消えて無くなる瞬間をねぇ。クフッ。クハハハハっ!」


 そう高笑いしながら、クラウンは薬瓶をまるで見せびらかすように高々と摘まみ上げる。何とか止めようとするのだが、さっきよりも身体が思うように動かない。そして、


「……では、絶望を味わいなさい」


 クラウンは嘲笑うようにそう言って再び手を離した。落ちていく薬瓶。しかし今度は俺も距離が間に合わない。もうダメなのか。何か方法は無いのか? 考えろ俺。


 俺やエプリは満身創痍で動けないし、落下を防ぐ手立てもない。銭投げでは薬瓶ごと壊しかねない。何かクッションになりそうな物を『万物換金』で出す? ダメだ。距離があって届かない。


 考えている間にも薬瓶の落下は止まらない。ちくしょう。今さっき言ったばかりじゃないか。俺は殺さないし殺されないって。それがこんな所で終わるのか? それも俺だけじゃなくエプリもこのままじゃ。


「動け……動けよぉぉっ!」

「クフフ。クハハハハハハハハっ!」


 身体はまるで俺の身体じゃないみたいに動かず、薬瓶の落下も止まることはない。それを見たクラウンは一人高笑いをする。


 そして無情にも薬瓶は地面に叩きつけられる……筈だった。姿


「……えっ!?」


 俺は驚きを隠せない。風属性かとエプリの方を見るが、エプリは倒れたままで魔法を使った素振りもない。ならクラウンの奴か? この野郎また俺達をいたぶる気か? そう思って今度はクラウンの方を睨みつけてやるのだが、


「ハハハハハ……なっ!?」


 クラウンも何故か高笑いを止めて驚いている。コイツの仕業でもないらしい。じゃあ誰だ?



「ふぅ~。何とか間に合ったみたいだな。久々に気合を入れて走ったぞ」



 


 いつも着ている着物のような空色の服をたなびかせ、片手には落ちて割れる筈だった薬瓶。飄々とした態度で汗を拭うアシュさんの様子は、月明かりに照らされて実に様になっていた。


 しかし今何が起きたんだ? 俺は薬瓶から一切目を離さなかった。なのに一瞬で薬瓶が消えて、いつの間にかアシュさんの手に収まっていた。……まるでクラウンの奴みたいに転移でも使ったように。


「……誰ですか貴方はぁ? これからが良い所なのだから邪魔をしないでいただきたい」


 クラウンはそう言葉を投げかけた。突然の乱入者に警戒しているのだろう。両手に油断なくナイフを構えている。そうだ! 今は何が起きたかを考えるよりも大事なことがある。


「アシュさん! 早くその解毒剤をエプリにっ! 毒にやられているんです!」

「それはマズいな。分かった。すぐに」

「させると思いますかぁ?」


 俺の言葉に頷いたアシュさんに向けて、クラウンがナイフを左右から投げつける。僅かな時間差で対象に襲い掛かるそのナイフは、最初に俺を襲ったやつと同じだ。あの時一本目は貯金箱で防げていた。しかし二本目に気づかず腕を掠めていたのだ。


「アシュさんっ! 危な」


 危ないと言い終わる前にそのナイフはアシュさんの元に到達し……そして


「……!?」


 確かにナイフはアシュさんを貫いた。しかし血が出る様子もなく、そのまま姿がすうっと消えてしまう。今度は何処へとまた視線を動かすと、


「ほら。これを飲むんだ」


 居たっ! アシュさんはエプリの傍にしゃがみこみ、そのまま身体を抱き起こして口元に解毒剤をあてがっていた。エプリは虚ろな表情ながらも何とかその液体を口に含むと、少しだけ顔色が良くなったように見えた。毒と同じく解毒剤もかなり即効性が高いようだ。


「……ありがとう。助かったわ。……余った分はトキヒサに。アイツも毒を受けているから。私はその間クラウンの足止めを」

「嬢ちゃんはこのまま休んでな。毒は抜けても体力はまだ戻ってないだろ?」


 再び起き上がろうとするエプリを押し止めながらアシュさんが言う。エプリは一瞬悔しそうな顔をすると、頼むわと一言呟いてそのまま岩陰に留まる。そのままアシュさんがこちらの方に歩いて来ようとすると、


「……ほぅ。貴方も空属性持ちとは思いませんでしたよ。しかし大した魔力は感じませんねぇ。先ほどはナイフが当たる瞬間に何とか間に合ったようですが、その調子ではあと何度使えますかねぇ?」


 クラウンがニヤニヤと嗤いながら俺とアシュさんの間に割って入った。同じ空属性使いでも自分の方が練度は上。消耗してはいるが未熟な相手なら十分勝てる。そんなところか。……確かに一瞬で離れた場所に移動したら、自身も空属性使いなら最初に転移が頭に浮かぶ。


 だけど俺はさっきと今、急に消えたり現れたりしたアシュさんの足元に注目した。そして気付いてしまったのだ。……クラウンと戦っている間には無かった妙な跡が地面についていることに。


 そして、。つまり、


「何か勘違いしてるようだから訂正するが、俺は空属性なんて使えないぞ。俺に出来る事と言ったら」


 その言葉を遮るように、クラウンはナイフを振りかぶって襲いかかる。……後ろから見れば、クラウンが後ろ手にもう一つナイフを構えているのが見えた。見え見えの振りかぶりはあくまでフェイク。躱されるか迎撃した所をもう一本で切りつけるつもりなのだろう。


「……おやっ!?」


 だがアシュさんは避けなかった。クラウンのナイフがアシュさんの胸元に突き刺さり、そのまままたも素通りする。そうしてすうっとと消える自分の姿とクラウンを尻目に、アシュさんは俺の所まで辿り着く。


「俺に出来る事と言ったら、程度。転移なんて高尚なもんは出来ないぜ」


 ……いやいや。残像が出来るくらいの速度で走って静かに止まるって、十分とんでもないと思うんだけど。しかしそう背中越しに言ってのけるアシュさんの姿は、紛れもなく人を護る用心棒だった。


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