「……とお喋りしてはみたものの、乗ってこないわね」
そう。俺達は今までただお喋りをしていた訳じゃない。ずっとセプトが動くのを待っているのだ。影に潜られている間は手が出せない。ならば攻めてくる瞬間にカウンターを決めるしかないのだが。
「もう逃げちゃったって事は?」
「……それはないわ。“潜影”には制限があって、
エプリはそう言って見張りを続ける。だが、その様子を見ている内に俺は気付いてしまった。
「……エプリっ! 顔色がドンドン悪くなってるぞっ!」
「……はあ……はあ。どうやら、セプトが待っているのはこれみたいね」
さっきからエプリが岩に寄り掛かっていたのは、そのままだとまともに立っていられないから。折角回復した体力も、毒のせいでどんどん減っていく。
「……心配しないで。気分は最悪で目眩がして視界がグラグラするけど……まだ戦えるわ。すぐに命に関わるものじゃなくて、相手を苦しめる為の毒みたいなのは不幸中の幸いね。……クラウンが相手をいたぶって止めを刺す下衆なのが役に立ったわ」
「それ全然大丈夫に聞こえないんだが」
つまり散々弱らせてから殺す気だったってことだろ? あののっぽ野郎もう一発後で殴る。
「……はぁ。……セプトは、私が倒れるのを待っている。実際長引けば相手の魔力切れよりも先にこっちが倒れるのが早そうだしね。だから……誘いをかけて引っ張り出そうとしてたんだけど」
エプリの体調は明らかに悪かった。薬で落ち着いていた呼吸は再び荒れ出し、今にも崩れ落ちそうなのを意地と根性で支えているっていう感じだ。……マズイ。早く決着をつけないと。
「なあ? あとどのくらい魔法が使える?」
「……ダンジョンで使ったような大技は多分無理。風刃や風弾なら威力を抑えればまだそれなりに」
つまり威力を抑えなければそう多くは使えないって事か。となれば……。
「エプリ。俺に一つ作戦が有るんだけど……聞いてくれるか?」
「……言ってみて。この状態じゃ頭が回らないし、現状打破できるのなら何でも良いわ」
「分かった。セプトに聞かれるとまずいからな。……ちょっと耳を貸してくれ」
俺がそう言うと、エプリがこくりと頷いてこちらに耳を近づけてくる。……ってか、自分から言ったのだが近い近いっ! エプリのさらりとした白髪から良い香りが鼻をくすぐる。柑橘系みたいな香りだ。
ダンジョン内では常に危険が伴っていたので、軽く身体を拭いたり簡単な消臭剤で匂いを抑えていた。しかし実は調査隊の人達の所で一度、ゴッチ隊長との話し合いの前にジューネの提案でそれなりに女性陣は身だしなみを整えている。
エプリは服装を変えるのを嫌がり、代わりに軽く香水を付ける事で妥協したのだがその時のものらしい。
「……何?」
エプリが至近距離からこちらを見つめてくる。毒の為か瞳が熱っぽく潤んでいてドキッとする。……え~い落ち着け俺! 平常心だ!
「にゃ、何でもないですっ!! ……ゴホンっ! それで作戦なんだが」
俺は何とか平常心を保ちながら、思いついた事をエプリに語る。……途中台詞を噛んでしまったのは多少許されると思う。
「……作戦は分かったわ」
話を終えるとエプリは少し苦しそうに言った。毒で身体がキツイみたいだ。幸いというか不幸にもというか、セプトは一切こちらに手を出してこない。やはりエプリが倒れるのを待っているらしい。
「……問題は仕掛け時ね。早過ぎたら逃げられるし、遅過ぎてもこっちがやられる。そして一度使った手に二度も引っかかるとは思えないから、一回で決めないと手が無くなる」
「ゴメンなエプリ。もっと良い作戦が思いつけばよかったんだが、考えついたのはこれくらいだった。エプリや“相棒”みたくは上手くいかないもんだ」
ああくそっ。自分がバカなのをこんなに恨んだことはあまりない。失敗すれば俺だけではない。エプリもやられてしまうのだ。頭を掻きむしって悩む俺に、
「……大丈夫よ。問題ないわ」
エプリはそう言って笑った。毒でまだ身体が辛く、顔色も優れないのに……笑ってみせたのだ。
「失敗したらまた別の手を考える。……それでもダメなら下手に悩み続けるよりも臨機応変に動いた方が良い。それくらい気楽に構えた方がアナタにはあっているわ。……やってみましょう。仲間兼雇い主様」
……そうだな。“相棒”も前言ってたじゃないか。“バカは悩んで止まるよりも動いた方がまだマシだ。その方が良くも悪くも状況は変わる”って。俺がやるのは悩む事じゃない。行動する事だ。
まあその後で“後始末が面倒だからあまり勝手に動いては欲しくないが”とも言っていた気もするけどそれは置いておこう。
「ありがとな。……よしっ。じゃあ始めるぞ!」
さあ。影からセプトを引っ張り出してやろうじゃないか。
「……“強風”」
まずエプリは周囲の地面に向けて強風を放つ。風により砂塵が舞い上がって周囲に漂う。
先ほど俺がスカイダイビングをしてエプリの所に来た時、しばらく隙だらけだったのにセプトは動かなかった。エプリもまだ毒及び怪我でまともに動けず、俺もそんな相手が居るなんて知らなかったから無防備。襲うなら絶好のチャンスだった筈だ。
しかし実際には襲ってきたのはしばらく時間が経ってから。これにどうも俺は違和感を感じていた。
しかしエプリの話を聞いている内にふと思った。……もしかして
影を操る魔法なのだから影が無くては使えない。今は月明かりが十分あるから使えるが、さっきは砂塵で光が遮られていた。だから砂塵が収まるまで手が出せなかったんではないかという理屈だ。……いきなり人が降ってきて面食らったからというのも否定はできないが。
なら影の対処法は簡単だ。また砂塵を巻き上げて光を遮ってやればいい。幸いエプリの魔法はそういうのに長けた風属性。それにただ強風を吹き荒れさせるだけならそこまでエプリの負担も多くない。
「……くっ!」
とは言え全く疲れないわけではない。エプリも一瞬身体をぐらりとよろめかせるが、すぐに体勢を立て直して再び強風を発動する。……頼むエプリ。もう少しだけ踏ん張ってくれ。
俺は右手に貯金箱を油断なく構え、もう片方の手を切り札を入れたポケットに突っ込む。あとはタイミングの勝負だ。
少しずつ砂塵が巻き上がり、だんだん周りに漂って地面の影が分からなくなっていく。この状況でセプトが取りそうな行動は三つ。
一つは我慢比べ続行。しかしこの調子ならエプリが倒れるよりも砂塵が広がる方が早く、影が無くなれば外へ出ざるを得ないからこれは下策。
二つ目はこちらの思惑を利用し、漂う砂塵に紛れて動く事。だけどその場合も影から出なければならないのに変わりはない。そして三つ目は。
「まだ影がある今の内に押し込む事……来るぞっ!」
ここから少し離れた地面のまだ月明かりが照らしている所の影が蠢いた。次の瞬間、そこから人影のようなものが浮かび上がる。あれが本体らしいな。
そしてこちらに手を翳したかと思うと、接している影がまた形を変えてこちらに迫ってくる。ここまでは予定通り。あとはどうにかして奴の動きを少しの間止めるだけ……なのだが。
「ちょっと多すぎないかっ!?」
さっき俺を襲ってきた時は小ぶりな槍みたいな形のものが一本だけだった。しかし今回は前より明らかに一回り大きい槍が、十本近く同時に襲いかかってきたのだ。
コイツ今まで隠密重視で威力を抑えてやがったな! それがエプリの方に向かっていくのを見て慌ててエプリを庇える位置に立つ。
「のわああぁぁっ!?」
一つ一つはクラウンの投げナイフよりもやや遅いくらいの速度だが、数の暴力という奴は恐ろしい。ボジョが服の中から触手を伸ばして払いのけ、俺も必死に貯金箱を振り回すのだが、弾いても弾いても四方八方から次の影が襲ってくる。
それもその筈、影がある限り使えるのだから弾切れは魔力切れまでない。なんて厄介な魔法だっ!
「ぐっ!? あたっ!?」
「トキヒサっ!?」
エプリには一切当たっていないのだが、少しずつ弾ききれずに俺の身体を掠めていく。傷はそこまで深くはないがこのままではジリ貧だ。エプリが掩護しようにも、影の攻撃範囲が広すぎて全てを防ぎきれない。
風壁を重ね掛けすれば防げるかもしれないが、それでは今使っている強風が弱まって砂塵が収まってしまう。これではセプトの動きを止めるどころじゃないぞ。このままじゃ。
「……なんて諦めている訳にもいかないよなぁっ!!」
俺は貯金箱を振るって無理やり前進する。防ぎきれない槍が身体を掠め、細かな切り傷が体中に増えていくが少しずつ、少しずつだけど確実に人影に近づいていく。
作戦ではエプリが砂塵を巻き上げながら影の攻撃を食い止め、俺がセプトを影から引っぺがすというものだった。しかしこれはエプリでも片手間では防ぎきれない。ならば作戦変更だ。俺が途中までエプリへの攻撃を引き受ける。
「……っ!? トキヒサっ! 動かないでっ。こっちは問題ないから!」
エプリが後ろから叫ぶが止まる訳にはいかない。あともう少し。もう少し引き付けないと。
「届かせない」
そんな声が聞こえた気がした。多分女性じゃないかと思われる声が。
次の瞬間、突如俺の視界が黒く染まる。それは一瞬一枚の壁のようにも見えたが、これまでの影の槍を全て束ねる事で巨大な一つの槍衾のようになったものだった。それはデカくなった分少しゆっくりだが、それでも結構な速さでこちらに向かってくる。
「……嘘だろっ!」
マズい。これはいくら何でも躱しきれない。もはや槍というよりちょっとした波か壁だ。……と言うより躱したら後ろにいるエプリに直撃する。
……
「食らえっ!! 必殺の」
「ボジョっ! 私に触手を伸ばしてっ!!」
俺がポケットに入れた切り札を出そうとした時、エプリが後ろからそう叫んだ。ボジョは素早く触手を伸ばしてエプリの所に届かせる。もしやこのまま引っ張ってバンジーみたく引き戻そうってんじゃないだろうな?
「トキヒサっ!
エプリの言葉に一瞬不安が頭をよぎる。毒で弱っている状態でこの巨大な影の波を何とかできるものなのだろうか? ……だがこの土壇場で作戦続行と言うのだから勝算がある筈だ。
「私を……信じてっ!」
「分かった!」
そしてこの言葉で不安は晴れた。エプリは仲間だ。俺は仲間の言葉を信じる。
「うおおおおっ!!」
俺は影の波に突撃する。あれは直撃したらきっと滅茶苦茶痛い。下手すりゃ死んでしまうかも。……だけど俺はその影でなく、影の向こうにいるセプトに集中した。目の前の影はエプリが何とかしてくれるとその一心で。そして、遂に俺の目前にまで影が近づいたその時、
ギシッっ!
「……っ!?」
妙な音がしたかと思うと、目の前の影が突然何かに阻まれたように動きを止めた。
その理由は、
俺は走りながら後ろをチラリと見る。そこには、エプリが地面に手を突いているのが見えた。そしてその影はボジョの触手の影を伝って俺の影に繋がっている。
ふとエプリの呟く声が聞こえた気がした。「
しかしエプリの体調は最悪。顔色も悪く嫌な感じの汗が頬を伝っている。歯を食いしばっている様子から、これは長く保ってられないというのが一目瞭然だった。
だというのにエプリの造った影の網は、こちらへなだれ込もうとする影の槍を完全に押し留めていた。おまけに網の一部がそのまま階段のように駆け上がれる形になっている。
エプリの奴無茶をして……だが今は戻って体調を気遣う時じゃあない。力を振り絞って作ってくれたこのチャンスを無駄にする事だけはしてはいけない。
網の一部に足を掛け、そのままダッダッとテンポよく影を駆け上がり一番上の部分に到達する。セプトまであと僅か。まっすぐ突き進んで一気に近づいた為だ。
奴はこちらに気づくのが少し遅れた。それもそうだ。巨大な影の波。それは勝負を決める必殺の一撃。だがその勝負手が突如動きを止めれば一瞬だけでも動揺する。
そしてその止まった影をまさか乗り越えてくるなんて想定していなかったと思う。その為セプトが俺に気づいた時には、
「どおりゃああぁっ!」
俺は走るそのままの勢いで、セプトに向かって本日二度目のスカイダイブを決行していた。