先手はクラウンからだった。まずは牽制とばかりに右手のナイフをこちらに投擲。奴のナイフは全て何かあると思った方が良い。掠っただけでも危険だ。だけど、
「……舐めないでくれる?」
吹き荒れる風がナイフの軌道を逸らす。いくら当たれば危険といえ、こんな正面から来るナイフを対処できない方がおかしい。しかしこれは当然向こうも織り込み済み。
「ふんっ」
ナイフの投擲とほぼ同時に、クラウンは空属性で近距離転移。一瞬で間合いを詰めて私の右側面に出現し、そのままの勢いで左手のナイフで切りかかってくる。だけどそれはこちらも予測出来ている。
「……“風弾”」
直撃より一瞬早く、私の放った風弾がナイフを弾き飛ばす。更に連射して追撃するが、そこは一瞬早く再びの近距離転移で距離を取られる。だが……
「……“風壁”」
「おぐっ!?」
転移した場所には既に風壁を展開させていた。基本的に防御用だが、相手を巻き込むように放つと拘束することも可能になる。
凶魔化していたバルガスと戦った時は腕力で無理やり突破されたが、今回は上手くいったみたい。クラウンの腕を巻き込むように強烈な風が吹き下ろし、そのまま奴は地面に叩きつけられる。
「うぐぐっ。な、何故正確に私が次に跳ぶ場所が」
今回こうしてクラウンと戦闘になることは予想出来ていた。そのため当然対策を講じていたのだ。
空属性は敵に回すと厄介ではあるが、その本質はあくまで魔法。なら別の魔法によって干渉出来る。
……私は戦いが始まる前から、この一帯に風属性の初歩“
これが発動している所で空属性を使えばどうなるか。……答えは簡単。消えて再び現れる瞬間、その地点の風が干渉によって僅かに
……それにしても、微妙にクラウンの動きが悪い気がする。まだ牢獄でのダメージを引きずっているのだろうか? それとも牢獄を出た後で何かあったのだろうか? ……ふっ。今はどうでも良い事よね。
さて、この後クラウンをどうするか? ここで仕留めるのが最も後腐れがないけど。
「…………こんな時にトキヒサの顔が浮かぶなんてね」
知らず知らずの内に私もトキヒサの甘さに毒されていたらしい。これまでならここで仕留めていた所だが、今回はどうにもそんな気分にならない。
あのお人好しなら悪党でも命だけは助けるだろう。それ以外は容赦しなさそうだが。……本当に甘い奴だ。手紙でも注意するよう書いておいたけれど、直るかどうかは不安だ。
「……勝負はついたわね。私には次に転移で跳ぶ場所が分かる。空属性に頼りきりになっているアナタに勝ち目はないわ。……降伏しなさい。降伏しないと言うなら腕か足を切り裂いてそこらに放り出すわ」
クラウンは顔を伏せて項垂れる。こうやって高圧的に相手に迫り心を折るのが目的だ。
どうせコイツのことだから、かなりランクの高いポーションでも所持しているだろう。いっそ死なないギリギリまで追い詰めて、本当にそこらに放り出した方がもうちょっかいを出してこないかもしれない。だけど、
「…………クフッ。クフハハハハハハ」
項垂れていた筈のクラウンは、突如狂ったように笑い出した。おかしくて仕方ないとでもいうかのように。地面に押し付けられたままの状態で。
「……何がおかしいの?」
「ハハハハハ。いやはや。これが嗤わずにいられますか? このぐらいで勝った気になっている貴女の滑稽さが実に愉快で。クフフフフ」
嗤いを止めようとしないこいつに流石に苛立ちを覚える。やはり死なない程度に半殺しにして放り出そうか。そう思って私は“竜巻”の準備をする。今度はイザスタの時のような失敗はしない。
「フハハハハ。本当に愚かですねぇ貴女は。……
その言葉と同時に、クラウンの
「…………っ!?」
平面だった影が突如立体的になったかと思うと、鋭い刃となってこちらに向かって飛び出してきた。
影の刃は幾つにも枝分かれしてこちらを刺し貫こうと飛び出してくる。いけないっ! 躱しきれない!! “竜巻”の発動を中止して咄嗟に飛び退くが、影の刃の一本が左腕を掠めてローブと私の皮膚を切り裂いていた。
視線だけ動かして攻撃者を見ると、クラウンの影から何者かが姿を現していた。私やクラウンと同じく黒いローブを纏い、顔もフードで分からない。体格は私と同じかやや低めでかなり小柄。男にしては背が低いから女かもしれない。
「くっ!? このぉっ」
速度を重視し無詠唱で“風刃”を放つが、相手はそのまま影に潜って回避してしまう。……油断していた。まだ仲間が居たらしい。
何者かの潜った辺りに“風弾”を打ち込むも反応が無い。今のは“
両方ともある種族の種族魔法である闇属性のものだけど……一部のモンスターや特殊なスキルを持った者も使う事があるから絶対ではない。
私の“微風”はまだ周囲一帯に作用している。しかし影の中までは探れない。つまりこの何者かは、
「クフフフフ。ご紹介しますよエプリ。こちらはセプト。
相変わらず良く回る口だ。動けない状態でもペラペラと。……しかし私の後任か。“微風”による探査はまだ影の中に潜っているらしく反応が無い。“潜影”を長時間続けるのには相当量の魔力が必要なので、基本的には長期戦に持ち込むのが対応策だ。だけど。
先ほど切り裂かれた左腕を見る。血が指先から垂れているが感覚はある。筋を切られた訳ではないのでまだ動かせるけど、早く止血しないと体力を消費するばかりだ。
長期戦はこちらも都合が悪く、だが下手に薬を取り出そうとすればその隙を突かれる。……我慢比べね。私は警戒を緩めず立ったまま再び近くの岩に寄り掛かる。
「……どうしたの? この通り私は片腕を負傷している。攻めかかるなら今じゃない?」
軽く挑発してみるが、言葉は空しく周りの岩場を通り過ぎていくばかり。クラウンと違って自分から姿を晒すような愚は犯さないか。……相変わらず探査には引っかからず、どこかの影に潜んでいるようね。
“潜影”には他にも制限があって、一度潜ったらその影と重なった影にしか移動できない。そしてさっき潜った岩の影はあまり周りの影と接していない。つまりその周囲に注意を払えば良い。それにある程度身体が影から出た状態でないと他の魔法は使えないという弱点もある。
「…………ふぅ」
私は軽く息を整え少しでも体力の消費を抑える。血は未だ止まる事なく流れ出ていて、少しずつ感覚が鈍くなっている気がする。……仕方ない。私はローブの中に手をやった。そしてゴソゴソと探っていたその時、
「……当然そう来るわよね」
その一瞬の隙を突いて、再び影が刃となって襲いかかる。その数はさっきよりも多く、速度も先ほどよりも速い。この一撃で決めに来たようね。……だけど残念。来ると分かっていれば迎撃できる。
「……“風刃”」
私は
ローブを対価とした“風刃”は影の刃にぶつかり、一瞬だけその動きを止める。私は力を振り絞って横っ飛びし、影の刃は全て先ほどまで私の居た岩場に突き刺さった。
影を操っているセプトは……居たっ!! まさか私が避けられるとは思っていなかったらしく、僅かにだけど身体が露出した状態で動きが止まっている。叩くなら今しかない。
「……くっ!」
私は自分に“強風”をかけ、風で無理やり崩れた体勢を立て直して踏ん張る。それを見たセプトは自分が誘い出されたことに気づき、慌てて影の中に再び潜ろうとするけど……逃がすと思うの?
私は無詠唱で“風弾”を乱射して奴に攻撃を仕掛ける。威力は期待していない。一瞬だけ動きを止められればいい。
「……“強風”」
私は前傾姿勢を取りながらもう一度“強風”を発動する。風は一直線にセプトへと続く道となり、そのまま終着点であるセプトの動きを制限する。目標までの距離はたいして遠くない。これなら……行ける。私は自分からその風の流れに身を任せ、セプト目掛けて高速で突撃する。
「…………!?」
奴がこちらを見て驚いている。それもそうかもしれない。私の戦い方は基本的に、相手と距離をとって風魔法で削っていく中距離戦だ。
風で補助しながら戦う肉弾戦の方法自体は昔オリバーに仕込まれたが、私の事をクラウンから聞いていたのなら予想していなかったと思う。
……これもあんなバカなことをする
みるみる縮まっていく距離。セプトは再び影に潜って回避しようと試みるが、風に囚われているので身動きがとれない。そして、遂にセプトの目前へと迫る。……だけど一切速度は緩めない。
私は以前戦った
私にはあの女のまでの近接戦の技術も力もない。しかしこの速度で掌底を叩き込めば、相手を影の中から引きずり出して空中に打ち上げることが出来る。そうすればそこはもう私の“微風”の中だ。
「これで……決めるっ!」
私はさながら暴風のような勢いで渾身の一撃をセプトに放つ。必殺とは言わないけれど、当たれば確実に流れをこちらに引き寄せる一撃。それは…………
その一瞬、私は相手を見失って冷静さを失った。それは時間にして一秒にも満たない僅かな時間だけど戦いの中では実に致命的なもので、
「…………っ!?」
急に脇腹に鋭い痛みを覚える。するとそこには、
「……クフッ。クフフフフ。油断しましたねぇ。エプリ」
“風壁”で押さえつけていたはずのクラウンがニタニタと嗤っていた。片手で血の付いたナイフを弄びながら。