振り下ろされる拳をディラン看守が両腕を交差させて受け止める。衝撃でひび割れる床。だが、イザスタさんにその暴力は微塵も届いていない。狙った相手を潰せなかったのが不満なのか、鬼は怒り狂って再び猛撃を仕掛ける。
打ち下ろし。薙ぎ払い。叩きつけ。動きは単純だが、一撃一撃は常人を叩き潰すに十分すぎる破壊力。
それらをディラン看守は回避出来ない。回避しようと身体を動かせば、後ろのイザスタさんに当たるからだ。故に真正面から全て受けて立つ。
「うるああぁぁ」
鬼に負けじとディラン看守が吠える。避けれず、反撃して傷つけることも出来ない以上、出来ることは防御のみ。その防御が受け止めるか受け流すかの違いだけ。
鬼が一撃を振るう毎に、着実にディラン看守の体力は削られていく。それでも彼は反撃も回避もしなかった。鬼となったとは言え、いや……
ディラン看守は牢獄の囚人達にいつも誠意を持って接していた。高い金をとって要望を受け付けてはいたが、仕事ぶりはとても誠実だった。金を搾り取るだけなら効率的な手段はもっと有った筈なのにだ。
これは俺の推測だけど、ディラン看守は囚人でも一個の人格として尊重しているように思う。故に対価を払えばその分の仕事をしっかりとこなすし、命の危機にはその身を賭して守るのだ。
徐々に身体の傷は増えていき、ガントレットも自身の血で所々汚れていく。それでもなお、一度も諦めることも逃げることもなく看守は耐え続けた。
そして、やっと守るべき相手のその時が訪れる。
「“我が眷属となりし者に、名を送りて契約の結びとす。貴方の名前は…………ヌーボ”」
この言葉が終わるや否や、凄まじい勢いで赤みがかった飴色の影が鬼に襲い掛かる。強化が終わったウォールスライムだ。その巨体は鬼をも上回り、巨大な壁が倒れこむかのように鬼に覆い被さった。
当然鬼も黙ってはいない。スライムを何とか押しのけようとするが、いかんせん半液状の相手に物理攻撃が効きづらいのは明らかだ。
殴っても蹴っても堪えず、掴もうにも形を変えて手からすり抜ける。核も半液状の身体の中を自在に動き回るので攻撃が届かない。物理特化の相手からしてみれば天敵のような相性である。
これでは鬼もスライムに手一杯で、他を相手取るのは無理だろう。……ほんと無理やり脱獄しようとしないで良かった。あんなのとは喧嘩したくない。
「いやあ何とかなるものね。上手くいってホッとしたわ」
その声に鬼とスライムの戦いから目を逸らすと、汗だくのイザスタさんが歩いてきた。鬼を警戒しながら少し疲れた顔をしたディラン看守も一緒だ。俺は痛む足を引きずりながら近寄る。
「イザスタさん。大丈夫ですか?」
「ちょっと疲れたけど大丈夫よん。それよりトキヒサちゃんや看守ちゃんの方がボロボロじゃない」
「なはは。ドジっちゃいました。まあ足を掠めただけですから、唾でもつけとけば治りますよ。心配いりませんから」
「あらあら。それじゃあお姉さんの唾でもつけましょうか?
「折角ですが遠慮しときます」
イザスタさんがそう言って舌をペロリと出すが、俺は紳士的かつ速やかにバッサリとお断りする。イザスタさんの唾なら本当に傷にも効果がありそうだが、何というかイケナイ感じがプンプンするのだ。下手に頼んだら色んな意味でとんでもないことになりそうな。
……何故かイザスタさんも残念そうな顔をしているが、見なかったことにしておく。
「まったくもう。……トキヒサちゃん。またお姉さんの言うこと聞かなかったでしょう。ここに来る前に言ったわよね? 危なくなったらすぐに逃げるようにって。アタシは万が一攻撃されても何とかなるように用意してあったけど、トキヒサちゃんも危なかったんだから。いざとなったらアタシよりも自分のことを第一に考えて。ねっ!」
あの状態でもしっかり周囲のことは分かっていたらしい。イザスタさんは怒ったような、それでいてこちらを心配するような声で言った。
また言いつけを破ってしまったな。俺が飛び出さなくても何とかなっていたわけだ。でも、
「すみません。……でもまた同じようにイザスタさんがピンチになったら、もちろんそうそうピンチになるなんて想像できませんけど、危ないって思ったらやっぱりまた同じようなことをすると思います。俺は誰かが犠牲になって助かるよりは皆で助かる方が良いと思いますから」
この考え方はよく“相棒”に怒られた。俺のやり方はあくまで理想。いつか必ずどこかで失敗して辛いことになるって。それでも……やっぱり俺にはこのやり方しかできない。選べないと思う。
「……しょうがないわねん。分かったわ。それがトキヒサちゃんの性分なら仕方ないわ。そういうのは自分では中々変えられないもの。でも、なるべく控えるようにね。それと」
イザスタさんは困ったような顔をしてそう言うと、俺の額に軽くデコピンをしてきた。
「二度言いつけを破った罰。これで許してあげる。性分は変えられなくてもそれくらいは受けないとね」
……ありがとうございます。俺は詫びと感謝の意味を込めて頭を下げた。
「あれなら上手くいきそうだな」
数分後。ディラン看守が鬼とスライムの戦いを見ながら言う。下手にスライムの邪魔をしないよう、俺達は入口を押さえて戦いを見守っていた。鬼も体力が減ってきたようで、抵抗も少なくなってきたからもうすぐ終わるだろう。
そう言えばどうやって凶魔を元に戻すのだろうか? 肝心の所をまだ聞いていなかった。手持無沙汰な今のうちに聞いてみると、
「ああ。……以前同じように凶魔になった者を知っていてな。それと同じなら身体の魔石を摘出すれば元に戻れる。ただ下手に傷つければ後遺症が残るからな。動きを止めて摘出しようと考えていて」
「それでアタシがスライムちゃん……今はヌーボって名前になったけど、そのヌーボを強化することで凶魔になっちゃった人を抑えつけようと思ったの」
なるほど。確かにここのスライムは相手を殺さずに捕まえるよう言われているらしいし、大抵の物理攻撃は効かないから鬼を抑えるには最適だ。
「ヌーボが凶魔の動きを封じたら、アタシが魔石の場所を特定。そして看守ちゃんがそれを摘出すればおしまいね。これでや~っと一息つけるわ」
イザスタさんは大きく息を吐いて額の汗を拭うジェスチャーをする。と言っても少し休んでいたので汗は大体引っ込んでいたのだが。
「それにしてもトキヒサちゃん。さっきのことなんだけど」
「さっきの? もしかして俺の投げた硬貨が爆発したことですか?」
イザスタさんはその言葉に静かに頷く。あれは俺も不思議だった。もしこの世界の金が皆ああだったら、買い物に行くだけで毎日がデンジャラスだ。
「トキヒサちゃん。落ち着いて聞いてほしいんだけど……
……俺の魔法? あれが? ……いやいやちょっと待ってほしい。魔法の基本属性に投げた金が爆発するようなものは無かったはずだ。だとすると俺の魔法は……。
「トキヒサちゃんの魔法適性は特殊属性。その名も……金属性」
「あのぉ……一応聞きますけど
「
……なんてこったい。俺はがっくりと膝を突く。ただでさえ目標金額が高いうえに、イザスタさんに返す分も必要。その上魔法を使う度金が無くなるとは。おまけに特殊属性だから、基本属性の魔法と両立できない。俺が
「元気出してトキヒサちゃん。ほらっ! 前にも言ったでしょ。属性にはそれぞれ個性があるって。金属性だって使いようによっては十分使えるわよ」
「イザスタさん……」
俺を励ましてくれるのかイザスタさん。……そうだよな。さっきだって結構な威力だったから、上手く使えばモンスターと渡り合うことだって。
「ちなみに実用に足る威力となると、少なくとも銅貨数枚以上は必要だな。出費を考えると弱いモンスターでは倒しても逆に赤字だ。更に言えば能力の関係上、常に現金を所持する必要があるので荷物が多くなり、現金が無くなると魔法が使えない欠点がある。このことから不遇魔法としても有名だぞ。金属性は」
イザスタさんがなんてことをって目でディラン看守を責めるが後の祭り。上がりかけていた俺の気持ちはまたぽっきりと折れてしまう。使えば使うほど赤字って、今の俺とは相性最悪な属性じゃないかっ。
「……まあ気を落とすなトキヒサ・サクライ。これは本来語ることのない情報なのだが、以前の検査の結果お前が加護持ちだということが判明した。元々今日遅れたのはそれも理由の一つだ」
流石に悪いと思ったのか、ディラン看守も俺を励まそうとしてくれている。それにしても加護? アンリエッタの分は分からないようになっている筈だから、残るはここに来た時の召喚特典の方。
……そうだ! まだそっちがあった。属性は最悪だが、何とかこっちでフォローできるかもしれない。
「お前の加護はとても珍しい物でな、その名も“適性昇華”と言う」
「“適性昇華”? 聞いたことない加護ねぇ。似たもので“適性強化”なら知ってるけど。そっちも珍しいけどね」
「詳しい内容は不明だ。ただ“適性強化”とおそらく同系統の、魔法適正を向上させる加護だというのが検査した者の推測だ」
「魔法適正を向上って……ちなみに金属性持ちでその加護を持っている人はいるんですか?」
俺は悪い予感がしてディラン看守に聞いてみる。頼むから間違っていてくれ~。
「“適性強化”の方なら昔いたな。実際試したところ、並みの使い手に比べて魔法の性能自体は格段に上がっていた。威力や射程、技の応用等もだ。ただし、消費する金額の方もそれに合わせて増えていたが」
……喜べばいいのか嘆けばいいのか。確かに魔法適性が上がるのは良いことだと思う。普通の人にはとても有用な加護なのだとも思う。しかし、しかしだ。……俺は金を貯めなきゃいけないんだよぉっ!! こんな金食い虫の属性は嫌じゃあぁぁっ!!
やっぱり崩れ落ちる俺に対して、流石の二人もどうフォローしていいか分からず何も言わなかった。……今はその優しさが微妙に心に刺さる。
そこに、ドスンと重量のある物が倒れる音が聞こえてくる。見ると、鬼となった巨人種の男がヌーボに四肢を拘束されて倒れこんでいた。
一瞬殺してしまったのかと思い焦ったが、微かに胸が上下していることから気を失っているだけだと安心する。見事鬼を倒してみせたヌーボの姿は、どこか誇らしげにも見えた。