「わたしは、城田です。わたしは、城田です」
「いいえ、違います。あなたは、城田さんでは、ありません。あの日、私の目を見て、笑みを浮かべていた少女ではありません。あなたはいつも、会場で、ここで、私のあとをずっとついてきた、どうしようもないただのストーカーです」
女に対して、実に乱暴な口をきいていると、荒瀬邦彦は自覚していた。しかしそれほど言葉が乱暴になったのは、白いのが田中恵美に彼女のことを知らせようとしないからだった。決まっている、同級生を脅して田中恵美へと声をかけ、自分が動くことを見越せるほどの頭があるくせに、最も単純な方法をとることが出来ない目の前の女が、許せなかった。
城田と言う少女は、部活の部長をしているという。
そして目の前の女は、新聞の情報と田中恵美の情報から考えるに、その部費の割り振りにおいて一枚噛んでいる、生徒会顧問の一人のはずである。
「……部費を盾に、よくもまぁ、生徒を脅せましたね」
荒瀬邦彦がそういうと、女は数歩、勢いよく後ずさった。
「そんなことをする必要はなかった。なんなりと、貴方は私に声をかければよかった」
「っ、あなたにっ、わたしなんかがっ、好かれるわけがないっ!!」
女の絶叫に、荒瀬邦彦は動じなかった。女の悲鳴とヒステリックな衝動には、慣れていた。
「こんな地味で、不細工で、可愛くもなくて、ああそうよストーカーみたいな真似しかできない子なんて、好かれるわけがない! 声なんて、かけられない! ふざけないで!!」
「なんだ、分かっているじゃないですか」
荒瀬邦彦は、静かに笑った。
「後ろをついて回るしか能がない、鳥の雛のような女なんて、遊びがいも食いでもない。あなたのことなど、全く好みではございませんよ」
女はそれを聞いて、笑った。ああなるほどなぁ、と荒瀬邦彦は思う。
たまにいるのだ、どんなに言葉を尽くしても、どんなに言い方を工夫しても、包丁を腹に突き立てられたままでも、『貴方のためなの』と笑える、一番面倒な人種。
「そうよね、そうよね! 好きになんて、ならないわよね! だからね、気にしないでね、あなたをね、見ているだけで、ついていくだけで!」
「そこまでは妥協しますので、一つだけ。……田中恵美と、城田さんへかけていらっしゃる呪い、止めていただいてよろしいでしょうか?」
女が、ぴたりと、動きを止めた。人気のないそこで、彼女は生気のない顔で、真っ黒な目を大きくおおきく、見開いた。
「どぉおぉる、してぇええ……?」
「……いえ、正確には、城田さんを脅してかけさせている呪い、やめさせてあげてくださいませんかね?」
「いぃいいぃ、うぃいいやああああっっ!!!!」
悲鳴だった。しかし不思議と、誰も来ない。いや、むしろ、音がしない。
異界にいる。
そう理解したとき荒瀬邦彦は、気が付いた。女の背後に、立っている。黒い複眼、赤い舌、真っ白な身体に白の着流し。無表情の”八塚の蟲”が、女をじっと見つめていた。捧げられた少女を全てから守る”八塚の蟲”。その力は、今、田中恵美と言う一人きりの為に捧げられている。八塚のくびきから解き放たれ、それは今や、田中恵美のためだけに蠢くものになった。だがそれは、在り方だけだ。
為すことは、変わりがない。
「だって、だってだって!!」
「自分で呪いをかける根性もないくせ、まぁなんと卑怯者なことか……。今の状況ですとね、田中恵美から呪いを返しても、傷つくのは城田さんなのですよ。そうでしょう?」
荒瀬邦彦は、”八塚の蟲”に問いかけた。女が、振り返る。
「そうなの、だから、かわいそう」
”八塚の蟲”は、そう答えた。女の目が、見開かれる。絶叫を上げる女に、荒瀬邦彦は歩み寄った。そして彼女の腰を勢いよく抱き寄せると、その耳に囁きかける。
「呪いをかけされるため、あなたはどなたを、脅しましたか?」
絶叫が、歓喜の悲鳴に変わった。つくづく呆れた女だ、荒瀬邦彦は、そう思った。もう一度丁寧に、今度は吐息を吹き込むように囁くと、彼女は答える。
「し、しし、しろた、このえ、さんですっうぅう」
「脅したのは?」
「わた、わた、わたし、わたしです。清水春江ですっ!」
そうですか。荒瀬邦彦は、彼女から手を離した。座り込む彼女のすぐ後ろに、”八塚の蟲”が立っている。
「しみず、はるえ」
蜜が滴るような声でつぶやき、”八塚の蟲”は静かに笑った。荒瀬邦彦が立ち去る背後で、その声が嬉しそうに言う。
「よかった」
そして荒瀬邦彦は、荒木と暮らす我が家へ帰る。”白いの”も、田中恵美のもとへ帰ったのだろう。ふと振り返ったが、不思議とそこに、あの女の姿はない。
しばし考えて、ああ、と思いつく。
「白いの、どうでも良くなって、戻すのを忘れましたね」
田中恵美の安全が守られたのなら、あれにとってはそれで良いのだ。城田という少女も、脅す相手が居なくなったので、おそらく呪うことはやめるだろう。いや、呪うことをもしやめられなかったとしても、その時は『可哀想』と言って、白いのが何かしらするに違いない。そこまでの世話をする義理は、残念ながら荒瀬邦彦には存在しないのだから。
「あ、おかえりなさーい」
荒木の作業を手伝っていたのか、玄関に現れた田中恵美の背後には、いつものように白いのがまとわりついている。それはふわりと笑みを浮かべると、覚えたての言葉を言う幼子の様な朗らかさで、
「おかーえり」
そう言ったのであった。
おわり