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【繁縷・4】


 毎月一度は、荒瀬邦彦は執事する荒木に付き添って、古本市へ顔を出す。古書店の店主から、古書店へと流通する前の段階を担うセドリの出入りも大きい、なかなか大きな古本市だ。

 大量に買い付け、そこからあの本屋は良かったと噂を広めやすい荒木には、どこの店主もいそいそと売り込みに来る。それに付き添いながら、荒瀬邦彦は背後のそれをずっと、警戒していた。


 覚えている限り、最も古い記憶は、1年前の3月の事。まだ雪も残る時期で、このいつもの広場ではなく、町の体育館を借りて行われた折のことだ。

 すれ違ったのは、一瞬だった。目が合ったのも、ほんの一瞬。真っ赤に染めた髪と、着流し姿の荒瀬邦彦は、会場でも割と目立つ。彼自身、水商売で稼げるくらいには、整った顔立ちをしている。そうだったからか、それとももっと根本的な理由なのか。典型的な文系、そう呼ぶのがふさわしい外見の女と、確かに荒瀬邦彦はすれ違った。

 そしてそれ以来、会場に来るたびに、彼女は後ろからついてくる。


 下手な尾行だ、荒瀬邦彦はそう思う。時代劇じゃあるまいし、荒瀬邦彦は呆れている。

 彼女は、一度たりとも、話しかけてこなかった。彼女は、一度たりとも、接触してこなかった。ただ、いつも、荒瀬邦彦が荒木に付き添ってやってくると、ひたすら後ろからついてくる。

 それを荒瀬邦彦は、健気などと呼ばない。ストーカーだ、と、思っている。


 しかしそんな彼女に変化が起きた。理由は、明白だった。何もしてこないものだから、甘く見ていた。


 幾多の災難により、ある一族の忌々しい儀式の全ての理由を、その身に宿した少女。田中恵美を、折角だからと荒木が誘ったことが原因だった。白いの、と彼女が呼ぶ、八塚の蟲と呼ばれたそれは、夏の事件以来よりはっきりとした自我を宿し、言葉遣いも幾分か巧みになっている。その複眼で荒瀬邦彦を眺めて、そして静かに、ふつりと笑った。

 妹を殺したのか。

 そう聞こうと思ったことは、何度もある。しかし、そうは、聞けなかった。何を言うのかが、恐ろしかったから。


 田中恵美とは、長い時間行動を共にしたわけではない。しかし一緒にここへ来たし、帰るときは待ち合わせもして、バザーで買ったというクッキーまで貰った。ある意味、運命共同体のような間柄であるし、彼女は年の離れた兄のように、または秘密の共有者として、猫のように荒瀬邦彦と会話をする。

 背後の女が、居なくなった気配があった。人ごみの中、顔を覆いながら駆けていく姿があって、荒瀬邦彦は目を細めた。奇妙だったのは、そんな光景に目を向ける人も多かったのに、田中恵美は何も気が付かなかったのだ。白いのは、まだ、笑っている。


 背後の女に再び出会ったのは、駅前の喫茶店だった。電車を待つという田中恵美に遭遇し、なんならと喫茶店に入った。白いのが最近覚えたことを報告してくる彼女だが、不意にその顔がこわばった。何かと思えば、こちらを見ている人がいる、という。振り返れば、会う視線。おかしい、と思った。いっそ背後の女なら、おかしくはなかった。

 こちらを満面の笑みで見る女子生徒は、荒瀬邦彦の知らない少女だった。

 面倒な気配に、その場を立ち去ることを選んで、荒瀬邦彦は気が付いた。その、満面の笑みでこちらを見ていた少女は、一人でそこに居る訳ではなかった。彼女の、前。正確には、荒瀬邦彦と背中合わせにある席に、その女は座っていた。


 文系女子、そう呼ぶのがふさわしい、おかっぱに黒縁メガネの真面目そうな、あの女。

 会場に来るたびに、荒瀬邦彦をずっと追ってきた、あの女。


 彼女はこちらを、見ていなかった。いつもと同じように、荒瀬邦彦の後ろについてきたんだ。では、あの、満面の笑みの少女は。


 その時荒瀬邦彦は、気が付いた。田中恵美は、気が付いていない。いや、偶然かもしれない。しかし荒瀬邦彦は、そうではないと、確信した。白いのが、見つめていたのだ。背後の女を、その黒い複眼で、何一つ動かぬ無表情で、彼女を見つめていた。


 そして今日。荒瀬邦彦は、田中恵美から相談を受けた。城田さん、という少女の特徴を改めて聞いて、それが満面の笑みで見ていた少女だと理解して、荒瀬邦彦は決着をつける必要があると理解した。背後の女、彼女のことを田中恵美が知れば城田という少女は可哀想、という白いのの、その言葉を確かめるために。

 土曜日。荒瀬邦彦はパソコンで、田中恵美が通う高校の名前を片っ端から調べ、最近の新聞記事だけをまとめて読み漁り、とある写真を見つけ出した。そして田中恵美にあることの確認をとり、なるほどとうなずいた。

 日曜日。古本市は開かれないが、古本を持ち寄る市民から古本を受け入れるために、会場の設営者たちがいる。その時刻に、荒瀬邦彦は古本市の会場となる場所へ向かった。

 果たして、彼女は、現れた。おかっぱ頭の、黒縁メガネの、文学が良く似合いそうな女だった。

 こちらを見て、信じられないと口を覆い、そして駆け寄ってきた。


 嬉しそうに、満面の笑みで。


「あの、わたし、城田っていいます」


 彼女はそう、己を名乗った。


「覚えてますよね? 喫茶店で、目が合いましたもの!」

「覚えていますよ」


 荒瀬邦彦は、微笑んだ。


「城田さんの真向かいに座っていらっしゃった。私の、背後にいらっしゃった。あなたと、私は、今初めて、こうして目を見て話しています」


 女の顔が、ゆがんだ。

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