怖気に両腕を擦る2人が、身を乗り出す。
「それで田中さんどうするの? 変に嫌がらせ受けるかもよ」
「それならそれで好都合。向こうの言いがかりって証明できるし、荒瀬さんこの外見だけどちゃんとした文系の研究者だから、身元もはっきりしているし」
「前向きだなぁ」
感心した様子の萩野は、うんうん、と頷いてから、少し不思議そうに言う。
「……あれ」
「どしたの」
「ちょっと待ってて」
すると彼は鞄を持ってきて、中から一枚の紙を取り出した。いつどこでどこの部活の大会があるのか、そういうことが纏められた、新聞部が月一で発行している部活月報というやつだ。すーっと指で欄をなぞり、あった、と呟く。
「なあ、これ見て」
「……あれ」
「ちょっと、女子テニス、その日曜日って大会出てるじゃない。それに城田さん、シングルスで出場?」
大会の時間は、古本市があった時間帯と丸かぶりだ。流石に三年最後の大会、しかもシングルスで出場選手なのに、辞退するだろうか。思わず、私たち三人の間に、沈黙が訪れた。
と、ドアがノックされる音。ハッとして、ドアを開ける。
「先輩、ただいまですー」
1年生の子が二人、並んで立っていた。おかえりー、と声をかけて、中に入れる。そういえば、と思い至って、二人に尋ねた。
「ねぇねぇ、運動部の写真、よく撮ってるよね」
「そうですよ。日曜日の女子テニスの大会も、取りに行ったんですよ」
「三年の城田さんって人、出てた?」
ああ、と二人が顔を見合わせて頷く。首にかけていたデジタルカメラを操作して、見せてくれた。
「この人ですよね、部長さん! 凄かったんですよ、大接戦で」
日にち、時間、ともに古本市が開催されていた時刻だ。綺麗に撮影された過去の記録の中で、彼女は真剣な眼差しでボールを追いかけている。私たち三人が顔を見合わせると、後輩たちは不思議そうに首を傾げた。
「どうしたんですか、先輩」
「あー、ううん。今ね、人の動きについて話してたから」
「そうなんですか」
純粋に信じ切ったらしい後輩たちに申し訳なくなりながら、私は城田さんに声をかけられた時のことを思い出していた。
例えば、だ。例えば、城田さんが霊的な何かだったとしよう。とすると、白いのがただ見つめていただけ、というのが引っかかる。基本的に白いのは、霊的な存在を前にした時に、私がそうだと分かって危険が無ければ見せてくれる。危険度が高ければ、私にまとわりつく。それはあの、夏休みの一件から何も変わってはいない。だからこの線は違う、と思うのだが、白いのはなぜ顔を覗いていたのだろう。
後輩たちが立ち去ったところで、香織が言った。
「ね、早めに帰りなよ。これで土日になるしさ」
「……そうだね、そうする」
そのありがたい助言に従って、私は帰宅を決めた。
駅に城田さんの姿も、荒瀬さんの姿もない。そのまま無事家に帰りつけたので、白いのに尋ねる。
「月曜日に、私に声かけてきた女の子覚えてる?」
「うん。かわいそう」
「可哀想?」
珍しい表現だな、と、思った。白いのが口にしたことのない種類だから、少し面白い、と感じてしまったのを慌てて振り払う。
「なんで可哀想なの?」
「たいへんだから」
「大変?」
ますます謎が深まってきた。白いのが何かしら、城田さんから感じ取っていたことは確かなようだけど、このままではちょっと難しすぎる。ここはひとつ、荒瀬さんにも相談すべきだろう。
善は急げだ、私は早速隣の家へと、裏庭の通り道を使って向かった。今日はいい天気のせいか、庭で荒木教授が古い本を広げていた。
「こんにちはー」
「おや、いらっしゃい。荒瀬君なら今来るよ」
私が自発的に来るときは、大抵荒瀬さんに用事があるときなので、教授にはお見通しだったらしい。ちょっともしない間に、荒瀬さんが本を抱えて現れた。
「珍しいですね、どうしました?」
「こんにちは。この前の、ほら、喫茶店でこちらを見ていた女の子のことなんですけれど……」
そこで私は、香織に聞かせた内容と同じことを、荒瀬さんにも報告した。話しているうちに、荒瀬さんの顔が険しくなっていく。最終的に、大きなため息をつかれてしまった。
「なるほど、そんなことに」
「え?」
「貴方の言う、城田さんですか? こちらをニコニコと見つめていた、女の子。彼女の真向かいに、もう一人座っていたのに、気が付かなかったんですね」
私がびっくりして目を見開くと、
「しーぃ」
と白いのが、荒瀬さんの話を遮りだした。どうやら、その、荒瀬さんが見ていた『もう一人』のことを、私に聞かせたくないらしい。
「聞いちゃダメなの?」
「うん」
ぶんぶんと首を縦に振る白いのに、荒瀬さんが困ったような顔をする。でも私としては、荒瀬さんの話を聞きたい。
「聞くと、私に何か起きるの?」
「かわいそう」
「私が?」
「ううん、あのこ、かわいそう、だから、だめ」
あの子、というのは、城田さんのこと。私が荒瀬さんの話を聞くと、城田さんが可哀想になる。いまいち話がつかめない私とは対照的に、荒瀬さんは、ああなるほどという顔をしていた。
私は当事者ではないのだろうか。いや、荒瀬さんこそ当事者か、私は巻き込まれたようなものだ。
「城田さん、私に何かしてくるかな」
「それ、しだい」
白いのが、すっ、と荒瀬さんを指さす。それって言っちゃダメでしょ、と指を下させると、荒瀬さんが困ったように笑った。
「やはり、そうなりますか」
「分かったんですか?」
「2、3日で済むと思います。月曜日は、元気に学校に行ってください」
荒瀬さんが言うなら、そうなるのだろう。今のところ、この人がこうした不思議な事象において、間違ったり見当はずれなことをしたためしがない。ちょっと出てきます、と言いおいて、荒瀬さんが出かけてしまったので、私は荒木教授の作業を手伝うことにした。本当なら荒瀬さんがやるはずの作業を、私が中断させてしまったからだ。
「あー、あったあった」
「なんですか?」
「ほら、見てごらん」
教授が開いて見せたのは、古い書物だった。黄色い表紙で、素材はほぼ全て和紙。糸でくくるように和綴じになっていて、表紙には植物、という文字が見て取れる。
「植物図鑑?」
「うん、江戸時代のものでね。ほら、これこれ」
示されたのは、一つの植物。
「ハコベ、って言うんだ。聞いたことあるかい、七草のひとつなんだが」
「あ、お祖母ちゃんと摘みに行ったことがあります」
「うん。これがねぇ、ふと頭をよぎって……なんでかなぁ」
不思議そうな顔をする荒木教授に、私もなんでですかねぇ、と答えた。でも、その古めかしい和紙の中の、丁寧に描かれたハコベは、妙に私の頭に残った。
結局のところ、その後城田さんが私に絡んでくることは無く、話はうやむやになってしまった。白いのにいまだに、どういうことだったか荒瀬さんに聞いていいかと尋ねるのだけど、まだダメ、と止められてしまうので話は聞かないことにしている。
聞いてしまえば、何かきっと、よくないものが繋がってしまう。
そんな想像が、ふと頭をよぎったから。