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【嘯きの壺・7】


「無事ですか!」



 戸を開けたのは、恵栄さんではなかった。だいぶお年を召していらっしゃるらしい、お坊さんだ。質素だけど美しい目の細かな生地で作られた衣装をまとっていて、その所作の一つ一つにも気品のようなものが感じられる。




 そして、そのお坊さんは、部屋に居る私たちと、粉々になった腕時計を大事そうに持つ白いのを交互に見て、へたり込んだ。




「……ようございました。ご無事で、本当に、ようございました」




 目に涙を浮かべて言われるから、まるで訳が分からなかった。ただ、荒瀬さんは状況を把握していたらしい。




「こちらに、来たのですね?」




 そう荒瀬さんが尋ねると、そのお坊さんが姿勢をただして、さっと頭を下げた。




「申し遅れました。わたくし、住職の、甘英と申します。おっしゃる通り、あれは、本堂から離れ、あなた方のいるこちらに向かった様子でした」




 思わずぽかんとした顔をさらしてしまった私に、甘英さんは話が飛躍しすぎていることに気が付いたらしい。部屋にはいるとふすまを閉めて、そして外の白いのを感慨深そうに見つめてから、私たち二人のほうへ向き直った。




「まず、田中様。あなたのご友人方は、先ほどの雷を持って、救われました。もう大丈夫です」




「……ええ?」




 ほっとしていいやら、いけないやら。相手がどんなものかも分からないし、皆に何が起きていたかも理解していないから、救われたと言っても全く見当がつかない。




 混乱する私に、甘英さんが順を追って話し始めてくれた。




「あなたのご友人方を追っていたのは、言葉として選ぶなら、神と呼ばれる存在です」




 神。そう聞いてまず私は、かつて南光神社に祀られていただろう存在を、考えた。




 しかしもう、南光神社は建物だけの存在で、中には何もいないはずだ。残されていたのは、空の社だけだった。いや、もしかして。




「もしかして、白いのが言う『とちゅう』が、みんなを狙っていて、それはもともと、土地に居たものということですか?」




 私が思わず言うと、甘英さんが頷いてくれた。




「そうです。ご友人方は南光神社が建つ土地に封じられていた、神のなりそこない、それに追われていました。もっと言うなら、なりそこないの、声の様なものに追われていたんです。本体はいまだあの神社に居るでしょうが……先ほどの雷で、もう外へ出てくることは、無いでしょう」




「神様の、なりそこない……」




 姿勢をただし、甘英さんが続ける。




「宗教とは、説かれた教えを信ずる人がいて初めて、成立します。それを形作るのに、人は時として、神と言う存在を求めます。そうですね、それが一番合理的で、分かりやすいからでしょうかね。力のある神体を見た人は、そこに救いを感じ取ります。それは概念であり、理念であり、信念であり、感情であり、観念です。儀礼、儀式によって武装された、力を崇めるための集団に名をつけるための教えを、人は宗教と呼びます。




ではその神は、どこから来るのでしょうか?」




 神様は、どこから来るのだろう。この一日で、神様について考えさせられることが、増えた。




 私が黙っていると、代わりに荒瀬さんが口を開いた。




「神は元より、人であった場合もあります。佛陀やキリスト教のイエス・キリストなども、これに当てはまりましょうか。孔子や諸葛孔明のように、今少し詳しく歴史が記されるようになった時代の者や、戦争で亡くなられた英霊を神とすることもあります」




 朗々と語る彼の目は、静かだった。




「その一方で、超自然的な脅威を、神として崇めることもあります。例えば、先ほどの雷、そして空、大地、海そのもの。自然がもつ、人には計れぬものを、古来から神と崇める風習は多くあります」




 これは分かる。雷様、とか言うからだ。




「またあるいは、感覚的なものです。外の法、この世界とは異なる何かを、元とするものを感情的、情緒的、あるいは空間として捉え、人が力として崇めること。それがいつの頃からあるのか、或いは最初は本当に神と言うものが何か固定された力の塊であったのか、そういったことは議論としては面白くありますが……。今は置いておきましょう」




 にこやかに言った荒瀬さんが、話のまとめにはいることを示すかのように、姿勢を正した。




「ともかく、神と言う存在には、自然と人が集まります。人間が、神を支え、生み出します。人間の信仰が途絶えた神は、やがて消えます。少なくとも、強大な力や、邪な思いが込められていない限り、おおよその祀られぬ神は忘却され、消えさります。しかし単純な力を持っただけの何かは、残るのではないでしょうか?」




 甘英さんが、頷いた。




「荒木教授の教え子ですね。……そうですね、私もそのような側面を感じることがあります。信仰に伴う、仕来りと儀礼、我々の想像力が、何か大いなる力を、神や御仏という形に押しとどめているのではないか。そして反対に、逆のことが、何か大いなる力を信仰やしきたりや儀礼、人々の考える力が、神というものを作り出すのではないか、と」




「ではこのたびの、あれは」




「……あなたには見えましたか」




 頷いた荒瀬さんに、やっぱり、と思った。白いのが、私の目をふさいでいたんだ。その何かを、私が見てしまわないように。




「彼女は、この白いのが守っていますから、何が起きたのか。何が居たのか分からなかったと思います。私には……異形の人であるように、思えました」




「ええ。……その腕時計は」




「白いのが、約束を破らせるために渡したものです。それなりに長いこと、彼女が身に着けていたものです。身に着けているものを渡される、すなわち、供物として納められた。しかしあれは、腕時計を壊しました。神として、いえ、望まれた神としてしてはならぬことを、したのです」




 私はふと、疑問を抱く。




 ほしいの? 、と白いのは尋ねていた。なら、その腕時計を渡したものは、壊さないんじゃないだろうか。そう思って白いのを見ると、否定するように首を横に振った。




「えみ、は、あげられない。えみの、からだ、も、わたせない。かみ、は、ちからになる。つめも、そう。だから、えみ、のもちもの、で、こわれそうなの、えらんだ」




 そうなのか。納得して頷く私とは対照的に、甘英さんがため息をついた。荒瀬さんはもう、こういったやり取りに慣れている。私が白いのと会話するのも、私が白いのに何かあげるのも、もはやいつものことだった。




「……凄まじいことです」




 甘英さんが、ひどく難しい顔をして、私を見た。




「対処としては、我々がしようとしていたものと、白いの、と申されましたか。そちらが執り行ったことは、似ております。しかし我々には、そのように直接的な方法は取れませんでした。なぜなら、あのように直接的に触れて、私たちのほうに被害が及ぶ可能性が、否定しきれないからです。時間は、より一層、かかったことでしょう」




「あの、友人たちが聞いていたことって、何ですか?」




「彼らを追ってきた者の、声です。表現は……しようがありませぬ。幼子の様な、老人が子供の声を出すような、何とも言えませぬ。我々とは、とても、とても、遠い存在なのです」




 言葉が見つからなくなって、それはきっと怖いんだろうなと、私は想像することしかできなかった。恐ろしいものを、感じることはある。でもそのほとんどを、白いのが私から遠ざけてくれる。だから、私は、その恐怖を知らないままだ。いや、麻痺してしまったのかもしれない。




「田中様。……あなたはその者が、なんだと、考えておられますか?」




 黙っていた私に、ふと甘英さんが尋ねた。




「白いのは、白いのだと思っています」




「……私が思うところですが、こちらは」




 一度目を伏せて、そして甘英さんは言葉を区切った。白いのがいると、話しにくいのだろうか。




 ちょっと外に行ってて、と言うと、いいよとばかりに頷いて、白いのは外に出た。私があげた壊れた腕時計、その部品をどうやら、並べているらしい。




 これにまた、甘英さんが面食らったような、驚きすぎたような様子で、しばらくして気を取り直すように話し始めた。




「あれは……古い、ふるい、太古の力の一つに思われます」




「……はい?」




 思わず聞き返した私とは対照的に、荒瀬さんが身を乗り出した。




「そう思う根拠はなんでしょうか」




「蟲、そう呼ばれていたのですね? そして、大きな、常ならざる力を振るったと」




「ええ。正確には、ある家に祀られることで封じられ、対価をもってその家に繁栄をもたらしてきました。そういう存在です」




 そうだ。荒瀬さんは、白いのが何なのか、八塚の姫は何なのかを、考えてきた。白いのが外で、私の時計の始末にかかり切りな今は、そういう話をするにちょうどよかったらしい。




 甘英さんは静かに続ける。




「宗教、というもの。その中でも神道、というものは、日本においては新しい概念です。神様、という概念は古くからあったでしょうが、それが宗教と言う統一的な形状になったのは、千年ばかりのことにございます。もっと古い興りもある、という声も聴かれますが、人々に道として、そして教えてとして受け入れられたのは、ごく最近のことなのですから、その形を持った存在は調べれば必ず何かの手掛かりをつかむことができます」




 外で急に、蝉が鳴き始めたような、そんな気がした。




「今回の件のあれも、その一端にあるものです。非常に邪な方法によるものではありましたが、人が神ではなく、宗教を作ろうとしたからこそ生れ落ちたものとすれば、対処は我々にとって難しくありませんでした。そういうものを産み落とす可能性が生じた折から、対処の法を守るべく、我々の様な存在はひそやかに活動してきたのです」




 胸に手を当て、甘英さんはうっすらと微笑む。




「そうです。生み出すものがあれば、封じる者も居る。では生み出すものにとって、厄介極まりない情報を持つ者たちを、放置するものが居るでしょうか? おりませんとも」




 ひそやかに呼吸をする甘英さんの目は、妙に真っ黒い。




 その奥に、キラキラと朝露がちりばめられたかのような、そんな光が漂っていた。




「おそらくこのたびのアレは、神社などに運び込まれ、そこの神社を守るものを食う存在です。だからこそ、中途半端に崇められ、神まがいになりつつあった。しかし、元はただの道具です。宗教を作ろうとしたものが失敗し、それを拝借した何者かが、手に余って人が寄り付かぬだろうあの神社へ捨て置いた。しかし、神として生み出された側面を忘れられずに、自らに祈ったとは分からなくとも、手を合わせて何かしら願ってくれたご友人方に、執着したのです」




 状況がようやくわかって、ああここの話をしたかったのだ、と私は納得した。荒瀬さんはもうわかっていたみたいだけど、皆が神社にお参りしたことで、私が見なかった何かは、力を得てしまった。外に出る口実を、つながりを得てしまった。




 それがどんな姿であれ、力だけは強いから、きっと友人たちにも見えたんだ。そして彼らが何とかして御仏にすがろうと、この寺に来た。そこで、私が見なかった何かは、気が付いた。




 本堂には、仏が居る。




 本堂には、自分に祈ってくれた、彼らがいる。




 だからその何かは、懸命に友人たちに接触しようとして、力を使い恐れられた。その瞬間、信仰は、失われた。残されたのは、神ですらなくなった力の亡霊。




「このたびのアレは宗教を作ろうとして、何者かが生み出した。しかし、宗教に必要なのは、人がそれを教えと受け入れ敬うことです。人が集わねば、教えは必ず廃れ、書物として残ろうとも誰の目にも触れぬただの文字の集積物となります。アレは宗教としては成り立てなかった神の一つです。だから、白いの、とおっしゃられたか。あちらが称したように、ちがうもの、と言うわけです」




 そして、と、甘英さんが言葉を区切った。




「白いのは、これと根幹から違います。宗教という形を必要としない、神そのもの。それが、あれの正体なのではないか。あなたを守るために取った行動から、私はそう思いました。蟲と称されておられますが、蟲は原始的な生命体です。つまるところ、より深い、命の源流に近いものから起こった、とても強い存在だと私は考えます」




「……はぁ」




 大層な話に、私は全くついていけず、反対に荒瀬さんは興奮したようにその話をメモに書き留めている。白いの、といえば、腕時計の部品をちまちま並べていたのだが、不意に私を呼んだ。




「えみ」




「なぁに? ……あれ」




「こわれて、ない」




 にっこりと笑った白いのが、手の中に大事そうに入れた腕時計を差し出してくる。それは、先ほど粉々になったはずの私の腕時計で、壊れる前と少しも変わらない、私の腕で動いていたのと同じ姿で、そこにいた。




「直してくれたの?」




「うん。でも、もらって、いい?」




「もちろん。だって、直したのは白いのだもの」




 この寺に来てから、白いのはとても、いろいろな感情を示している。不思議なことだな、と思っていると、白いのが言う。




「えみ、おわったから、かえろ」




「あ、でも、友達にも会わないと……」




「かえろう」




 駄々をこねるように抱き着いてくる白いのに、困ってしまう。せっかく、由美子の誤解を解決できるのに。もう安全になったのなら、会いに行きたい。




「皆と、ううん、由美子と話したい。それからじゃ、だめ?」




「いないよ」




「……え?」




 白いのは静かに、繰り返す。




「あそこには、もう、いないよ」




 本堂を指さす白いのに、何も考えられなくなる。空っぽって、どういうこと? 由美子は、あそこに居ないってこと? 最初から、居なかったっていうこと?




 甘英さんが、立ち上がる。




「……まさか」




 そして部屋を出て、どこかへ向かう。荒瀬さんが立ち上がって、私の背中を軽くたたいてくれた。




「見に行きましょう。……何が起きていたのか、を」

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