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【嘯きの壺・3】

 と、玄関のチャイムが鳴った。びっくりしたけれど、慌てて玄関に向かう。


「……あ、荒木先生」

「やあ。知り合いが訪ねてきてね、くず餅を置いて行ったんだが、どうにも僕は苦手で……よかったらどうだい?」


 すっかり顔なじみとなった荒木先生が、包みを片手に立っていた。にこやかで、穏やかな様子に、気持ちが落ち着くのを感じていた。

 詳しく本を読んだことはないが、民俗学の教授として、その学会では権威の一人という荒木先生。国語科教師のような温厚さを持つが、語りだすと止まらないところもある。彼の専門は、仕来り。古来から、日本各地で受け継がれ、また世界各国にも存在する、慣例や習慣に関する研究をしているのだという。


「せっかくですから、上がっていってください」

「おや、一人かい?」

「はい。あ、あとちょっと、聞きたいことがあって……」


 荒木先生も、白いののことは知っている。白いのも、自分がいるようにふるまう荒木先生のことは、好感というか……悪い感情を持っている様子はなかった。

 はいこれ白いの君の分ね、と分けられたくず餅を、不思議そうに眺めている。


「聞きたいことって?」

「荒木先生、南光神社ってご存知ですか?」


 先生は一口お茶をすすって、うーん、と唸った。


「知っているよ。この辺りでは、一番といっていいほど古くて、そして小さい神社なんだよ」

「小さい?」

「規模というか……まあ有名度も小さくてね、ずいぶん前に神主が来ることもなくなって、もともと人気のないところだったからね。町内会とかの掃除の手が入ることも自然と減ってしまったところだよ」


 荒木先生が、続けて尋ねる。


「しかし、どうしてその名前を?」

「ああ、えーと。私は留守番があるからって断っちゃったんですけど、友人たちがそこで今日、肝試しをするって言うんです。どんな場所かなぁって」


 荒木先生が、静かにまた、お茶をすする。


「……これは荒瀬君の受け売りなんだがね、何を祭っているか自分で分からない場所、人が来ているとは思えない場所にある地蔵、神社、寺。そういった類のものに、手を合わせてはいけないって話。知っているかい?」

「はい。あ、そういえば……神社は、神様とかを祀りますけど、廃神社とかの御神体ってどうなるんですか? どこかほかの場所に、引っ越しするんですか?」


 色々あるよ。 そう言いおいて、荒木先生は言う。


「例えばだけど、廃神社って存在はないんだよ。まあとりあえず、廃神社だと共通認識にしやすいから、廃神社って呼ぼうか」


 えっ、と私は声を上げた。廃神社って存在が、ない?


「日本の神様はね、大本があって、そこから各地の神社に分身みたいに存在なされている。それ以前にね、土地という土地は、基本的に誰かの所有地なんだよ。近代に限った話じゃない、その昔から、あれはどこそこの誰の土地だってのは、たいてい決まっていたものさ。だからね、廃神社。廃墟と化した神社はあっても、神様が消滅するとか、所有者がいないということは、ふつうはありえないんだよ」


 なるほど。


 つまり、オカルトのなお話における、廃神社という存在にも持ち主は存在する。そして、神社は神社であり、その神様が狂うということは基本ないことだろう。神様だって、引っ越しが必要になったら、勝手にすぽんともとに戻ったっていいわけだ。


「神社だってね別の場所に引っ越しの必要ができて、中身をきちんとした手順で引っ越しすることもある。その後、神社を取り壊したりする余裕がなくて、そのままになってしまっている場合もあるんだ。基本的にはね、ご神体なるものを移動させることは、お墓の中の御遺骨を移すのと似たように、各々手順と作法が決まっていたり、震災で被害にあったりで、必要になることはあるんだよ。だけどね……廃神社と呼ばれるもの中には、人の手が入らなくなったことで記録そのものが途絶え、今中がどうなっているかとか、ご神体はどうしたとか、そもそも何が祀られていたとか、そういった”情報”が零になってしまうこともあるんだ」


 いかなるまつりごとを取り計らっていたのか、まったく今では、分からない。ただただ、もぬけの殻なのか、何かあるのか、それすら分からない寂れた社、神主さんの暮らしていたという舎宅、そして鳥居。それだけが、今もなおそこにある


 南光神社はこれに当たる、のだそうだ。


 もしかしたら地元のお年寄りなら知っているのかもしれない、と、荒木先生は言う。しかし、荒木先生が持つ土着の資料の中で、南光神社に関する詳しい記載というものは、ほとんど出てこないらしい。かろうじて、今から70年前、終戦間際までは、お祭りもあったらしい。さらに不明確なのが、役所記録を当たってみても、南光神社のはっきりとした持ち主が分からないという点だ。


 一応、現在はこの街の土地ということになっているが、本当はもともとの持ち主が居たらしい。ただ、その記録が、どこをどう当たってもまったく見つからなかった。


 聞いただけで、なんだか嫌な感じのする場所だ。


「何があるかわからない、しかし神社だ。この時点で、人はいくつかの作法を思い当たるだろう」


 神社に行って何をする?

 荒木先生に聞かれて、私は率直に答えた。


「お参り、でしょうか。手を打って、頭を下げて、お祈りをして……」

「君や荒瀬君に関わってきた以上、この世に不可解な存在があることを、僕は確信している。……それでね、南光神社の余計に不思議なことなんだが、そんな70年近く前から記録のないような場所。どうして今もなお、残していると思う?」


 まさか。

 と、思った。

 まさか、残すしか、方法がなかった、とか。


「僕はね、どうにもできなかったんじゃないか、と思っている。ほら、事故の多発する工事現場とか、あるだろう。ああいった類のことがあって、それに霊的なことが関わっていなくても、誰もが避ける土地になってしまった。そして、70年というときの中で、”関わってはいけない場所”という認識に変貌したんだ」

「……あの、私、みんなが、心配で」

「白いのに、止められたんじゃないかい?」


 尋ねられて、素直にうなずく。白いのは荒木先生を、じっと見つめていた。


「荒瀬君に聞いたよ。君を、何かしらから守るのが、白いのにとって今分かっている存在意義であり役目なのだと。その白いのが行かせたくないのなら、確かに、友達らも危険なのかもしれないな」

「どうし、よう」

「一つ言っておこう。君に、その義務はない。君に、その責任はない。白いのにも、ね」


 こくり、と頷いた。私には、力などない。白いのには、凄まじい力があるけれど、それは白いのが思うとおりに使うべきだ。

 私の願い通りにしたら、白いのがどうなるか、分からない。


「でも、みんなに、何かあったら」

「ないかもしれない。荒瀬君も、南光神社を不気味だとは言うし、進んで近づかないが、特に危険扱いしている様子もなかった」


 そうなのか。

 ちょっと肩の力を抜いた私に、白いのが言う。


「えみ、いかない、よ、ね?」

「……うん、行かないよ」


 笑って見せると、よかったよかった、と小さく繰り返しながら私の手を握ってきた。どうも、私のことを、本当に心配していたようだ。


「……そういえば、からっぽ、って言ってたけど。神様は、もういないの?」


 白いのにそう尋ねると、うん、と首を縦に振る。


「からっぽ」


 荒木先生が、ふうん、と頷いた。


「神様はもういないのかい?」

「そうみたいです。白いのが言うには、空っぽで、何もいないって」

「でも、行っちゃだめなんだね」


 何かが、引っかかる。しばし黙っていると、荒木先生が呟いた。


「もしかして、神社は関係ないのかもしれないな」

「え?」

「南光神社の、ある、土地。そこはどうなんだい? 白いの君」


 とち? 、とつたない口調で白いのが呟く。意味がよく分かっていないらしいので、


「神社が建つその場所だよ。その場所も、からっぽなの?」


 と、私が尋ねた。白いのが、ぴたっと動きを止めた。私の手をぎゅっと掴んで、どこにも行かせないとばかりに、腰にも腕をまとわりつかせる。そして膝上に顔を乗せ、私を見上げて口を開いた。


「とちゅう」

「……とちゅう?」

「むし、の、とちゅう。あそこ、いるの」


 むし。蟲? 、待ってその途中?


「蟲の途中って、それって、白いのの……仲間?」


 白いのが、首を横に振った。


「にてる、でも、わたしは、えみのむし。むしになれた、むし。あれ、とちゅう、とちゅうのもの、むしじゃない」


 え、と小さく声が出る。荒木先生が、身を乗り出す。その手には、鉛筆とノート。白いのは、お皿が拭ける通り、本人というか、本蟲がやろうと思えばこの世のものにも触れることができる。どうも文字で書いてほしいようだが、まだ難しいと思う。


「ん、と。……むし、は、むし。あれは、にてる。むし、まね。まね、むし」

「なんか似てるだけで、真似しているだけってこと? 白いのは、作られたとかじゃなくて、白いのそのものってこと?」

「そう。わたし、は、むし。ずっと、むし。ひと、ひとのまま。むし、むしのまま」


 蟲は、蟲。白いのは、白いの。ひとは、ずっと、人のまま。

 じゃあその、似ているって、何?


「ちがうもの、ちがうまま」


 なんだかわからない感覚に、ぞくり、とする。不安になったので、友人のラインへメッセージを打ち込んだ。


 そこがとても危ない場所らしいということ、もし何かあったらまっすぐ引き返してくること、家に帰ったら塩をまいてお風呂に入ること。気休めかもしれないけど、そう思いながら伝えた。


 友人のところへ行く度胸は、無かった。

 関わらない、そういう選択を、私は私のためにした。

 卑怯者なのかもしれない。大事な存在と言っておいて、こんな選択をした私を、許せなくなる気もしたけれど、だけど。

 私は、専門家じゃない。白いのは、私の力じゃない。あるように、あるだけだ。



 私は友達以上に、白いののあり方を、ゆがめたくなかったんだ。


「……君は何一つ、悪くないよ」

「……はい」


 荒木先生が、静かに微笑む。私に力はない、私に権利はない。運命とは、捻じ曲げるものじゃない。今が、ただ今として、続くだけだ。


 その決意を、揺るがすのは、空白だと知った。


 私のメッセージに、既読の文字は、何時になってもつかなかったのだ。



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