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【八塚の蟲・4】

部屋の中には、私と同い年か、もっと年下の少女たちばかり。ざっと数えただけでも、20人は居るだろう。

こんなところに居る場合じゃないのに、そう思いながらも肩にかけられた手が、それを許してくれない。見知らぬ、親戚なのだと口々に言う女性たちは、やたらにこやかだ。

「恵美」

名前を呼ばれて、びくりとする。そこには、18年ぶりに会った、記憶の中にすら無いおばあちゃんが居る。出会った時の印象そのまま、厳格さ漂う白髪の凛々しい着物姿。彼女もまた、笑顔だ。

「静かにね。これから行われる儀式を、貴女は見たことが無いでしょうから」

嬉しそうなおばあちゃんは、私の肩に乗る女性の手をそっと外す。そして、私の髪を整える振りをしながら、本当に微かな声で囁いた。

「触ったら走って」

短いその言葉に、内心驚く。ありがとう、と言うふりをしながら目で訴えると、にこやかに頷きながら答えが来た。

「大丈夫よ」

分からない。分からないけど、どうやらおばあちゃんは私を、『白菊の儀』から逃れさせたいらしい。

ぽん、と肩を叩くようにして、その指先が一か所を示す。すぐ後ろの、障子戸。ここに走れと、言っているらしい。

それきり、おばあちゃんは私に触れてこなくなった。何時でも立てるように、走りだせるように、座り方を工夫する。慣れない着物じゃなくて、スーツにしておいて大正解だ。着なれた合唱部用のスーツは、例えスカートだろうと私の体格に馴染んだものだ。立ち上がって走りだす程度、訳は無い。

「それではこれより、白菊の儀を始めます」

挨拶をしたのは、今の八塚夫人である母さんのお姉さん……春江さんだ。その人が静々と、部屋の真ん中に一つの箱を置く。ぱかり、と箱が開いた。木の箱の中には、ころりと小さな壺がおさめられている。

少女たちの囁くような歓声が、あたりに満ちる。私はただ何も言わず、じっと待った。

「八塚の姫を決めるべく、これより壺を開けます。後は、皆さん、知っていますね?」

一斉の頷き。私はぎょっとしかけたが、平静を装った。

驚いちゃいけない。動揺しちゃいけない。ほんの僅かだけだったけど、私がこの屋敷に入ってから学んだことだ。この屋敷の中では、『隙』を見せたら最後、よそ者の私は餌にされてしまう。

怖い。怖いけど、耐えなくてはいけない。

「では、開きます」

かちん。

壺を開くと言うより、鍵を開ける様な音。その奇妙さもさることながら、少女たちが手を伸ばして殺到する。

壺の中身が、ぽーんと高く高く、宙に舞い上がった。あれはなんだろう。白い、指の様な、芋虫のような、なんだろう、あれは。それもすぐ、飛びあがった少女の手に握られる。私より二つくらい年下の、中学生ぐらいの女の子。

けれど彼女を引きずり倒し、小学生くらいの子がその手に噛みつく。悲鳴と共に、零れ落ちる白いもの。

でも私は、ここで奇妙なことに気がついた。

誰も、声を上げない。

声を押し殺し、彼女達はその、白いものを追い求める。互いを殴り、引っ掻き、睨みつけ、その白いものを求めている。

雪崩の様なそれに圧倒されかけた時、祖母がさりげなく私の肘に触れた。

今だ。

後方へ脚を踏み出して、半回転。障子をスパンと開いて、走る。引きずられた時に覚えた目印を頼りに、家の中を駆け抜ける。後ろから強烈な悲鳴が聞こえたが、そんなもの構っちゃいられない。

「恵美!」

母さん。

「恵美!」

父さん。

「急げ!」

お爺ちゃん。

三人が、私を呼ぶ。探しまわっていてくれたのか、三人とも息が荒い。特に周囲を激しく警戒するお爺ちゃんは、急かす様に私たちを屋敷の外に出る門の一つから押し出した。そしてすぐさま門を閉じると、言う。

「良いか、このまま駅まで行け。女衆に見つからないうちに、急げっ! そして家には帰るな、ここにも来るな。いいか、まず分家の邦彦君を頼れ!」

「とうさん」

迷子の子供の様な声で、母さんがおじいちゃんを呼んだ。その目には、涙が光っている。

「恵美、会えてよかった」

お爺ちゃんのその声に、私も力が抜けそうになる。でも、今は、いくしかない。全身が、そう訴えている。本能が、警鐘を鳴らす。

分からない。分からないけれど、私はきっと、これ以上この屋敷に居てはいけないのだ。

「行こう、二人とも」

父さんが努めて冷静に言って、私たちは走り出した。その後ろから、騒々しい叫び声や色々な声が聞こえてくる。お爺ちゃんがどうなるのか、おばあちゃんがどうなるのか、そんなの想像したくなかった。この世の別れとばかりに泣く母さんを、父さんが支えて走る。

駅に着き、地下の駐車場へ急ぐ。車に飛び乗り、父さんがエンジンをかけた。

「ねえ」

「大丈夫、大丈夫よ、恵美」

母さんが、私を抱きしめて、泣きじゃくる。

何が大丈夫なのか、ちっともわからない。車はそのまま動き出して、外へと出ていく。街中は程よく空いていて、家とは反対方向に車が走っていく。

「父さん」

「邦彦君の家に行けと言ってただろう? とりあえずは、そこに身を寄せよう。大丈夫、この街からは出た場所にあるから」

車が走っていく。

街を抜け、見なれた地名を目にした時、私は心の底からほっとした。父さんも同じだったのか、ほうとため息をつく。

「……父さん、邦彦君って?」

私が尋ねると、父さんは頷いた。

「荒瀬邦彦君と言って、母さんの従兄弟にあたる人だよ。元々は八塚姓を名乗っていたけど、母さんと同じように八塚の名字を取り上げられた人だ」

「……名字を取り上げられるって?」

「父さんも、よく分からない。けれど、血のつながり以上に、八塚家にとっては重要なことらしくてね。縁を切られた八塚の人たちは皆、結婚して無くても名字を捨てるんだよ」

良く分からない。分からないけれど、母さんと同じように、と言う点だけで何と無く信用したくなる。

その人に会えば、分かるかもしれない。

白菊の儀が何なのか。

八塚の姫が何なのか。

母さんや、父さんが恐れたのは何なのか。

おじいちゃんやおばあちゃんが、私を逃がそうとした訳は何なのか。分かるかもしれない。

分からなきゃだめだ。

頭がガンガンと、警鐘を鳴らしている。父さんも母さんも、『これ』には気が付いていないらしい。

なんで忘れていたんだろう。

なんで思い出せなかったんだろう。

5人乗れる、父さんの普通車。

後部座席に私と母さん。運転席に父さん。助手席には、三人分の荷物。

そして、私の足元に、体を文字通り折りたたんでおさまっている、『それ』。

「えみ」

蕩けそうな満面の笑み。真っ白な肌、真っ白な髪。真っ黒な目は、図鑑で見たトンボに似てる。

「えみ」

にんまり笑った、『それ』。

父さん、母さん、見えてないのは、分かっている。でもね、きっと口にしたら駄目なことくらい、今は言っちゃいけないことくらい分かっているんだ。

ああ、でも。でも。

この、青年は、『これ』って、何なのだろう。

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