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【嘯きの壺・5】

 登校しない五人の生徒。そのことは、親たちの中にも広まっている。それもあって、私の口から寺へ行くことと、少し時間がかかるかもしれないことを告げられた両親は、もちろんのこと動揺したし、反対もした。


 最後にやり取りをしていたものとして、私を頼りにそこに何があったかを、探る。


 そんな突拍子もない、としか言えない話を聞いて不安がる、当たり前の反応をする両親。そこへ、俺が付いていきます、と付き添いを名乗り出たのは、荒瀬さんだった。


 このために、あの傷んだ深紅の髪を黒く染めてくれた荒瀬さん。たとえそれがどんなに突拍子のない話でも、そんなことを馬鹿正直に学校まで来て話す大人が、どれだけいるだろうか。それだけ切羽詰まった状態に置かれている人が、しかもそれは私の友人。話を聞かされただけでも不安だろうに、ここで自分は行かないという選択肢をすることが、どんなに怖いことなのか。


「このまま疑われたままなのは、嫌なの」


 校長室であったことを正直に伝えると、両親の顔がこわばった。


 確かに、そんなことを校長室で話すような人じゃない、とお父さんが腕を組む。昔から知っているだけあって、母さんは荒瀬さんをそれなりに信頼している。ややあって、こくん、と頷いた。


「荒瀬君がついていくなら、安心は安心だわ。私たちが付いていくより、いいかもしれない」


 お父さんが、びっくりした顔をして、母さんを見る。


「ついていかないつもりかい?」


「……蟲のことに巻き込まれたとき、私たちにはなすすべがなかった。でも、少なくとも、恵美や荒瀬君なら、危険を避けることはできる。私たちがへたなことをしてしまって被害を広げないように、私たちは私たちが見える範囲のことをすべきだわ。見えない世界、分からない世界におびえる訳じゃなく、私たちの領分でできることをしましょう」


 少なくとも、そういう不思議に関して、恵美はもう一人前のようなものじゃない。母さんがそう言うのを、白いのがにこりと笑って聞いていた。


「そうだね。……私たちは、恵美を大人たちの言葉や手から守ることはできても、異常から守れるわけじゃない」


 悔しそうにつぶやいたお父さんに、首を横に振る。これは、私の、わがままだ。これは、私の、エゴに近い、何かだ。


 白いのという安全に頼った、私のわがままだ。


 母さんはそれを察するように、微笑んだ。


「巻き込まれたことを避けることはできない。でも恵美は、蟲さえも受け止める強さがある。私は信じるわ」


「父さんも信じるよ。けれどね、逃げることも、避けることも、悪くはない。恵美に、救う義務も、関与する必要も、無いんだ」


「うん」


 でも。


 行かなくちゃいけない。見なくちゃいけない。


 LINEの向こう側で、私が見なかったことを知らなくちゃいけない。避けることができた私は、たとえそこに飛び込む必要性がなかったとしても、でも。


「由美子に疑われたままなのは、嫌なの」


 友達からの感情を、分からない何かより恐れたのは、悪いことじゃないはずだから。





 上法寺、というその寺は、父さんの運転で2時間かかる県境の大きなお寺だった。山深いところに、まるで守られるように、ひっそりと建っているような印象を受けた。敷地面積はものすごく広いのに、全てが、なんというか、静かだった。山門が見えるまで、そこにあると気が付かなかったくらいだ。


 私と荒瀬さんが後部座席に、白いのはなぜか、お父さんの隣である助手席に座っている。私から離れるなんて、滅多にあることじゃない。まるで、この車そのものを守るかのように、すとんと助手席に座っている。それだけでいつもと違うから、どきどきと胸がざわめいてならなかった。


「修行寺?」

「ええ。きちんとした、霊的なものへの目を養ったり、祈りを捧げることでそれに対する恐れを薄めるための寺だと。禅寺とも、また違うのでしょうね」


 去っていく父さんの車に向けて、何かぱんぱんと手をたたく荒瀬さん。何してるんですか、と聞くと、縁を一時的に切った、と返された。


「怖れを薄めると、言ったでしょう。白いのが何時もと違う時点で、だいぶ、普段の場所よりは気を配ったほうがいいようです」


「……被害を受けてる人がいるってことですか?」


「何かしらに呪われたり、気に入られたり。そういった人が、己を強く持つことで、なんとかそこから意識をそらす。そうして得られる安寧も、あるということでしょうね」


 荒瀬さんが歩き出す。私もそれに、ついていく。白いのは、不思議なほどに、しゃんとした歩き方をしていた。着流しも、なんだか綺麗に着こなしている。その複眼を黒々と輝かせて、私の手を握っている。


「……白いの、張り切ってるね」

「……ああ、そうですね」


 そうだ、張り切っているのだ。どうしたんだろう、と思って見つめていると、不思議そうに首をかしげてくる。


「綺麗に歩けるようになったねぇ」


 私が思わずそう言うと、んふふ、と言いたそうに、その口元がにっこりと笑った。とたん、いつもの白いのに戻って、ぐだぐだ私にもたれてすり寄ってくる。なんとなくその頭をなでると、余計嬉しそうになった。荒瀬さんは苦笑交じりだが、


「こうも見慣れると、なんだかかわいく思えてきますねぇ」


 と前向きな発言をしてくれた。褒められたの、と首をかしげる白いのに、イイ子イイ子と頭を撫でてあげた。

 寺の方から、恵栄さんがやってくる。


「お待ちしておりました。……そちらが」

「荒木教授に執事しております、荒瀬と言います。恵美さんとは懇意にさせていただいておりまして、ご両親の意向もあって今回は保護者としてまいりました」

「そうでしたか」


 同じく見える人、と察したらしい。白いのがぐだぐだ私に絡んでいるのに、苦笑を漏らした恵栄さんは、どうぞ、と、ひときわ見事な建物の方を示した。


「皆さま、あちらにいらっしゃいます」

「立派な建物ですね……本堂、っていうやつですか?」

「あの中なら、平気、なのです」


 どこか困ったように、恵栄さんが言う。


 道すがらに話すのはよくないからと、恵栄さんが別の部屋へ案内してくれた。地元の銘菓だとかいう饅頭と、お茶が出される。

 私は饅頭を半分に割って、包み紙に自分の分を、皿の上に白いのの分を乗せてあげる。白いのはそれを、食べる、という行為はしないが、私から何かを貰うこと自体が嬉しいことらしく、にこにこと目を細めてそれを眺めている。


 恵栄さんにも白いのは見えているからか、興味深そうに呟かれた。


「驚きました……。このような状態のものにお目にかかるのは、初めてです」


 その表現は気になったけれど、今は追及すべきじゃないだろう。私が何も言わなかったのを見て、恵栄さんは言葉を選ぶようにゆっくりと、話し始めた。


「……この寺は、お聞き及んでいると思いますが、修行の場です。世俗から離れるため、解脱を目指すためのみならず、心の安寧を得るために修行を積むものが集うております。世の中には、人の手では解決できぬ、何か別の法に基づく何かしらが、人と言う存在を蝕んでいくこともございます。


 私は、生まれつきそういうものを目にし、同時に生家の成り立ちにより強い加護を頂けたこともあって、そうした方々の修行の手助けをしてまいりました。


 この土地そのものが、大変に強い土地の守護者が守っているために、御仏のご加護と合わせますと時として安らかな眠りの土地となります。別の法に蝕まれた方々が少しでも、心安らかに過ごせるようにすること。それが、私を含め、この寺に暮らす僧侶の役目であり……目的なのです。


 恵美さんのように、何かに憑かれた、気に入られた、慕われたお方も、この寺には訪れます。しかしあなたのように、お互いに信頼関係に近いものを構築し、尚且つ程よい距離を探りながら、ともにあることができる方は、少なくとも私は初めてお会いいたしました。もっと年上の者なら、経験もあるかもしれません。


 ……ご友人の方々が寺に助けを求めていらっしゃったのは、恵美さんが友人にメッセージを送られた時間の、おおよそ5時間後です。親御さんたちが、皆さんを車に乗せられて、寺へとやってこられました。皆さま、何かにひどく怯えておられまして、しかし私どもとしてはそれも、そこまで気にすべきことがらではございませんでした。大体の方が、そうなのです。


 認識できぬ者、警察や友人には対処できぬもの、もう何にも頼ることもでき

ず、疲れ果ててこちらにまいりますから」


 そこで一度言葉を切って、恵栄さんがお茶を一口呑み込んだ。



「彼らを一度、どのようなことがあったかお聞きするために、こういう部屋へとお招きしようとしたのです。ですが、そこで上役の者たちが止めました。すぐさま本堂へ、そう言われ、我々は断る道理もなかったので、本堂でお話をお聞きすることとなったのです。そうすると、皆さま途端に、ほっとした様子で、口々に”聞こえなくなった”と申されました」


 聞こえなくなった。

 皆には、何かが、聞こえていた。恵栄さんたちが分からなくて、うわやく、とかいう人たちは分かったもの。

 差が出た、ということは、うわやくという人たちにはつながりがあって、恵栄さんたちにはつながりがなかったこと。


「ああ、上役、と言うのはですね。この寺を取り仕切る、上位の僧侶です。僧侶にも、修行や、その教えやあり方によって、位が生ずるのです。


 経験値が違うからでしょうか、私どもには、分からなかった声。それを聞きつけて、本堂にお招きされたその上役たる甘英様の手腕に、彼らは助けられたのです。そこで彼らに、何があったのか、を聞きました。


 あの日、貴女に連絡を取ったときには、彼らはすでに南光神社におられました。貴女が来ないことを確認してすぐ、神社の敷地内へ向かい、あたりを散策して最後に……神社へお参りをされたそうです。そこまでは、何も起きませんでした。


 しかし彼らが神社から出たときに、何かが起こったようです。具体的な話をできる方は、どなたもおられませんでした。皆さま、それを語りたくない、とおっしゃられていて、誰も聞き出せなかった」


 怪訝そうに、荒瀬さんが尋ねる。


「誰も? では、何もわからないままなのですか」

「今のところは。しかし甘英様の見立てたところによると、どうやらその神社にいたものが、そのまま彼らに接触を図ってきたようですね」


 私の脳裏に、荒木先生の話が蘇る。

 廃神社、という存在はない。しかし、その土地に何かがある、と聞かれたとき、白いのはなんといったのか。そうだ、確か……。


「あの、いいですか?」

「どうぞ」

「私が、肝試しにいくのを止めたのは、白いのでした。そこには、神社の中ではなくて、土地に居ついているものがいて、それが私を行かせたくない理由だったんです」


 そうだよね。と、視線で同意を求めると、こくん、と頷いた。それを見て、恵栄さんは思考に何か変化が起きたのか、顎に沿うように手を当てる。


「その土地、そのものですか?」


「白いのは……”とちゅうのもの”、と表現していました」


「……とちゅう」



 難しい顔をした恵栄さんが、立ち上がる。




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