本堂の前は、騒がしくなっていた。戸を開けた先に、人が4人いた。友人たち、でもその中に、由美子が居ない。
呆然とした様子で、甘英さんが膝をついている。他のお坊さんたちも、何が起きたのか分からず、混乱しているようだった。
「……由美子は、何処に」
「最初からいなかった、のか」
「え?」
「……彼も、居ませんね」
見回して、ハッとした。
恵栄さんが、居ない。聞いた限り彼はこの件を、主体的に担当している様子だった。なのに今ここに居ないというのは、不自然だ。
「彼は、白いのが、とちゅう、と言う表現を使ったときに部屋を出ました。むやみに声に応えるな、そう言いおいて」
「そうでしたけど」
「……来た時に、思ったのです。ほら、見てください」
私たちが居た宿坊の、すぐそば。小さな祠に、小さなお地蔵様。その脇には、小さな木の立て札がある。見覚えのある文字に、唇が震えた。
「……恵栄、和尚」
「すでに祀られた、古い高僧だったのでしょう。主になって動いてくださったのは、今の彼らには手に余ると判断したからでしょう。白いのの言葉に、自分が為すべきことを、為しに行ったのでしょう」
「為すべきこと?」
荒瀬さんが、静かに答える。
「言われたでしょう? 人に祀られた人は、神となる。神は、祈りの形を、表している」
白いのが私の、手を握った。とたん、脳裏に焼き付くように映像が流れる。それは、私の記憶したものではない。
神社から寺まで来た皆は、歯を食いしばるように祈っていた。助けてください、助けてください、お願いします。
その祈りは、この小さな祠にも向けられた。この寺に居るすべてに、皆は願った。助けてください。
どうか、助けて、ください。
助けて。
助けて。
助けて。
私は、もう、手遅れだから。
映像が、切り替わる。神社だ、南光神社という鳥居。そこに、黄色い立ち入り禁止のテープが張り巡らされ、青い制服の警官が動き回っていて、開けた神社に人々が手を合わせている。開かれた扉の中に、足が見えた。二本の、白い足。その、足の裏。
それだけなのに、直感した。由美子だ。あれは、由美子だ。
目を開いた私に、白いのが言う。
「たましいを、もらったなら、がんばらないと、ね」
由美子は。
ああ、そうか、由美子は。
私のメッセージを見ることなく、死んだのだ。
死んでしまって、けれどそこにこびりついた祈りの声が、助けを求める声が、皆と共にここに届いた。この小さな、祠の中へ。それは、他の皆の声よりも、もっと強かった。
魂と言う、人がもっとも崇め、力として認識しやすい形となっていた。
「そっか……」
白いのも、同じだ。
20歳で死んでいった、八塚の姫たち。彼女らの魂を貰って、白いのはただひたすら、八塚の家の中に封じられた。本当なら、そういうものでは、なかったのかもしれないのに。
「……帰ろうか」
私が言うと、荒瀬さんが頷いた。甘英さんに声をかけると、しみじみと頷いて、早く帰りなさいと言ってくれた。
「長くいない方が良いです。……美味しいものを食べたあと、何を食べても味がしないのと今のここは、似ています」
そう言って、何もかも分かったかのように、あの宿坊のほうへ深く深く、頭を下げた。私と、白いのと、ここを結び付けてくださった。そう呟いて、両手を合わせていた。
私と荒瀬さん。そして白いのが寺の外に出てすぐ、お父さんがいた。帰ったんじゃないのか、と驚いて駆け寄ると、気になって戻ってきたと言われた。
「なんだか、すぐに帰らなくても、いいような気がしてな」
「……うん、終わったよ」
「そうか」
お父さんはそれきり、何も聞かなかった。早く終わってよかった、と、車に乗せてくれた。
白いのは、私の隣に乗った。それを見て、ああもう張り切らなくて良くなったんだ、と、ほっとした。私の腕時計はいつのまにか、白いのの右腕に収まっている。
「わたしは、ずっと、えみの、むし」
「うん」
そんなことを言う白いのに、なんだか安心する。
本人、本虫? が言うのだから、間違いじゃないだろう。
白いのは、神様ではない。祈りの形に左右され、己を失い、盲目となり果てて人の願いをかなえようとする、装置などではない。
これからも、この先も、分からないままでいい。あれ、これも私の願いなのだろうか。白いのは、それを叶えようとしてしまっているのだろうか。
「白いのは、白いのが思う通りで居てよ」
「……おもう?」
「私の蟲、じゃなくても、イイってこと」
「……やだ」
ひしーっと、全身でしがみついてくるので、そこはどうやら譲れないらしい。
「うーん、ヤなら、ヤでいいよ」
「じゃあ、これからも、えみの、むし」
「うん」
次の日。
由美子の母から、連絡が我が家に入った。由美子の死亡と、葬儀を伝える電話だった。電話口の由美子の母親は、泣いていた。母さんはそう言って、私の喪服を出しながら、ふと独り言のように言う。
「由美子ちゃんねぇ、小さい時にお父さんが亡くなってるのよ」
「……えっ?」
「あんたには、言わなかったかもしれんねぇ。今は、もう、奥さん再婚されてるし……」
私は思わず、白いのを見た。白いのはふんわりと笑うと、
「ひとも、かみの、うちになる。そせん、なら、なおさら」
そんなことを、楽し気に語ってくれた。
どうも今回の一件は、白いのをずいぶん成長させてくれたらしい。主に、言語面で。荒木教授は目ざとくそれに気が付いて、山積みの折り菓子をもって我が家にやってくる。私のLINEのメッセージに、もう二度と由美子の既読マークはつかないだろう。あの事件にかかわった同級生らとは、きっと疎遠になるだろう。そして彼らは私のことを、口に出すのかもしれないし、出さないのかもしれない。
「不思議と、悲しそうじゃないのね」
母さんに言われて、うん、と頷き返す。
「うん、なんだか、悲しくは、ないんだよね」
怪異は、そういうものだ。
不思議と、奇妙さと、未解決と、疑問ばかりを残して、そのほかの感情に目を向けるのを、遅くする。だってわからないことばかりだ、どうして由美子じゃないといけなかったのか、白いのを彼らは何だと思ったのか、助かったことを彼らはどう思うのか、そもそも神や仏に影響を及ぼすためのものってなんなのか。
分からない。でもそれは、学んだことで解決ができる類ではないし、私が答えを出すような問題でもない。
きっと時間が経つと、不意に悲しくなる。
白いのと出会ったばかりの時も、そうだった。疑問と疑念と恐怖が氷解して、ようやく、悲しみや怒りにたどり着ける。人間の防衛本能が、緩むことを許してくれる。
「えみ」
見慣れた複眼に、私の顔がそれぞれ映っている。少しだけ笑った、この世で一番見慣れた顔が、こちらを見つめ返している。
私の死に顔はこれより、もう少し、神々しいとイイな。
まだ見る気配もない子孫を考えて、そんなことをふと考えた。
おわり